使用人の一人が声をかけてきた。
「ありがとう。早子様――いえ、義母上。湖雪をお願いします」
「承知しました。惣一郎様」
惣一郎は先に部屋に入り、湖雪は早子と一緒にやってくる段どりになっている。夏桜院湖雪と、虹琳寺惣一郎の結婚式だ。
惣一郎は虹琳寺家より婿養子に入り、湖雪とともに跡取りとなる。
湖雪、十六歳。惣一郎十八歳歳の、未だ桜も咲かぬ早春の式である。
湖雪と惣一郎は今朝も同じ布団で起き、朝の習慣となった、庭の桜の古木を眺めてから準備のために別れた。そのために、湖雪の晴れの姿を惣一郎が見たのはたった今のことであった。悟が自分より先に目にした。それに少し腹が立っていた。
それから、湖雪が一度も咲いたことのない桜の古木を見て涙していたことも――。
それがとても愛おしいものを見るような、穏やかに優しい眼差しだったから。
……たぶん自分は、湖雪が生む自分の子供にも嫉妬するのだろうと予感があった。
「湖雪」
惣一郎は湖雪に穏やかな微笑みを向けた。朝、惣一郎の腕を離れてから、緊張しきりだった湖雪はその顔を見てほっと息を吐いた。――のも束の間。
「っ」
腰を引き寄せられ、唇を塞がれた。
「! こゆっ」
「……惣」
軽く触れただけで解放された唇だが、湖雪は刷いた紅のように頬を真っ赤に染めた。早子は固まり、悟は弟の大胆な行動に呆れたようにため息をついた。
「惣一郎さん! せっかくのお化粧がとれてしまうじゃないですか!」
「触れただけです。湖雪が可愛いので」
悪びれた様子もなく早子に返す。
「もう、紅は直さないと」
文句を言う早子に「申し訳ありません」と言ってから、湖雪に微笑みを向ける惣一朗。
「では、待っているよ、湖雪」
『湖雪』、とまた名を呼んでから、惣一郎は湖雪を離した。