「なに?」
反対に湖雪は、掛けていた羽織りを旭日に渡す。今……名を呼ばれた。『お嬢様』ではなく、『湖雪様』、と……。
ちょっとだけ嬉しくなるのは、今朝の鬼の言葉があったからだろうか。旭日は湖雪を見ていた瞳を泳がせた。それから、気まずそうに面を伏せる。
「惣一郎様のことなのですが……」
『惣一郎』。その名に、心臓が一度大きく反応した。
「え……何?」
湖雪は動揺を悟られないように、平静を努めて訊き返した。
「……私ごときが申し上げてよいようなことではござませんが……惣一郎様は、正妻の一子でありながらお家を継げなかった身……。どうぞ、お気をつけくださいませ……」
「………惣一郎様が……?」
旭日の言は、確かに主に対するものとしては行き過ぎている気がするが……そこまでして注意を促す人物だということだろうか。
「私の独り言とお思いください……」
旭日はそう、付け足した。
「……独り言なら、聞かなかったことにするわ」
「はい。そうしてくださいませ」
湖雪は小さく頭を振ることで、惣一郎への邪推の念を追い払った。だって彼は……
……優しい人だと思ってしまったから。
雪の中、自分を待っていてくれるほどの……。
―――虹琳寺惣一郎。不思議な人だ。