男は軽く弾みをつけて樹の枝から脚を解き、地面に着地した。――雪が、舞わなかった。
細雪が柔らかく降り積もった朝だというのに、男が着地したその場所、雪が一片として動かなかった。
「……!」
それが人間でないことは、男が湖雪に歩み寄った道にも、足跡がつかなかったことからも窺えた。
男は縁の下に片膝をつき湖雪を見上げた。
「また逢えたな。湖雪」
その口ぶりは湖雪と面識――以上に、親しい間柄であるように聞こえた。
しかし湖雪にはこの男に見覚えがなければ、こんなに親しく話す人に心当たりはなかった。
「……あなたは、」
「櫻(さくら)だ。お前が――いや、お前の始祖が俺に授けた名だ」
に、と、櫻は牙を見せて笑った。
(……! この牙は……)
「鬼……」
湖雪の呟きに、櫻は、ん? と首を傾げた。
「あなたは……鬼?」
夢で見た。否、過去を見た。あの神々しい影は、神様や天使なんかではなくて――
櫻は少し考えるような間を置いたが、納得したようにひとつ肯いた。
「ああ、知っているならば話は早い。湖雪。死んでくれ」