「悟。……さすが俺の兄貴だ。でも、だからこそ言わないでほしい。時期が来たら俺が言うから」
「……わかった」
悟は呼吸一つ呑みこんで、言いたいことも押し戻した。
惣一郎は「ありがとう」と言い置いて、客間を出た。悟は正座し直し、目を閉じた。
今回の件――惣一郎を虹琳寺に戻すというのは、彼の実母で敬人の正妻・南子(なこ)の言だった。元々彼女は息子である惣一郎を跡継ぎにしようと画策していたが、長年の規則を侵すことは出来なかった。だが、夏桜院に入ってからの惣一郎の優秀な活躍の話、それに次いだ悟の母の急死。
惣一郎と悟は、わずか六日の差で生まれた。そのために、悟の言ったように惣一郎を推す者たちも多い。南子の策略は、今実を結ぼうとしていた。今日悟が夏桜院を訪れたのは、正式に自分には当主を継ぐ意思がないことを本家の当主に示す意味だった。
悟は二人の関係を邪推以上の想像が出来なかったし、南子が後ろにつき、悟も放棄の意思表示をすればことはすぐに収まると思っていた。あの惣一郎があそこまで溺れているなんて、考えもしなかった。
だが、あの二人が結婚することはない。惣一郎が夏桜院に残ろうが、虹琳寺に戻ろうが、二人の恋は結ばれても愛になることはない。
それは刹那、惣一郎に罹(かか)って見えた黒い影。あれは――呪(しゅ)だ。