ウチがまだ暗殺者として闇の仕事に従事していた頃の事だった。

 当時所属していた組織の名前は『ギルガリーザ商会』と商会なんてついてはいるが、裏ではこの国では禁止とされている奴隷の取り扱いから非合法の薬の売買、挙句の果てに暗殺稼業にも手を出しており一部貴族からかなり重宝されていた。

 もちろんバレない様に表向きはこの国で最も勢力のある商会を普通に運営していた。食品から雑貨、冒険者用の武器に防具など分野を問わず様々な商品を取り扱って貴族のみならず平民の利用者も多数いるため、まさかこの商会が裏でこんな事をしているだななんて誰もが疑わなかっただろう。
 
 そしてウチはその組織の暗殺部隊に所属していた。
 
 物心ついた時から既に組織に所属しており、上司が言うには赤子の頃に母親らしき女から売られたとの事だった。
 
 そんな話を聞かされた所で「だからなんなの?」という感想しか出ない。
 
 だってそんな場所で育って暗殺稼業が当たり前の生活を送っていたから…… 子供が母親と手を繋いで仲良く買い物なんて場面を見ても心が揺れる事もないし、母親に対する感情も何もなかった。
 
 まあ、所謂『無関心』ってやつ。
 
 そんなウチでも一つだけ人間らしい感情が残っていたらしく、実はロマンス小説を読むのが趣味だったりするという我ながら頭の中身がお花畑なんだなと自覚はあったりする。
 
 初めて読んだ時の次の展開どうなるんだろうというドキドキ感を何度も味わいたくて色んな小説を読むのが趣味となっていた。
 
 それでも現実はこんなんだし、自分にとっての運命の人が現れる訳もなく、期待する事もなくて仕事が入ったらターゲットを暗殺する日常を送っていた。
 
 ウチの場合、暗殺する対象は例外が無い限り基本的に『男』がターゲットになる。
 
 それは何故か? 男の目を引くような容姿と体型をしていただけのただ単純な理由。
 
 上司や一緒に育ってきたはずの同僚もある程度の年齢を超えて肉体的にも成長すると誰もが()()()()目で見てくるようになる。
 
 毎回手で隠したり、見るなよという視線を送るのも面倒だから「好きに見れば?」という態度を取ると遠慮なくガン見してくる奴が多くて正直気持ち悪いし嫌悪感もある。
 
 だから仕事の時は仕方なく肩や腰に手を回させる事はあっても絶対にヤラせる様な事は絶対しないし、訓練がない時もわざわざ男達から姿を隠すようにしてきた。
 
 小説の様に運命的な出会いがあって劇的な恋に落ちるなんて事は自分には無縁だととっくに諦めていた。
 
 そんなウチの人生に劇的ともいえる事件が起きた。
 
 あれは今から一年半ほど前の話……
 
 その時請け負っていた仕事が一旦ひと段落して休日に街を歩いてた時の事。
 
 目の前を歩く一人のオッサンがウチの身体を上から下まで眺めながらニチャアと口角を吊り上げて汚らしい笑顔をしている。
 
 流石に慣れたもんで、視線に気付いても知らんぷりして通り過ぎようとしたら話しかけて来た。
 
 わざとらしくため息をついてやったけど、そんなのお構いなしとばかりにフラフラ歩きながら話しかけてくる。
 
 どうやら真昼間から酒を飲んでいるようだ。話しかけられた息が凄い臭くてウチが鼻を抑えながら後退してしまうほどだった。
 
「ねえねえ君さあ、ダメだよーそんなドスケベボディを真昼間から晒しちゃってさあ、前途ある青少年たちが君を見てみんな前かがみになっちゃうじゃないか。これは指導の必要がありそうだね…… うむうむ、近くの詰所まで来てもらおうかな。そこでおじさんの聞かん棒でお説教しないといけないかなあ?」
 
 これは最早ナンパですらなく、ただのセクハラだった。
 
 会話の必要性もないと思ったからオッサンの脇を素通りしようとするが、全く諦めないオッサンはウチの腕に手を伸ばしてきたからオッサンの腕を捻り上げて蹴りで吹き飛ばしてやった。
 
 オッサンは近くの木箱に頭から突っ込んで気を失ったのか動かない。
 
 ウチはすっきりとしてその場から離れて行きつけの本屋で新作のロマンス小説を購入してルンルン気分で帰宅した。
 
 
 
 後日、上司が血相を変えてウチを呼び出してきた。
 
 何事かと思った。仕事の失敗はないから緊急の仕事なのかと思った。
 
 でもそうではなかった。
 
 どうやら先日蹴り飛ばしたオッサンは最近商会の幹部に上がって来た人らしい。
 
 表で実績を出して幹部になった事で裏の事業を一部任されることになったらしいのだが、その任された仕事として暗殺部隊の司令官に着任したのだったらしい。
 
 オッサンは部隊員の資料を読み漁っていたところ、手を出そうとして失敗した女…… つまりウチがいることを知ったらしい。
 
 どうやらオッサンは難癖をつけてウチを呼び出そうとしているとのことで、上司に当日に何があったのかを散々聞かれた。
 
「あんなのただのセクハラ親父ですよ。それに司令官に着任する前の話ですよね? なんとか折り合いつきませんか?」
 
 上司は左右に首を振る。どうやらウチの訴えは無駄らしい。
 
「そういう問題じゃなくなっちまってる。着任前後云々とかそういう話ではなくて、『任務達成率トップなのをいい事に司令官に手を出した身の程を弁えない女』として幹部中に広まってるらしい。このままお前を庇い続けたら俺達にまで被害が広がっちまう。すまねえが、お前が折れてくれ」
 
 手を出した事は認めるが、それ以外は全て捏造だ。そして上司の顔を見ていると最早庇い様のない事実上の死刑宣告だ。こんな仕事をしてるのだし、いつでも死ぬ準備はしていた。だから「まあしょうがないか…… 処刑は受け入れるとして、せめて一度でいいから恋愛してみたかったなあ」程度に考えていた。
 
 すると上司はまた首を左右に振った。
 
「いや、処刑ではないらしい。お前が愛人になることを条件に許してくれるらしい。それも拒否する場合は性奴隷にすることも辞さないとの事だ」

 目の前が真っ暗になった。自分にとってそれは死ぬ事よりも受け入れがたい事だった。人間として残った最後の感情をこんな形で奪われることになるなんて…… だからウチの出した答えはこれ以外にあり得なかった。
 
「お断りします。そんなことをするくらいなら自ら命を絶ちます」

 上司は最初からそう言う事が分かっていただろう…… 指をパチンと鳴らすと自分の左右と後ろに計五人の同僚に押さえつけられて布を口の中に突っ込まされた。
 
 ならば息を止めて窒息死してやろうと思ったが、それすらも想定内だったらしい。上司得意の傀儡魔法で無理矢理呼吸させられていた。
 
 身動きも取れず、舌を噛むこともできず、息を止めて死ぬ事をすら許されない。
 
「すまないが、お前という優秀な人材に死なれる訳にもいかない。大人しく司令官の愛人になってくれ」
 
 ウチはもうあの汚いオッサンに身も心も凌辱され、死ぬ事も許されないまま任務も遂行しなければならない人形にならなければならないらしい。
 
 だったらせめて…… 感情も奪って人の心を無くしてほしい…… そう願わずにいられなかった。
 
 そしてそのまま五人の同僚に連行されることになった。ウチが連れていかれた場所は司令官の寝室ではなく、商会の持ち倉庫だった。
 
 なんでこんな場所に? と思ったら倉庫の中にオッサン…… 司令官が待ち構えていた。
 
「良く来たなあ…… 綺麗な部屋とベッドで愛してもらえるとでも思ったか? あの時の痛みはまだ忘れておらんぞ…… 娼婦に捨てられた野良犬らしく倉庫内の汚らしい地面で輪姦してやろうと思ってな…… 私が受けた痛みの何十倍…… いや、何百倍にもしてお前の女として、人間としての尊厳も徹底的に全て踏みにじってやるよ。私が満足したらお前らにもくれてやる。お前らもコイツに散々舐められていただろう? 暗殺者である前にただの女である事を『わからせ』てやれ」
 
「「「「「ありがとうございます!」」」」」

「もし妊娠でもしたら何度でもお祝いボディーブローで強制堕胎させてやる。徹底的に蹂躙してやらんと気が済まんから喜びに打ち震えろ…… 簡単に廃人にもさせんからな。お前が人生に諦めてその綺麗な顔面をボコボコにして全裸土下座で死ぬまで私に忠誠を誓わせてから足の指の爪の垢を舐めさせても許さんからそのつもりでな」
 
 たしかにウチはまともな人生を歩んでいなかったと思う。だから死刑にされたとしても受け入れるつもりはあった。
 
 だけど…… その結果がこんなクズ野郎共に良い様にされる人生だったなんて…… 神様もひどいよ、ウチよりもこんな奴等に味方するというんですか?
 
 ウチはどうなったとしても…… せめて、せめてコイツ等にも裁きを食らわしてやってください。
 
 なんてね、今まで一度も祈った事もない神に祈るなんてウチもどうかしてる。
 
 そうだ…… それほどまでにどうしようもない事態であることを理解してしまってるんだ。
 
 そんなウチの願いが神様に届いたのか…… 倉庫の外から声が聞こえて来た。
 
「すみませーん、誰かいませんかー? あのー、お届け物なんですけどー」
 
 司令官も同僚たちもギョッとしている。まさかこんな場所に人が来るなんて思ってもいなかったから。
 
 普段この倉庫は商会の人間しか来ないうえに今日は誰も寄せ付けない様に言っていたと思う。
 
 だからここに誰かが来るという事は外部の人間しかいない。司令官もそれを分かっているだろう、急な訪問者に焦っていた。
 
「オイ、何でこの場所に人が来るんだ! お前ら黙らせて来い」
 
 司令官が思ったより大きな声が出てしまったのか、外にいた人物に声が届いてしまったらしい。
 
「あれ? やっぱり人います? お届け物でーーす。 えーっと…… ここにあるドアから入れるかな?」

 のほほんとしたマイペースな声に全員気が抜けているのか、一部始終を呆然を眺めていた。
 
 そしてドアが開けられて「すみませーん、勝手に入っちゃて…… 声が聞こえて来たので誰かいると思ったので、荷物のお届けに上がったんですけどー」とキョロキョロしながら申し訳なさそうに入って来た。
 
 声だけ聴いても少年なのか少女なのか判断に迷う。
 
 
 
 そしてその姿を見た時…… 
 
 
 
 やっぱり男の子か女の子かどっちかわからない。
 
 
 
 そしてその少年? 少女? こそが後のウチの初恋の相手であり運命の相手と思っているディック君だったのだ。