「セリーヌ!」

 私を呼ぶ声が聞こえる…… 幻聴? それでも構わない、獣が来ても構わない。あたしはもうこの声に縋るしかなかったのだから。
 
「たっ、助けて!」
 
「セリーヌ!どこにいるの?」

「崖の下にいるの!」

 声の主が崖の上にいた。ディックだった。
 
「良かったー、やっと見つかったよ。村じゃ大騒ぎだよ。セリーヌのおじさんが『セリーヌがいなくなったー』って村人総出で付近を探索してたんだ。セリーヌって村に来たばっかりだから多分村の人が来ない様な場所にも知らずに行くんじゃないかと思って来てみたんだけど正解だったね」

 あんなに突き放した態度を取ったのにどうして? と思ったけど、見つけてくれた安心感からあたしはまた泣いてしまった。

「よっ、よが……っだ……っ……」

 ディックは崖を軽々しくジャンプして降りて来て、あたしをおんぶしてくれた。ディックの背中はとても温かくて不安な気持ちが一気に吹き飛んで行った。
 
「ちょっと回り道すると崖の上に戻れるから我慢してね」

「うん、ありがとう」

 ディックは戻る途中に「何でこんな場所に来たんだい?」と聞いてきたので事情を説明した。
 
「なるほどね、お手伝いさんの仕業か…… このまま戻ると危ないかもしれないね。一旦村はずれにある教会に保護してもらおう。その間に両親と村長に話をしてくるよ」

 あたしはディックに言われるがまま教会に連れてきてもらった。教会の入口を叩くと同い年くらいの女の子が出て来た。
 
「あら、ディックじゃありませんか? どうしたんですか? ……ってその子は?」
 
「リシェル、急に来てごめんね。しばらくこの子――セリーヌを匿って欲しいんだけど、お願いしてもいい? あと、足を捻挫してるみたいだから治療もお願いっ」
 
 ディックはリシェルに事のあらましを説明すると、『は? その人正気ですか?』というリーゼさんの行いが理解できないという表情をしていた。また、事情が事情なので保護してくれる事になった。
 
 ディックはあたしを降ろすと走って行ってしまった。ディックの背中の温かさが無くなる事に心細さを感じていた時にジト目のリシェルに話しかけられた。
 
「貴方、セリーヌと言いましたね。最初に言っておきますが、ディックは皆に優しいのです。勘違いしてはダメですよ? 貴方にだけ特別優しい訳ではありませんからね」

 足の治療をしながら警告してくるリシェル。今ので直ぐに理解できた。この子はディックの事が好きなんだと。あんなに冷たくしたのにそれでも笑顔で優しくしてくれて温かくて…… なんかわかる気がする。
 
 ちょっとからかいたくなって「でもディックは君の恋人って訳じゃないでしょ? ならあたしにもチャンスはある訳だ」なんていうとリシェルは眉間に皺を寄せて「あ”?」なんて凄みをかけてくる。

 そんなやり取りをしばらく続けていたらディックが戻って来た。
 
「お待たせ。事情を説明してリーザさんを捕まえて大人たちは今村長の家に集まって会議してるよ。近いうちに街の方に移送して貰うんじゃないかな? だからセリーヌはうちにおいで。一人だと寂しいでしょ」

 リシェルの顔面が崩壊しかかっている。そんなリシェルは放っておいてディックの家に行くことにした。

「ディック、その…… この間は冷たくしてごめんね。あれにはちょっと事情があって……」

「そうなんだ。せっかくだから後で聞こうかな。まずは一緒にうちまで行こう!」

 ディックはあたしの手を握って家まで連れて行ってくれた。背中とは違う温かさがあった事は覚えてる。
 
 ディックの家に着いてからは安心感と空腹感のせいで盛大にお腹の音を鳴らしてしまった。恥ずかしくなって顔を手で隠してしまった。とてもじゃないけど今はディックの顔を見れない。
 
「フフッ、もう少し待ってて、すぐ作るからね」

「ディックって料理作れるの? 凄いね、あたしは全然だめだなあ」

「母さんの手伝いをしてただけだから一から作るのは今回が初めてなんだ。美味しく無かったらごめんね」

 ディックの初めての手料理かあ。何故だかその言葉に嬉しさを感じてしまった。

 ディックが料理を作ってくれている最中にさっきの事情について話をした。
 
「引っ越しが多いね…… そういう事情だったんだ。だから別れが辛くならない様にあまり仲良くしない態度をとってたって事なんだね」

「うん…… でも今回の事でまた引っ越しになっちゃうかも……」

「せっかく友達になれたのにそれも嫌だなあ…… よしっ僕もおじさんと話をしてみるよ。おじさんが仕事で村を離れる時はうちに住むか、僕がセリーヌの家に泊まりに行ったりすればきっと大丈夫だよ。それに頼りになる友達もいるしね。力を貸してもらおう」

 それってあのリシェルも含まれているんだろうか…… それはそれで不安だけど、ディックがいれば何故か安心すると感じていた。

「ありがとう、ディック。それと色々と迷惑を掛けちゃってごめんね」

「気にしないでよ、僕たちはもう友達なんだからさ、支え合っていこうね。よーし、出来たよ。味見した感じは大丈夫だと思うよ」

 『支え合っていこう』ってそういう意味で言ってるんじゃないんだから勘違いするな、勘違いするなと頭の中では分かっているはずなのに何故かにやけてしまう。
 
 変なこと考えるのやめようと思ってディックの用意してくれたシチューを口の中に入れる…… あー、ダメだ。今日のあたしは変だ。泣いてばっかりだ。
 
「ちょっ…… えっ? セ、セリーヌ? もしかして美味しくなかった? 吐き出していいんだよ」

「ちっちが…… ごっごめ…… おいじい…… ……っ……ぐすっ…… あったかくて……」

 母さんが死んでから父さんもあたしを育てる為に必死に働いてくれて、でも引っ越しが多いから友達を突き放して友達を作らない様にって、父さんが仕事で居なくてリーザさんと二人の生活も多くて…… あたしは自分でも気が付かない内に心が冷たくなっていったんだと思う。
 
 何があっても耐えられるようにって、辛い事にも平気な様にって本能的にそうしていたんだと思う。
 
 でも、ディックの手料理で全部それらが溶けていってしまうのを感じる。
 
 
 
 酷いよ、ディック…… あたしの今までの全部を台無しにして、あたしの心を掻き乱して…… 責任…… 取ってよね。
 
 
 
 この日、一人でいるのが怖くなったあたしはディックの家に泊めて貰う事になった。
 
 翌日になり父さんはあたしに謝ってくれた。そしてあたしは生まれて初めて我儘を父さんに告げた。
 
「父さん、あたしね…… もう引っ越しは嫌なの。離れたくない友達が出来たの、だから父さんが仕事で遠出してもこの村で待つことにするからね。絶対!」
 
 父さんは間を置かずに了承してくれて「我慢させて申し訳なかった」と言われた。

 それ以降は父さんが仕事で村を離れるときにはディックの家にお世話になったり、うちに泊まりに来てくれたりした。
 
 その時は必ずと言っていい程にあの三人がやってくる。
 
 ディックが言うところの『頼りになる友達』という奴らだ。
 
 あの事件以降、ディックが紹介してくれた邪魔者――もとい友人だ。泊まり以前に二人でいようとすると必ずエンカウントする厄介な存在でもある。
 
 アリス――
 
「セリーヌ、僕達を出し抜こうだなんて考えが甘すぎるよ」

 マリー――

「セリーヌのおじ様からはディックの家だけではなく、うちにも連絡を入れるようにちゃーんと伝えていますからね」

 リシェル――

「神はあなたを見張っています。ふしだらな行為を許すわけには参りません」

 全く…… 悔しいから口にはしないけど、この子達のおかげで私の心は冷たくなる必要が無くなった。



 そして、ディック――あの日ピンチを救ってくれたあたしのヒーロー。


 
 最初は「こんなの吊り橋効果でしょ。勘違いよ、勘違い」なんて自分に言い聞かせてたけど、時間を追うごとに、一緒にいる度に気持ちが高ぶっていくのが分かる。
 
 もう誤魔化しはきかない。
 
 認めるしかない。
 
 偽りたくない。
 
 君にとっては人助けなんて当たり前の行為だったのかもしれないけど、あたしにとっては人生で初めての経験であり、初めての感情。
 
 
 
 ディック…… あたしね、君の事が好きなんだ。
 
 
 
 君は鈍感すぎて全く気付いてくれないからあたしから言ってもいいんだけど、なんかそれも悔しいな。
 
 だからね、君を振り向かせて見せる。好きだよって言わせてみせる。
 
 恋する女はしぶといんだから、覚悟しておきなよ!