「はい。来年度には三年生になります。卒業後は付属の大学へ」
「ではこの子とは二歳違いですね」
早子が言う。彼女は湖雪を名前では呼ばない。
……知っているのかすら、わからない。
「湖雪は春で女学校を卒業ですから、惣一郎くんの卒業待って――」
結婚と、なるのだ。
それは、決められたこと。
湖雪の存在が知れた時からの、決めごと。湖雪に感じることもない。
その後、湖雪は一言も喋ることなく逢瀬は終わり、惣一郎家族は帰って行った。
最後、惣一郎は、
「またお逢いしましょう。湖雪さん」
当たり障りなく、けれど確かに湖雪に向けて、彼女の名を呼んだ。
湖雪は少しだけ唇の端を上げて微笑み返した。
そして、今日は終わった。
夜半を過ぎて起きてしまった湖雪は、夢現の区別がつかないぼんやりした頭で障子の向こうを見た。
視界に映るのは今の夏桜院の庭。幻覚のように揺らめく桜が視えた。
障子が月明かりを受けて桜色に染まる。それは恋色に見えた。
黒い影。髪の長い女性――足元まで伸びている――が天に向かって手を掲げている。
声を、絞りだし懸命に叫んでいる。……何かを呼んでいる?
そこに、何かが降りてきた。
女性が伸ばした指を手繰り寄せ、彼女をふわりと抱き上げる。
現れた何かは羽でもあるようにゆっくりと地上に舞い降りて、女性抱きしめた。
あれは――何? 人間じゃない、何か。神々しささえある。神様? 天使?
それとも――……
何かの手が、一方は女性を抱きしめ、もう一方が湖雪に伸ばされてくる。
あなたは、何者――?
湖雪は幼子が愛を求めて手を伸ばすように、自身の手を何かに応えた。
「鬼だ」