「では、乾さん、どうぞ」

 合図と共に入室して来た一人目の面接官は、如何にも重役といった風体の還暦近い男性だった。頭を下げ、隣の椅子に腰掛ける。
 ブランド物のスーツに、高級腕時計、ピカピカに磨かれた革靴。けれどネクタイだけは少しよれて、デザインもいまいちの安物に見える。どう見ても全体の中で浮いていた。
 しかし高級志向の男は、今まで周りに居た層と被る。彼と仲良くなるのは容易だろう。

「初めまして、神楽坂です。本日は宜しくお願い致します」
「面接官の乾だ。宜しく頼むよ」
「乾さん、その腕時計素敵ですね」
「おや。わかるかね? 長年愛用しているんだ」

 男の表情が明るくなる。良い持ち物を褒める、それは初対面の会話の鉄則だろう。そこに親しみを込めて、自分のエピソードも交えて語れば会話も盛り上がるはずだ。

「成る程、だから使い込んでる感じが……僕も先月同じ物を使っていました! そのブランド、デザインがいいんですよね……重厚だからシックな装いに合いますし」
「……同じ物を、持っているのかね?」
「ええ、父に譲り受けまして。僕の私服の系統にはあまり合わなかったんですが、良い品なのでまたいつか使おうと思います」
「……、そうか」

 共感、そして家族仲が良いアピールもした。けれどどうにも、男の表情は翳る。……おかしい。手応えを全く感じず、俺は慌てて他の物も褒めにかかった。

「あ、そのスーツも良いですね! 靴と色味が合っていて、センスも良いです」
「嗚呼、スーツも靴も下ろし立てでね、今日の為に用意したんだ」
「そうなんですか! 僕もこのスーツは今日初めて着たんです」
「初めて?」
「今まで就職活動はしたことがなくて、今日の為に行き付けの仕立て屋で急ぎで用意しました」
「……」

 初めて同士での親しみ易さをアピールしたつもりなのに、どうにも先程から沈黙が多い。
 もうすぐ制限時間になってしまう。けれど、手応えはない。俺は慌てて、どうしても目立つネクタイへと視線を向けた。

「そのネクタイは……」
「! 嗚呼、これはだね……」
「ないですね!」
「……、え?」
「他は全部良い品なのに、勿体無いです。一つ安物が混ざるだけで全体の質が下がる」
「……」
「良ければこれ、差し上げます。先日購入したブランド品なんですけど、きっとそのスーツに合いますよ」

 俺は身に付けていたネクタイを外す。普段接する皆は俺が身に付けているものをプレゼントすると大層喜んだ。きっと、男も満足してくれるはずだ。

「……いや、結構」
「何故です? あ、賄賂とかになっちゃうのかな……大丈夫です、これはただのプレゼントなので」
「いや。……このネクタイは、息子に貰った大切な物なんだ」
「へ……?」
「息子も、君と同じくらいの年頃でね……初任給でプレゼントしてくれたんだよ。大切な、宝物だ」
「え、あ……」
「時間です、面接官は退席して下さい」

 男は席を立つ。最後に俺に対し一瞥した視線は、友好的とは言えなかった。


*****


「では、山本さん、どうぞ」

 二人目の面接官は、若い女性だった。眼鏡に黒髪に化粧っ気のない顔。スーツも着慣れていないようで、学生にしか見えない。本当に面接官なのだろうか。
 しかし、年齢が近いと言うのはやりやすかった。いつも周りにするようにすれば、きっと上手くいく。

「はじめまして。神楽坂です」
「……山本です。宜しくお願いします」
「山本さんか、宜しく。……ねえ、俺のこと、ぶっちゃけどう思う?」
「……、はい?」
「結構モテる方なんだけど……山本さん的には、どうかな?」

 先程の面接は恐らく失敗した。もう後がない、今度こそ挽回しなくては。
 先程の失敗は、相手の物を否定したのが決定打だったように思う。ならば相手には触れずに、自分をアピールしよう。俺は女なら見惚れるであろう自慢の顔で、完璧な笑顔を向ける。

「女の子って、良い男を連れ歩くの好きだよね? 勿論遊ぶ金も出すし……良かったら友達にならない?」
「……」

 女は黙ってしまった。俺と居るメリットを上げたつもりだったが、何か足りなかっただろうか。
 だめ押しで、俺は少しだけ身を乗り出し、距離を詰める。女子受けする顔は、交渉の武器になるはずだ。しかし女は反射的に身を引いて、首を振った。

「……あの。一応私も面接官なんですけど、距離感、おかしくないですか?」
「いや、ただ俺は、君と仲良くなりたくて……」
「初対面から馴れ馴れしくされるの、苦手です。人との距離感って、結構難しいんですね、参考になりました」
「え、あの……?」
「時間です、面接官は退席して下さい」
「は? ちょっと……待っ」
「失礼致します」

 今回も巻き返すことなくタイムアップだった。女はやり切ったという顔で、振り返りもせず足早に出て行った。

 一部始終を見ていた最初の面接官は、柔和な笑顔を崩さぬまま困ったように眉だけを下げる。

「神楽坂さん……残念ですが、相手の反応を見ながらその人に合った対応を取れないと、この会社は難しいかもしれませんねぇ」
「相手に、合わせる……?」
「友達という対等な関係は特に、共感や歩み寄りから始まり、気遣い尊重し続く為の努力をするものですから」
「気遣い……尊重?」

 いつだって、周りが俺に合わせてきた。向こうが勝手に寄って来て、俺から利を得ようと機嫌を取って、気に入れば見返りに施し、その繰り返し。
 そもそも『友達』とはなんだ? 金をちらつかせれば何でもする取り巻きとは違うのか? 俺の顔やステータスにつられて媚びてくる女は?

 思い返してみても、恐らく真っ当な友達と言える相手は居なかった。俺はこの年になるまで、まともな友達の作り方なんて知らなかったのだ。
 遠回しな不合格の言葉よりも、その事実に混乱とショックが押し寄せた。築き上げたプライドが、生き方が、全否定されたような感覚だった。
 幼稚園児でも当たり前に出来ているはずの、面接前は馬鹿にさえしていた『友達』を、俺は得たことがなかったのだ。


「……どうするのが、正解だったんだ? 友達って、何なんだ?」

 面接後、迎えの車が来るまでエントランスで自問自答を繰り返す。初めての挫折に似た感覚に打ちひしがれていると、不意に隣に、男が座った。

「お疲れ様です、神楽坂さん。どうでした?」
「えっと……」

 少し考えて、思い出す。俺より先に面接を終えたはずの佐藤だった。緊張が解けたのか、彼は先程よりも穏やかな笑みを浮かべている。

「面接、緊張しましたよね」
「ええ、まあ……」
「良かったら、どうぞ。ただの水ですけど」
 差し出されたのは、そこの自販機で買ったのであろうペットボトルだった。
「神楽坂さん、顔色悪いんで、心配になっちゃって……」
「はは……俺、そんなに酷い顔してます? 大丈夫なので、どうぞお気遣いなく」
「いえ、同じ企業を受けるライバルですけど、戦友ですし」
「戦、友……?」

 佐藤の言葉に、ハッとする。
 同じ面接を受ける緊張の共感、終わったなら放って帰ればいいのに声をかける歩み寄り、心配する気遣い、戦友という尊重……これは、面接官の言っていた『友達』の四原則なのでは……?

 俺はこの冴えない男に『友達』になれる可能性を見出だして、普段口にしない安物のペットボトルを受け取った。

「ありがとう……佐藤くん。良ければ俺と……」


*****