~ ディックがゴブリン洞窟に向かっている最中の宿屋内 ~
「「「「こっ、これは!」」」」
ディックが一人で『えいえいおー』等と不思議ちゃんな挙動をしている所をつい目撃してしまった四人
「「「「と、尊みが過ぎる」」」」
その光景に四人は手を口に当てて号泣しかける限界オタ化していた。
「マリーは後で今のシーンだけ切り抜いて別動画として共有ストレージに保存しておいてくれ」
「リシェルはあの尊過ぎるポーズの部分だけ抜き出してスクショした画像を元にアルバム化してくれ」
「アリスは…… 大人しくしててくれ」
唐突なリーダーシップを取り始めるセリーヌ達に悲劇が起きるのはまさにこれからであった。
それはあの四人にとっての天敵――いや、忌むべき存在、呪っても呪っても呪い足りないとも言うべきあの撒いても撒いてもどこまでも追ってくる追跡魔、もはやディックのストー〇ーと言っても過言ではない女の声に脊髄反射した。
「ディックくーん、待ってくださいっすー」
超高性能小型追跡機のスピーカーから四人が耳にしたディックを呼ぶ生クリームに角砂糖一万個ぶち込んだが如くの甘々しい声の主――ロクサーヌ
「あのメスガキ! まさかまさかとは思っていたけど、私達が別行動している事に速攻で気付いてんじゃないわよ!」
「ヤバイ、あいつディックと一緒にゴブリン洞窟に向かおうとしてる。穴場スポットであることを知ってたというの?」
「マ、マズイですよ。私もいつかディックとゴブリン洞窟をデートに使う予定だったのに!」
マリーがブチギレている中、焦り過ぎたセリーヌとリシェルはゴブリン洞窟を利用する気満々であった事を声に出してつい暴露してしまう。
「ほう、セリーヌとリシェルとは後でじっくりと話し合う必要がありそうだね」
そんな中でも冷静に仲間の声を聞いて自分ですら知らなかった穴場の情報をひた隠していた二人にお仕置きする気満々のアリス。
セリーヌとリシェルは『しまった』とついポロリしてしまった事を後悔するも時すでに遅し。
その直後の事であった――超高性能小型追跡機のモニターにノイズが走り出す。スピーカーから発する声も音割れがどんどん酷くなっている。
「ヤバイ、洞窟の中に入っていったから回線が細くなって向こうのデータを拾いきれない」
マリーが焦りだす。このままでは洞窟内部で行われるかもしれない最悪の事態に対処しきれない。
必死に対応策を考えるマリー。残りの三人は魔道具には明るく無い為、マリーの閃きに期待することしかできないポンコツ。
『ハッ!』と閃いたマリーは現在追跡させている魔道具と同系統のモデルを三機バッグから取り出す。
それと付属のマニュアルも三人に渡してマリーが説明を始める。
「あんたたちは今から渡した追跡機をマニュアル操作してゴブリン洞窟まで飛ばすの。アンタ達が操作する追跡機を電波の中継器とする仕組みを設定してディックに付けている追跡機に電波を送る必要があるんだけど、そもそも機能がないからソースコードを一から起こして書き上げてからモジュール化して追跡機に組み込む必要があるの。私は今からそれをやらなきゃいけないからアンタ達に構ってあげられる時間がない。自分たちでなんとか頑張りなさい」
オタ特有の早口言葉に三人の顔が青ざめる。マリーの発言の意味の大半は理解できていないが、自身がやるべき事はなんとなく分かった。セリーヌとリシェルだけは……しかしアリスは宇宙語で突如話しかけられたかのように挙動不審になっていた。
アリスは魔道具が苦手――所謂機械オンチなのだ。
アリスがマニュアルと追跡機を交互に見ながら『え?え?え?』と言ってる間にセリーヌとリシェルは追跡機を起動してマニュアルを見ながら操作を必死に覚えている。
刻一刻とディックへの危険が迫っている中(予想だがほぼ確定)、アリスは未だに追跡機の起動すらおぼつかない。
マリーは空中に魔導キーボードを展開して『カチャカチャカチャ……、ッターン!』をひたすら繰り返している。
未だにアリスは混乱している。キョロキョロしながら三人の動向を伺っているが、セリーヌとリシェルの方は追跡機の操作に慣れて来たのか部屋の中を縦横無尽に飛ばせるようになっていた。
自分だけが何もできていない事に焦り、全身から震えと汗が止まらなくなっていた。その目には涙すら浮かべていた。
セリーヌとリシェルは完全に慣れたのか、部屋の窓を開けてゴブリン洞窟に向けて追跡機を放った。それぞれモニターも出力できるし、キーボードも出力させる程慣れてきている。
しかし、現実は非常である。アリスは何も進んでいるように見えない。
その様子を横目で見ていたマリーはアリスに冷静に告げる。
「アリス、このままだとディックの貞操は私でもなくセリーヌでもなく、リシェルでもなく…… もちろんアリスでもない。横から突然湧いて出て来たロクサーヌに奪われるのよ? ディックが汚されるのよ? 純真無垢なディックが女慣れしてしまうのよ? 『やっぱりロクサーヌさん以外じゃ満足できないなあ』とか言われてもいいの?」
マリーの死刑宣告とも言えるありえる現実の未来にアリスは顔を真っ青にして歯をガチガチ鳴らしながら震えている。
アリスは死人の様な顔色で震えているが…… それでもギリギリで声を絞り出す。
「ヤダ…… ヤダヤダヤダ! ディックは僕だけのものなんだ! 僕だけを見て欲しいよ! 僕だけに溺れて欲しい! 僕だけを愛してほしい! 僕以外の女の名前を口にして欲しくない! 僕以外の女に触れてほしくない! 僕以外の女に汚されるなんて絶対嫌だ! 僕以外にディックの種で孕む女がいる世界なんて絶対に嫌だ! ロクサーヌどころか大切な幼馴染である君たち三人を始末してでもディックを手に入れるのは僕なんだあああああああああああああああ」
アリスが世界に決意表明したその時! アリスの身体から光が迸る。その光の上空にはまるで女神の様な女性が佇んでいた。
三人はアリスの聞き捨てならないセリフを聞いてこめかみに青筋を立てるものの、『まあ、いつでもこんなポンコツ始末できるやろ』と思い、アリスの発言を保留してアリスから出現したと思われる女性に注目していた。
女性はアリスに向かって告げる。
『勇者よ、汝の想いは我に、世界に確かに届いた。故に願いを叶えよう。一つだけ申すがよい』
アリスはその悲痛の想いを口にする。
「お願いします。僕に…… 僕に超高性能小型追跡機の使い方が理解できるようにして欲しい」
「「「ちげええええええええええだろおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」
三人の強烈な突っ込みにアリスは『え?違うの?』とまるで理解を示していない。
「他にあんでしょーが! ディックひとりだけ街に転移させれば貞操の危機はなくなるでしょうが!」
大人しいはずのリシェルの怒涛の突っ込みにアリスは『ハッ!』とするが、これもまた時すでに遅し。アリスは『ちょっ!まっ!』と言いつつも、もはやその願いは届かない。
女性は『願いは叶えてやった。さらばだ』と光と共に消え去ってしまった。
アリスは先程まであった悲痛な表情とは打って変わって今はとても清々しい表情をしている。
何事もなかったかのように『さあ、挽回しようか』と三人に満面の笑みで答えるが…… 三人は『死ね!ポンコツが!』とアリスの不甲斐なさを懇切丁寧に指摘していた。
ディックは知らない。世界の命運を変える女神を相手に一人のポンコツが全てを台無しにしたせいで三人の苦労人がいることを。
女神がいなくなってからというもの、アリスの勢いはまさに圧倒的。
つい数分前まで機械オンチだったとは思えない程の操作っぷり。
マニュアルを読み込まなくても超高性能小型追跡機の起動が行えるようになり、操作も何度か試しただけでゴブリン洞窟まで飛ばせるくらいには成長している。
本人はとても嬉しそうにしているが、先程の失態を三人は忘れておらずジト目でアリスを見つめていた。
「き、君たち…… いい加減に機嫌を直してくれないかな? 確かに願いの内容を誤ってしまった事は認めるが、もしかしたら今後もこの技能を生かす機会が来るかもしれないだろ?」
「生かす機会――それってまたディックがそういった目に会うかもしれないって事でしょ? こんな技能生かす機会なんて来ない方がいいのよ」
「アリスの言う事は一理ありますよ。二年もあるのに早速ディックがこんな目に会ってるじゃないですか。これからもドンドン起こりえますよ。そんな気がするんです」
リシェルの『そんな気がする』は大体――いや、ほぼ当たる。
特に自分たちが嫌だと思う事程良く当たるので、三人からは『死神リシェル』と呼ばれていたりするが、本人に直接言うと神官なのに死神扱いは流石に可哀想なのと呪われそうだしなので心の中だけに留めておく辺り、思いやりの心を持ち合わせていると本人達は思っているようだ。
「ヨシッ、行くぞ!」
アリスの自信満々の叫びに部屋の窓を飛び出していったアリスが操作する超高性能小型追跡機。
アリスは失態を無事に回避することができるのか!?
ディックの貞操の危機を救う事が出来るのか?
~ アリスが超高性能小型追跡機を飛ばした後のゴブリン洞窟内(物置) ~
ロクサーヌはディックの頬に手を添えていた。ディックの肌の感触を確かめているロクサーヌ。
「ねえ、ディック君。間近で見ると本当に可愛いっすねえ。女の子と間違えられたりしませんか? しかも――うわっ、肌が凄いキメ細やかだし、シミも一切ない。傍から見たら男にしておくには勿体ない逸材っすけど、今のウチからしたら男で良かったーって心底思うんすよね」
とっくに超高性能小型追跡機から発せられるアラート通知条件である半径一メートル以内には入って入るのだが、電波が全く通っていない故に勇者パーティにはディックの危機がまるで伝わっていないのだ。
「ダッ、ダメですよぉ。お嫁さんになる人以外は触らせちゃダメって四人に言われてるんですぅ」
ディックは赤面して呼吸を荒くしながらもなんとかロクサーヌに思いとどまらせようとするが、ロクサーヌにはそんなものお構いなしである。
「それはおかしいっすねえ。だってあの四人とは結婚してないのにディック君と毎日イチャコラしてるじゃないっすか」
「イチャコラ? が何かはよく分かりませんけど、みんなが言うのには『私達は家族枠だからセーフ』って言ってましたあ」
(どんなローカルルール展開してんすか、あの人らは…… ご都合主義にも程があるんすけどねえ。でも今のではっきりしたっす。ディック君の性知識の乏しさはあの四人達が情報規制していたからに他ならない。とんでもない害悪っすね。年頃の男の子であれば女の子の身体に興味津津であるべき――いや、そうでなければいけないのに)
ならば今こそ自分がディックに異性の良さを教えなければならない。ロクサーヌに新たな使命感が湧き上がる。
ロクサーヌはディックの首筋に顔を近づけて鼻尖を当てる。
「ひあぅっ!ハァ…… ハァ……」
ディックは家族枠以外の女性と密着するのは生まれて初めてだったため、どうしていいかわからない。女性に暴力を奮ってはいけないと育てられているため、突き飛ばす事も出来ない。只々されるがままである。
(ヤッバ、めっちゃいい匂いする。ディック君の匂いを初めて嗅いだけど、そういうことだったんすね。マリーさんがしょっちゅうディック君の匂い嗅ぎまくってるから匂いフェチのド変態かと思ったけど――なるほど、これは納得っす)
「ごめんなさい、ディック君。ウチもう本当に我慢できないっす」
ディックの匂いにやられたのか、我慢も出来ないロクサーヌはディックの首筋を舐めようとした
その時!
~ 再び宿屋のお部屋内 ~
「アリス、まだなの?」
「すまない、もう少しなんだが……」
マリーがアリスを急かすが、いくら急かそうとも超高性能小型追跡機にも限界がある。操作をマスターしたとは言えども、限界以上の性能は流石に出す事は出来ない。
アリスとて歯がゆい気持ちにはなっているのだ。自分が先ほどまで足手まといでようやく操作ができるようになったいってもディックの危機が去った訳ではない。
じれったい気持ちを抑えつつ、ようやく目的地が見えて来た。
「見えたぞ、マリー。こちらのモニターにゴブリン洞窟が映し出された」
「わかったわ。こちらも準備が整ったから各超高性能小型追跡機に追加モジュールを転送するわ」
マリーは三人が操作する超高性能小型追跡機には今まで搭載されていなかった機能である電波中継器の役割を果たす為の追加用モジュールを転送後、有効化するための手順一式を三人に送っていた。
「アリスの馬鹿でも理解できるように丁寧に作ったつもりだから、リシェルとセリーヌは問題ないと思うわ」
「き、基準が酷いと思うんだが、マリー……」
ぶつくさ言いながらマリーが用意してくれた手順書を見ながら各自作業を進めていくがアリスは超高性能小型追跡機の操作以外は変わらずポンコツだったため、マリーの手順書も理解出来ていなかった。
その間にリシェルとセリーヌは作業を終わらせて超高性能小型追跡機を指定先の配置にも着かせた。
「マリー、すまないがコンソールの起動ってどうするんだい?」
「はぁ? 書いてあるでしょ、手順の最初の所を読んでないの? 飛ばして読んでない?」
どうやらマリーの指摘が合っているようで、アリスは順序通りに手順書を読んでいなかった。いや、読めていなかった。
女神への願いの内容は『知能指数を上げる事』にした方が良かったんじゃないかと思う三人であった。
マリーの手助けもあり、ようやくアリスの方も作業が終わった所でモジュールの有効化を行った。
最後の超高性能小型追跡機が中継器の役割を果たしてようやくディックを追跡している超高性能小型追跡機まで電波が通じる様になった……
その時!
ディックの超高性能小型追跡機からけたたましいビープ音が発生され、部屋の中に鳴り響いた。
その音量たるや、鼓膜に異常が見つかるかもしれない程のボリュームでマリー曰く『設定ミスった』という事なのだから三人からしたらいい迷惑である。
そしてそのビープ音の意味を理解していた四人。マリーが操作していた超高性能小型追跡機から送られてくる映像が回復した様でモニターに映し出されたその光景とは……
今まさにロクサーヌがディックに抱き着いて首筋を舐めようとしていた瞬間だったのだ!
アリスの さついのボルテージが あがっていく!
セリーヌの さついのボルテージが あがっていく!
リシェルの さついのボルテージが あがっていく!
マリーの さついのボルテージが あがっていく!
四人共、眼のサイズが通常の倍くらいに大きく見開き血走った状態でモニターに釘付けになっていた。
「コロス」「コロスシカナイ」「イマスグコロス」とアリス、セリーヌ、マリーの三人の意見が一致した瞬間だったが、三人とは別に無言でマリーの端末に近寄ってコンソールを開き、スタン用のコマンドを冷静に叩いた人物がいた。
その名は『リシェル』
リシェルの 10まんボルト!
こうかは ばつぐんだ!
あいての ロクサーヌは たおれた!
その瞬間モニターの向こう側で『あぎゃっ!』と声が聞こえた瞬間ロクサーヌが倒れていたのだ。
「クッ、ククク…… クヒヒ…… ウヒヒヒヒヒヒ…… ケヒャヒャヒャ…… アーハハハハハハハハーハハハハハハハハハ」
部屋中に響く不気味な笑い声。三人は夜に聞いたら絶対に眠れなくなるようなリシェルの笑い声で我に返り、引きつった表情でリシェルを見ていた。
当のリシェルはというと…… 突然菩薩の様な微笑みで三人に諭すように待ったをかける。
「ダメですよ、まだ殺しては。ディックに手を出した以上相応の神罰が必要になります。そうですね――まあ千回生まれ変わっても私達とエンカウントする度に自ら死を懇願したくなる程の恐怖と絶望を味わわせる事は最低条件でしょうね」
『死神リシェル』が顔を出している。暴走癖のあるアリスですらこの状態のリシェルには口を出したくない程の底知れぬ恐怖を感じてしまう。
リシェルの場合、神の罰を与えるというより地獄に連れていくという方がしっくりくるんじゃないの? という突っ込みをしようものなら、きっとロクサーヌと一緒にお仕置きをされてしまいそうなので、黙っておくことにする三人だった。
ディックは知らない。突然倒れたロクサーヌは死神の不評を買ってしまったからに他ならないという事を。
ディックの目の前で突然『あぎゃっ!』と潰れた爬虫類の断末魔に似た声を上げて倒れたロクサーヌ。
ディックはロクサーヌの攻めにどうしていいのか分からなかったため、目を閉じていたが寄りかかっていたロクサーヌが倒れた事に気付いた。
「あ、あれ? ロクサーヌさん? ど、どうしたんですか? しっかりして下さい」
慌ててロクサーヌを起こそうと、膝枕の体制を取ってロクサーヌの頬っぺたを『ペチペチ』と叩くディックには一抹の不安があった。
(もしこんな場面四人に見られでもしたらどうしよう…… 未婚の女性に触れる事は世界の真実に触れるのと同等の禁忌だと散々言われてるのに――でも今は緊急事態だからきっと許してくれるよね)
どんな理由、事情があったとしてもディックの事はともかくロクサーヌの事を許すはずがないのがこの世界の勇者パーティーなのである。
そしてロクサーヌの断末魔に加えてディックのロクサーヌへの呼び掛けの音量もそこそこあった為、この洞窟内にいる別の生物がその反響した音に気付かないはずがなかった。
そう、洞窟の主『ゴブリン』である。
ディックは呼び掛ける事に必死になり、物置に近づいてくる足音に全く気付いていなかったのである。
そして、扉は開かれる。
扉を強引に叩いて開いたような音にディックは『ビクッ』と反応して音の方に顔を向けると、そこには多数のゴブリンが立っていた。
「そ、そんな。このタイミングで……」
ゴブリンはディック達を見るやいなや、嬉しそうにニンマリして男性の象徴たる三本目の足がぐんぐん伸びているのがわかる。それはディックを孕み袋と見ているからに他ならない。
ディックはその様子を見て生理的嫌悪しているのか、顔を青ざめて「ヤッ、ヤダッ」とやっぱり生まれた性別を間違えたんじゃないの? という程の艶めかしい声を出して震えていた。
しかし、それも一瞬の事でロクサーヌが自分の太ももで寝ている事を思い出し、ロクサーヌを起こさない様に頭をゆっくりと地面に置いてディックが前に立った。
これは四人から散々「男子たるもの女子を守るべし」と教えを受けて来たからに他ならない。のはずが、冒険者になってからは立場が逆転してる事に誰も気にしていないのは言うまでもない。
多数のゴブリンの前に震えながらも立ち上がったディック。
無事にロクサーヌの命と自分の貞操を守る事ができるのか!?
~ ロクサーヌが倒れた直後の宿屋内に戻る ~
そこで四人がモニターで目にしたものとは――倒れたロクサーヌを介抱しようとディックの膝枕で眠っているロクサーヌという四人からしたら度し難い光景だった。
四人は絶句していた。
何故ならディック自らロクサーヌを介抱するというシーンを目撃してしまったからだ。
確かに『女性には優しくすべき』という教育をディックに散々教えてきたが、何も自分達が見ている前で自分達以外の女にその成果を発揮する所を見るなんて夢にも思っていなかったであろう。
そして、四人は同時に同じことを考えていた。『何故そこにいるのが自分ではないのか』と……
だが、その考えは即座に終了せざるを得なくなる。
モニターの範囲外から下卑た声がスピーカーを通じて入ってくる。
「マリー、先程のリシェルの笑い声の数倍汚くした声の主を移してくれ」
死神リシェルは既に鳴りを潜めたため、散々ビビらせてくれた御礼と言わんばかりにアリスの子供じみたお返しなのであった。
尚、リシェルは笑顔でこめかみに青筋を立てて『このポンコツ後でブッコロ』と考えているのは言うまでもない。
マリーがモニターを指定の場所を移すと、そこに移っていたのはどう見てもディックに欲情している多数のゴブリン達の姿。
「ほう、ディックに欲情するそのセンスの良さだけは認めてやるが、ディックの貞操を散らそうものならば、その前に貴様らの命を散らす事になる」
これだけは使いたくなかったが――もはや発動もやむを得まい。アリスが急速に魔力のチャージを始める。
アリスが勇者だと言われる所以。それは世界でただ一人アリスのみが使用可能な究極広域生体破壊魔法である
《私のディックに群がる全世界の害虫共よ!この輪廻の輪から消え去るがいい》
アリスとディック以外のありとあらゆる生命体――そう、人間を始めとした知的生命体のみならず全ての植物、動物等をこの世界から根絶してしまい、輪廻転生すら許さない為に代償はあまりに大きい。
これならばアリスとディックが何時か死んで生まれ変わっても、何度でも出会えると考えているようだが、先の事や周りの事は一切お構いなしの魔法であるため、危険度は高い。
ぶっちゃけ荒廃した世界になってしまうため餓死待ったなしである。
ところがどっこい、単細胞生物アリスの考えなどお見通しなマリーさんは既に対アリス用カウンター魔法を開発済みだったのだ。
「アリス! アンタ、それを使うのだけは止めなさい。全く仕方ないわね」
マリーも対抗して魔力をチャージする。
それは――
《私は世界の理を書き換える。そして私とディックがこの世界の神となる》
この世界の理をマリーの思い通り――自由自在に改変できる魔法。マリーから言わせればアリスの魔法は所詮ただの幼稚な攻撃魔法でしかないため、その結果すら簡単に覆してしまう魔法。
本人は使う気はないのだが、いつアリスからメンヘラが『こんにちわ』するかわからないため、発動トリガーをアリスの究極広域生体破壊魔法発動時に設定している。
ディックがゴブリンと格闘中(?)に二人も世界を超個人的な理由で巻き込む戦いを行おうとしていたのである。
宿屋が二人の魔力で地震でも発生したかのように震えだすと、下の階からどたどた愉快な足音を立てて上がって来た人物が部屋に飛び込んできた。
「アンタ等、さっきから何やってんだい! こんな狭い宿屋で散々どでかい魔力溜め込みやがって、ウチをぶっ壊す気かい!」
入って来たのは宿屋のおかみだった。おかみはアリスとマリーを睨みつけながら顔の前で人差し指と中指を立てて呪文を唱えていた。
《私の聖域を侵すものは神とて許さぬ》
「「なっ!!」」
宿屋のおかみの結界発動によりアリスとマリーの魔法はかき消されてしまった。
「『なっ!』じゃないわ。何ウチの宿の中で物騒な魔法唱えようとしてるんだい」
おかみはマリーとアリスに拳骨を食らわせていた。二人は頭を押さえながら悶絶していたが、よろよろと立ち上がると事情を説明した。
「――という訳でディックのピンチなんです」
「そもそもディックを鍛え上げる為の追放劇だったんだろ? こんなことで介入してたら何時まで経っても強くなれないだろ」
「そうなんですけど、思ったよりゴブリンの数が多くてですね…… ディック一人だけではどうしようもない事態なんです」
おかみが見ていたモニターに映し出されたのは、ディックが必死にゴブリンをロクサーヌに近づけまいと応戦している中の光景だった。
「ふむ、たしかにディック一人の手には余るね。セリーヌ、あんたちょっとゴブリン洞窟までササっと行って数を減らしてきな」
「い、今からですか? 間に合うかな……?」
おかみは「大丈夫」というとセリーヌの肩に手を乗せて《たんぱく同化ステロイド》を唱えた。
「アンタは元々足が速いだろ、これですぐ着くよ」
セリーヌはおかみの身体強化を受けて、窓から飛び出していった。三人が窓に振り返った瞬間、もうセリーヌの姿は見えなくなっていた。
ディックは知らない。ディックを救うために宿屋内で世界を幾度となく終わらせることの出来る魔法合戦の応酬が行われていたことを。
セリーヌはおかみの身体強化もあり、早々にゴブリン洞窟に着いてしまった。
躊躇う事もなく一気にゴブリン洞窟内部を突っ走るセリーヌの目の前には二手に別れる分岐があった。
セリーヌはポケットからケースの様な物を取り出し蓋を開けるとそこに入っていたのは――ディックの体毛だった。
セリーヌの趣味はディックから落ちた抜け毛を瞬時に見抜き、本人にバレる前に収集する特殊スキルを持っていたのだ。
そして極めつけは体毛の部位すらも見抜く事が可能で保管時も部位毎に分けられているというこだわりの徹底ぶり。
そしてその体毛の匂いを嗅ぐ事でディックの現在位置まで判別可能なセリーヌならではの専用スキルなのである。
その名も――
《世界のどこにいてもディックは必ず見つけ出す》
そのスキルでセリーヌは既にディックの位置を補足済みであり、道中に見かけたゴブリンを素手で蹴散らしていく。
その際は思い切り壁に叩きつけたり、派手な音を出したりせずといったまるで暗殺者の様な動きでゴブリンの数を減らしていく。
ゴブリン達の注意は完全にディックに行っているため、後方などはまるで気にしていないからこそセリーヌが数を減らしてもまるで気付いていない。
ディックでも対応可能と思われる数まで減らした所で一度引き返し、二手に別れる箇所の逆の方に進む事にしたセリーヌ。
ゴブリン洞窟のはずなのに何か嫌な予感がするとセリーヌの直感が訴えている。
奥に進めば進むほどに嫌な予感が強くなってきている。間違いない…… この先に何かいる。
曲がりくねった道を進んでいくと徐々に明るくなっており、更に進んでいくと開けた場所に行きついた。
「何…… ここは?」
中央奥には祭壇の様な凝った意匠のデザインの壇が飾られている。そのど真ん中には像が立っているが見たことがない像だった。
ゴブリンが信仰でもしている人物の類だろうか? そもそもそんな知能がゴブリンにあったのかとセリーヌは少々驚きを隠せなかった。
そして像の前で祈りを捧げている影はローブを纏っているせいか顔や体格ははっきりしないが恐らくゴブリンだろう。
そしてそのローブを纏ったゴブリンの後方にローブは羽織っていない為、後ろからでもゴブリンとはっきりわかるが二十匹程同じように祈りを捧げている。
セリーヌは音を立てないように少しずつ近づいていくが、その時黒い影が突然現れてセリーヌを吹き飛ばして壁に直撃した。
「ヘェ、オモイキリ蹴リ飛バシタケド、ソノ程度ノ損傷トハヤルナ」
壁には吹き飛ばされたものの、攻撃は直前でガードしていた為、相手の想定よりもダメージは少なかった。
「いたたた、あたしがゴブリンの動きを見失うとは思わなかったわ…… 何者かしら?」
「オレノ名前ハ『ラスネラガル』。ゴブリン族ノ勇者ダ」
セリーヌは正直驚いていた。ここまでの強さを持つゴブリンもさることながらまさか会話できる知能まで持っているとは思っていなかったからだ。
目の前にいるラスネラガルもそう、祈りを捧げているローブを着ている奴もそう、ゴブリンはただの低レベル冒険者に狩られるだけでの存在ではなないと結論付けて頭を即座に切り替えた。
一見頭が悪そうなセリーヌは戦いにおいて相手に対する判断及び切り替えがパーティの中で最も早いのだ。
よって目の前にゴブリンも『ただの喋るゴブリン』ではなく『自分達への脅威を十分に持つ知的生命体』として判断した。
「成程ね…… それで、そのゴブリンの勇者さんはこんな所で何をしてるのかな? 見た所随分と物騒な儀式をしてるみたいだけど」
「我ラノ神デアル邪神様ニ祈リヲ捧ゲテイルノダ」
「邪神? 君達って魔王の配下じゃないの? 崇拝対象を変えたりしてるの?」
「ゴブリンノ全テガ魔王ノ配下デハナイゾ。一枚岩デハナイトイウ事ダ」
まさかゴブリンの洞窟でこんな展開になるとは思っていなかったセリーヌは悩んでいた。
この世界は女神リルデムールの一神教だと思っていたが、邪神なる別の神という存在がいたなんて夢にも思っていなかったからだ。
それに魔物だからと言って魔王配下とも限らないという情報も重要であるため、さっさと宿屋に戻って情報の共有を行いたかったのだ。
しかし、パーティメンバーに相談しようにも全員宿屋にいる上に今すぐ戻ろうものなら間違いなくディックが殺されてしまう。
セリーヌの判断は……
「とりあえずここにいる全員ぶちのめしてから話をじっくり聞かせてもらおうかな」
「オモシロイ、ヤッテミロ」
セリーヌは腰にぶら下げていた剣を抜いて構える。両者が見合ってラスネラガルに切りかかるが、セリーヌの剣撃を受け止めラスネラガルも攻撃を仕掛けるといった形で交互に仕掛けていく。
両者の攻防はほぼ互角で致命打を与えられないまま切り結んでいく。一旦、お互い距離を取り直して再び構えなおす。
「オマエ強イナ、コンナ女初メダ。決メタゾ、お前ヲ俺専用ノ孕ミ袋ニシテヤル」
その発言を聞いたセリーヌは『ガッカリ』と言わんばかりにため息を漏らす。
「はぁー、ガッカリだね。普通のゴブリンとは違うみたいだから感性や価値観が異なるのかと思ったけど、その辺は普通のゴブリンのままだね」
「何ガ問題ナノダ? 俺は強インダゾ。人間の女ダッテ強い男ノ方ガ嬉シイダロ」
「相手に求めるものが強さってそんなに重要な事? まあ、そういう男が趣味って女の子もいるのは否定しないけどさ、私は自分で言うのもなんだけど人間の中でもかなり強い部類だから相手にそんなものは求めないんだよね」
「意味ガワカラナイ」
ゴブリンは常に戦いの中で生きていた種族。部族では強いものが正義になってしまうため、人間とは価値観が異なるようでセリーヌの言っている異性に求めるものをラスネラガルは意味を理解できないでいる。
「例えば家に帰って来た時に笑顔で出迎えてくれたりとか、一緒に手を繋いで買い物に出掛けたりとか、一緒に料理作ったりとかね…… うん、そういうのがあたしは好きなんだよね」
「スキ……? 全然ワカラナイ」
セリーヌの表情はもはやガッカリを通り越して可哀想という表情になっている。
「好きって感覚分からないの? すぐ隣にいてドキドキしたりとか一緒に遊んでバイバイする時に胸がキューっと締め付けるような感覚。この感覚が分からないなんて可哀想だね、あたしから言わせたら生きてる上で半分以上は損してるね」
ゴブリンは常に(以下略
「スキ? ソレ必要カ? 気ニ入ッタラ孕マセレバイイダケダロ」
口を開けばすぐに孕ませるという言葉を出してくるラスネラガルにセリーヌはうんざりしていた。
「君達流に言えばさ、そりゃ究極的には好きな男に孕ませてほしいんだけどね。でもそこに至るまでの過程っていうか、邪魔者が多くて苦難の道のりだけどさ…… それを乗り越えて手に入れたい男がいるんだよ。そう、あたしはディックに恋してるからさ」
ゴブリン(以下略
しかし、ラスネラガルにも今の話の中で『ディック』が男である事、セリーヌが自分ではなくディックしか見ていない事に苛立ちを覚えていた。
「ディック…… ダレダ?」
ディックの事を聞かれて一気に嬉しそうになるセリーヌ。セリーヌは頬を赤らめて昔を思い出していた。
「ふふん、それじゃ君たちに教えてあげよう。あたしとディックの出会いって奴を」
ディックは知らない。自分の知らない所で嬉しそうに自分の事をゴブリンに語りだす幼馴染がいることを。
あたしがディックと初めて出会ったのは、七歳の時だった。
父親の仕事が行商人ということもあって売れる物、売れる場所があれば品物を仕入れては各地を回っていた。
母親は早くに亡くして父一人だった為にお手伝いさんを一人雇ってはいたが、父も小さい子供を置いていけないと思ったのか父親の仕事に合わせて一緒に着いて行く生活を送っていた。
そんな生活を送っていたものだから、どこかに引っ越しをして友達を作ってもすぐにサヨナラをすることになってしまう。
これが繰り返されると小さいながらも「またこのパターンか」と理解してウンザリしてしまうので、もう友達なんて作らない方がいいんだろうなと考えていた。
そんな考えを固めて七歳になった直後にまた引っ越しがあり次に辿り着いた村があった。
村に着いてから引っ越しの荷物を荷ほどきしている時に視線を感じた。
そちらの方に視線をやると隣の家の少年がこちらをチラチラ見ていた。
その視線が鬱陶しかったから荷物を家の中に入れて荷ほどきの続きを行うと、流石に家の中までは覗こうとはしなかったみたいだった。
作業が終わってすることもなかったから外に散歩に行くと、覗き見していた男の子が話しかけて来た。
「待ってー」
あたしは振り向いてそっけない態度で話しかけて来た男の子に返答する。
「何か用?」
「僕はディック、君の名前を教えてよ」
「セリーヌ」
「セリーヌだね、お隣さんだからこれからよろしくね。良かったら村の中を案内するよ」
「よろしくはしないわ、どうせ直ぐ居なくなるし…… あたしには構わないでくれる?」
「来たばっかりでしょ? どうしてすぐ居なくなっちゃうの?」
まただ…… 引っ越し先で毎回と言っていい程行われるこのイベント…… 説明するのも面倒だから男の子――ディックを突き放した。
「五月蠅いなあ、君には関係ないでしょ。いいから放っておいて」
あたしは走って逃げた。追ってこない事が分かると、きっと初対面なのに突き放したあたしにガッカリしてるのかもしれないと思って少し胸が痛んだ。
数日たったある日の事――
お手伝いさんのリーザさんから森に山菜や茸が取れる場所を村の人から聞いたから一緒に行かないかと言われた。あたしもやる事ないし暇だったから着いていくことにした。
森の中に入ってしばらくすると陽の光が届きにくいような暗い場所に差し掛かって怖くなってきたが、リーザさんが一緒だったから怖い気持ちはあっても何とか耐える事が出来た。
「セリーヌさん、そこに山菜が生えているか見て貰えますか?」
リーザさんが指を刺した場所は崖の付近だった。あたしはゆっくりと近づきつつ山菜が生えていないかを確認した。
が、それらしいものは見当たらなかった。
「うーん、見つからないなあ」
暗いせいか中々気付きにくかったが、自分が崖すれすれにいたことが分かって怖くなり一旦引き返そうとした時の事だった
『ドンッ』
と何かに押されたあたしは崖の下に落下した。
そこまで高さがある訳でもなかったけど、落下の衝撃で足を捻挫した痛みで立つことが出来なかった。
「……っ……、一体何が……」
いったい私は何に押されたのか分からず崖の上を見上げるとこちらを覗いていたのは笑顔のリーザさんだった。
「あら、無事だったんですね。もっと勢いをつけた方が良かったかしら?」
「な、何で……? ど、どうして?」
あたしは訳が分からなくなった。小さい頃からお世話してくれたリーザさんの事を母親の様に思っていたのに…… なんでこんな事になっているのか理解が出来なかった。
「『何で?』ですか…… 簡単です。あなたがいるとあの人は私を見てくれない。あなたが消えてくれればあの人は悲しみの余り私に依存してくれるようになる。そうすればあの人の心は私のモノになる…… そういう事です」
あの人って…… 父さんの事? リーザさんが父さんの事を? 全然分からなかった。そんな素振りを見た事すらなかったから。
「この辺って実は村の人でも来ない様な場所だそうですよ。何でかって言うと、夜には肉食の獣が結構出るそうなんです。だから、あなたをここに置き去りにして獣の餌になって貰いまーす」
この人正気なの? 何でそういう事が平気で言えるの? なんで…… そんなに嬉しそうなの? あたしがそんなに邪魔だった? 鬱陶しかった? だったら言ってくれれば良かったのに…… まさか殺したいほどに憎まれているなんて思ってもみなかった。
あたしはきっと絶望していたんだと思う。信じていた人はあたしをここまで疎ましく思っている人だったなんて……。
「ま、待って…… 父さんにはあたしから説明するから置いて行かないで」
「ダメです。貴方が生きているだけであの人は貴方中心の生活になってしまう。だから大人しく死んでください、私の幸せの為に。そうですね、数日後に骨くらいは拾いに来て上げます」
リーザさんは「フフッ」と笑いを漏らしながら一人村に戻っていった。
「お願い! 置いて行かないで!」
何を叫んでも無駄だった。一人薄暗い森の中に取り残されて急に怖くなってきた。
風が吹き木々が揺れて葉擦れの音が余計に怖さを増してあたしは耳を塞いだ。
「イヤ、イヤイヤイヤ! 誰か助けて!」
そんなことを言っても誰も来ないのは分かってる。でも言わずには居られなかった。
時間が経ち、寒くなってきた上にどんどん辺りは暗くなっていき、只でさえ薄暗かった場所が暗闇一色になるまでそんなに時間は掛からなかった。
『夜には獣が出る』そう言われた事を思い出して声は出しちゃいけないと分かっていても、それでも怖くて泣いてしまった。
暗くて、寒くて、心細くて…… 死にたくないって…… そんな時だった。
「セリーヌ!」
私を呼ぶ声が聞こえる…… 幻聴? それでも構わない、獣が来ても構わない。あたしはもうこの声に縋るしかなかったのだから。
「たっ、助けて!」
「セリーヌ!どこにいるの?」
「崖の下にいるの!」
声の主が崖の上にいた。ディックだった。
「良かったー、やっと見つかったよ。村じゃ大騒ぎだよ。セリーヌのおじさんが『セリーヌがいなくなったー』って村人総出で付近を探索してたんだ。セリーヌって村に来たばっかりだから多分村の人が来ない様な場所にも知らずに行くんじゃないかと思って来てみたんだけど正解だったね」
あんなに突き放した態度を取ったのにどうして? と思ったけど、見つけてくれた安心感からあたしはまた泣いてしまった。
「よっ、よが……っだ……っ……」
ディックは崖を軽々しくジャンプして降りて来て、あたしをおんぶしてくれた。ディックの背中はとても温かくて不安な気持ちが一気に吹き飛んで行った。
「ちょっと回り道すると崖の上に戻れるから我慢してね」
「うん、ありがとう」
ディックは戻る途中に「何でこんな場所に来たんだい?」と聞いてきたので事情を説明した。
「なるほどね、お手伝いさんの仕業か…… このまま戻ると危ないかもしれないね。一旦村はずれにある教会に保護してもらおう。その間に両親と村長に話をしてくるよ」
あたしはディックに言われるがまま教会に連れてきてもらった。教会の入口を叩くと同い年くらいの女の子が出て来た。
「あら、ディックじゃありませんか? どうしたんですか? ……ってその子は?」
「リシェル、急に来てごめんね。しばらくこの子――セリーヌを匿って欲しいんだけど、お願いしてもいい? あと、足を捻挫してるみたいだから治療もお願いっ」
ディックはリシェルに事のあらましを説明すると、『は? その人正気ですか?』というリーゼさんの行いが理解できないという表情をしていた。また、事情が事情なので保護してくれる事になった。
ディックはあたしを降ろすと走って行ってしまった。ディックの背中の温かさが無くなる事に心細さを感じていた時にジト目のリシェルに話しかけられた。
「貴方、セリーヌと言いましたね。最初に言っておきますが、ディックは皆に優しいのです。勘違いしてはダメですよ? 貴方にだけ特別優しい訳ではありませんからね」
足の治療をしながら警告してくるリシェル。今ので直ぐに理解できた。この子はディックの事が好きなんだと。あんなに冷たくしたのにそれでも笑顔で優しくしてくれて温かくて…… なんかわかる気がする。
ちょっとからかいたくなって「でもディックは君の恋人って訳じゃないでしょ? ならあたしにもチャンスはある訳だ」なんていうとリシェルは眉間に皺を寄せて「あ”?」なんて凄みをかけてくる。
そんなやり取りをしばらく続けていたらディックが戻って来た。
「お待たせ。事情を説明してリーザさんを捕まえて大人たちは今村長の家に集まって会議してるよ。近いうちに街の方に移送して貰うんじゃないかな? だからセリーヌはうちにおいで。一人だと寂しいでしょ」
リシェルの顔面が崩壊しかかっている。そんなリシェルは放っておいてディックの家に行くことにした。
「ディック、その…… この間は冷たくしてごめんね。あれにはちょっと事情があって……」
「そうなんだ。せっかくだから後で聞こうかな。まずは一緒にうちまで行こう!」
ディックはあたしの手を握って家まで連れて行ってくれた。背中とは違う温かさがあった事は覚えてる。
ディックの家に着いてからは安心感と空腹感のせいで盛大にお腹の音を鳴らしてしまった。恥ずかしくなって顔を手で隠してしまった。とてもじゃないけど今はディックの顔を見れない。
「フフッ、もう少し待ってて、すぐ作るからね」
「ディックって料理作れるの? 凄いね、あたしは全然だめだなあ」
「母さんの手伝いをしてただけだから一から作るのは今回が初めてなんだ。美味しく無かったらごめんね」
ディックの初めての手料理かあ。何故だかその言葉に嬉しさを感じてしまった。
ディックが料理を作ってくれている最中にさっきの事情について話をした。
「引っ越しが多いね…… そういう事情だったんだ。だから別れが辛くならない様にあまり仲良くしない態度をとってたって事なんだね」
「うん…… でも今回の事でまた引っ越しになっちゃうかも……」
「せっかく友達になれたのにそれも嫌だなあ…… よしっ僕もおじさんと話をしてみるよ。おじさんが仕事で村を離れる時はうちに住むか、僕がセリーヌの家に泊まりに行ったりすればきっと大丈夫だよ。それに頼りになる友達もいるしね。力を貸してもらおう」
それってあのリシェルも含まれているんだろうか…… それはそれで不安だけど、ディックがいれば何故か安心すると感じていた。
「ありがとう、ディック。それと色々と迷惑を掛けちゃってごめんね」
「気にしないでよ、僕たちはもう友達なんだからさ、支え合っていこうね。よーし、出来たよ。味見した感じは大丈夫だと思うよ」
『支え合っていこう』ってそういう意味で言ってるんじゃないんだから勘違いするな、勘違いするなと頭の中では分かっているはずなのに何故かにやけてしまう。
変なこと考えるのやめようと思ってディックの用意してくれたシチューを口の中に入れる…… あー、ダメだ。今日のあたしは変だ。泣いてばっかりだ。
「ちょっ…… えっ? セ、セリーヌ? もしかして美味しくなかった? 吐き出していいんだよ」
「ちっちが…… ごっごめ…… おいじい…… ……っ……ぐすっ…… あったかくて……」
母さんが死んでから父さんもあたしを育てる為に必死に働いてくれて、でも引っ越しが多いから友達を突き放して友達を作らない様にって、父さんが仕事で居なくてリーザさんと二人の生活も多くて…… あたしは自分でも気が付かない内に心が冷たくなっていったんだと思う。
何があっても耐えられるようにって、辛い事にも平気な様にって本能的にそうしていたんだと思う。
でも、ディックの手料理で全部それらが溶けていってしまうのを感じる。
酷いよ、ディック…… あたしの今までの全部を台無しにして、あたしの心を掻き乱して…… 責任…… 取ってよね。
この日、一人でいるのが怖くなったあたしはディックの家に泊めて貰う事になった。
翌日になり父さんはあたしに謝ってくれた。そしてあたしは生まれて初めて我儘を父さんに告げた。
「父さん、あたしね…… もう引っ越しは嫌なの。離れたくない友達が出来たの、だから父さんが仕事で遠出してもこの村で待つことにするからね。絶対!」
父さんは間を置かずに了承してくれて「我慢させて申し訳なかった」と言われた。
それ以降は父さんが仕事で村を離れるときにはディックの家にお世話になったり、うちに泊まりに来てくれたりした。
その時は必ずと言っていい程にあの三人がやってくる。
ディックが言うところの『頼りになる友達』という奴らだ。
あの事件以降、ディックが紹介してくれた邪魔者――もとい友人だ。泊まり以前に二人でいようとすると必ずエンカウントする厄介な存在でもある。
アリス――
「セリーヌ、僕達を出し抜こうだなんて考えが甘すぎるよ」
マリー――
「セリーヌのおじ様からはディックの家だけではなく、うちにも連絡を入れるようにちゃーんと伝えていますからね」
リシェル――
「神はあなたを見張っています。ふしだらな行為を許すわけには参りません」
全く…… 悔しいから口にはしないけど、この子達のおかげで私の心は冷たくなる必要が無くなった。
そして、ディック――あの日ピンチを救ってくれたあたしのヒーロー。
最初は「こんなの吊り橋効果でしょ。勘違いよ、勘違い」なんて自分に言い聞かせてたけど、時間を追うごとに、一緒にいる度に気持ちが高ぶっていくのが分かる。
もう誤魔化しはきかない。
認めるしかない。
偽りたくない。
君にとっては人助けなんて当たり前の行為だったのかもしれないけど、あたしにとっては人生で初めての経験であり、初めての感情。
ディック…… あたしね、君の事が好きなんだ。
君は鈍感すぎて全く気付いてくれないからあたしから言ってもいいんだけど、なんかそれも悔しいな。
だからね、君を振り向かせて見せる。好きだよって言わせてみせる。
恋する女はしぶといんだから、覚悟しておきなよ!
セリーヌは顔を赤らめながら「えへへっ、これがあたしとディックの馴れ初めだよ」と言いながら頬を手で押さえて恥ずかしがっている。
ラスネラガル以外のゴブリン達もセリーヌの回想を聞いてポカーンとしている。
ようやく周辺の空気に気付いたセリーヌは辺りを見渡して自分の想定と違ったことに疑問を抱く。
「あれ? 結構キャーキャー言ってくれてもいい話だと思うんだけど、ゴブリン達には受けが良くないのかな?」
ラスネラガルも我に返ったようでため息を尽きながら口を開く。
「俺タチニハ人間ノ感情ハワカラン。タダワカッタ事モアル…… ディックを殺セバ、オ前ハ俺ノモノニナルッテコトダ」
ラスネラガルは気付いていなかった。いや、知らなかったのだ。セリーヌに、いや勇者パーティのメンバーに最も発言してはならない言葉をうっかり口にしてしまった事を。
「オイ、お前今なんつった? ディックを…… どうするって?」
大気が震えている…… 儀式を行っていた大広間はセリーヌの殺気に満ち溢れており、ラスネラガルとローブのゴブリンを除いた全てのゴブリンは泡を吹いて全員気絶してしまった。
「クッ…… ナンダコイツは、本当ノ力ヲ隠シテイタカ! ムルグ、邪神様ニ贄ヲ捧ゲロ」
ローブを着たゴブリン――ムルグは呪文を唱えだすと邪神像が黒く光り出して先程までムルグと共に祈祷していたゴブリン達がその光に吸い込まれていく。
邪神像の光はラスネラガルに照射され、ラスネラガルの全身にタトゥーが刻まれたかの様な模様が浮かび上がっていた。
「フゥ…… コノ状態ノ俺ハ先程ノ五倍ハ強イゾ。ソシテ、コノ武器ヲ使エバサラニ強クナル」
ラスネラガルの前方の空間が歪み、そこから一本の黒い剣が出現した。
「聖剣ノ対局トナル闇剣アンブレイカブルソードダ。コノ世ニ一本シカナイ闇属性最強ノ一振リダ。ワカルカ? 人類最強ノ勇者ガ光属性ノ聖剣ヲ使ウノデアレバ、ゴブリン族ノ至宝デアル俺様ガ使用スル闇属性ノ闇剣の恐ロシサガ」
懇々と闇剣アンブレイカブルソードの凄さを語るラスネラガルだが、セリーヌは無反応である。それどころか欠伸までし出す始末。
「ふわぁ~、うんうん凄い凄い。確かにアリスも聖剣持ってたね。強さ的にはそれと同じくらいって考えたらいいのかな?」
「ソウダ、聖剣ニ唯一肩ヲ並ベル事ノ出来ル世界デ唯一ノ剣ダゾ」
「聖剣だの闇剣だの…… そんなちゃちなおもちゃであたしに挑もうという時点であたしの力がまだ理解できていない証拠だよ」
「オモチャダト? ソノ言い方ダトマルデ聖剣を持ッタ勇者ヨリ、オ前ノ方ガ強イト聞コエルンダガ聞キ間違イカ?」
『その言葉を待ってました』と言わんばかりにセリーヌはニヤニヤしている。
「人類の至宝と言われたアリスは確かに強いよ。だって女神にまで勇者って認められるくらいなんだからさ。でもね、君は勇者パーティの面子の事をまるで理解出来ていない」
「ドウイウ意味ダ?」
「アリスはね、剣も使えれば攻撃魔法も使えるし、回復魔法も使える万能タイプ…… なんだけど、攻撃魔法に関してはマリーには勝てないし、回復魔法に関してもリシェルに及ばない…… そして、こと近接戦闘においてアリスはあたしに勝てたことがない。この意味が解る?」
「ソレガ本当ダトシテ俺ノ剣ガ屈スル事ハナイ。アンブレイカブルソードハソノ名ノ通リ破壊不可能ナ分聖剣ヨリモ強イ。ツマリ世界最強ナンダ!」
「へぇ、アンブレイカブルねえ…… じゃあ、その剣と世界はどっちが硬いのかな?」
「世界? 何ヲ言ッテルンダ?」
「フフフ、アハハハ、アハハハハハハハ…… 君に教えてあげるよ、真の絶望と恐怖をね」
その時のセリーヌはとっても悪そうな顔をしており、実はコイツが魔王なんじゃない? と思われても仕方がない表情をしていた。
利き腕を天に掲げて「来い!《世界断絶剣 インフィニットマックスハート》」と叫んだ。
セリーヌの手からは閃光が走り、光が止んだその手にはセリーヌの身長と同じ長さ程の大剣が握られていた。
「お久しぶりです。我が主」
「久しぶりだね、はーちゃん」
剣が喋っているという事にラスネラガルも驚愕しているのか、時が止まってしまったかのように放心状態になっている。
「我が主、前回は私を使用すると世界地図が書き換わるからあまり呼ばないようにするって言ってませんでした? あれから一年経ってないですけど?」
「なんかね、はーちゃんを差し置いて世界最強を名乗っている剣がいるらしいからはーちゃんに見てもらおうと思って呼んだんだよ」
はーちゃんは剣なので表情はわからないが、セリーヌの発言により憤ってるのはよくわかる。
「はぁ? どこの愚か者ですか? 私を差し置いてそんな寝言をほざくなど、身の程を教えてやらないといけないようですね。どこにいます?」
セリーヌはいやらしいほどにニッタニタしながら「アイツ」と言いながらラスネラガルを指さした。
「んー? あれは闇剣ですか――ガッカリですね。あの程度の小枝で私に挑むなど…… いや、むしろ私に対する侮辱ですらあります」
「あたしがはーちゃんを扱っちゃうとさ、この洞窟も一瞬で崩壊しちゃうからお願いしてもいい?」
「構いませんよ」
はーちゃんはセリーヌの手から勝手に離れて宙に浮いている。本人の意思で動くことが可能なようで空中を飛ぶこともできる様だ。
ボスの様な佇まいでラスネラガルの前にゆっくりと移動する。ラスネラガルもはーちゃんの持つ独特な雰囲気に本気の構えを取っている。
「あ、ごめん。一つ言い忘れてたんだけど、ディックもこの洞窟にいるからバレない様にアイツを仕留めて貰えるかな?」
「我が主…… 聞き忘れてましたが、いい加減ディックさんはもう堕としてメロメロにしたんですよね? あれからどうなったのか進捗確認させてください」
セリーヌは先ほどの魔王的表情から一転して恋する乙女の様に真っ赤な顔をしてアタフタしている。
「え、えーっと…… ま、まだです。あの三人が邪魔さえしなければ、そろそろいい雰囲気には持っていけると思ってるんだけど……」
「はぁー、まだそんな事言ってるんです? 一年前と全然変わってないですね。我が主はいい体つきしてるんですから夜這いでもしてモノにしちゃえばいいんですよ」
「よ、よ、夜這い!! ダ、ダメだよ。ディックにはあたしの事を好きって言わせてからって決めてるから……」
「えー! 私はお二人を見ててやきもきするんで「イイ加減ニシロ」」
ラスネラガルははーちゃんと戦うかと思いきや唐突な恋バナが始まってしまったせいか苛立っていた。
逆にセリーヌとはーちゃんは恋バナを邪魔されたせいか揃って「「あ”?」」とラスネラガルに苛立っていた。
「私と我が主の恋バナを邪魔する愚か者はウマに蹴られて――いえ、私に切り裂かれて死ねばいいんです」
はーちゃんとゴブリン族の勇者ラスネラガルの戦いが今始まる!
ディックは知らない。すぐ近くで自分の恋バナを展開している一人と一本の乙女がいること。
「恋も愛も知らぬ哀れな畜生に私自らが貴方に慈悲を与えてあげましょう。泣いて、跪いて、世界と私に感謝しながら…… 死んでいきなさい」
はーちゃんは『来いよ』と言っているのか、刀身をゆらゆらと左右に揺らしている。
完全なる上から目線と挑発の様な挙動にラスネラガルも我慢の限界が来ているようで完全にお怒りモードである。
《闇の刃》
ラスネラガルは刀身に黒く染まった刃をはーちゃんに飛ばすが「フンッ」と一喝しただけで消し飛んでしまった。
はーちゃんには こうかが ない みたいだ……
「勘弁してくださいよぉ、飛ぶ斬撃なのは理解しましたが、そんなそよ風に御大層な名前を付けて私の呼吸で消し飛んでしまう技なんて技にあらずですよ。改名しておいてくださいね」
はーちゃんは剣なので表情はわからないが、セリフを聞いている限りではもしも人間であればニヤニヤしてるだろうというのは容易に想像が出来る。
一方、ラスネラガルは自慢の技をかき消されてしまい悔しそうに歯ぎしりしている。
だが彼は諦めない。ラスネラガルは闇剣を両手で掴み振り上げて全魔力を込めており、先程とは比べ物にならない程に刀身が黒く染まっている。
やがてその黒い魔力は龍の形を模し始めた。龍の大きさは徐々に大きくなり、大広間の半分は埋め尽くすであろうサイズまで膨れ上がった。
「俺ハゴブリン族ノ希望ヲモタラス存在ナノダ! コンナ所デ負ケル訳ニハイカナインダアアア」
《無慈悲な蹂躙劇》
振り上げられた剣を振り下ろすと同時に魔力で作られた龍がはーちゃんに向かって一直線に襲い掛かる。
「なるほど、畜生風情がよくぞここまで頑張りました。私にはもったいないのでご友人であろう彼にプレゼントしてあげる事にしましょう」
龍とはーちゃんが交差するその瞬間――はーちゃんは自身を揺らすと目前まで迫り来ていた龍は進路を変更して、ただ一人呆然と状況を眺めていたムルグに突っ込んでしまった。
そしてムルグを貫いた龍は後方にあった邪神像すらも破壊してしまった。
「ムルグウウウウウウ」
ラスネラガルの悲痛な叫びはもはやムルグには届かない。彼は消滅してしまったのだから。
「フフ、ご安心ください。貴方もすぐに彼の元へ送って差し上げますよ」
「ナッ?」
はーちゃんは既にラスネラガルの目の前まで移動していた。剣を振り下ろせば接触可能な至近距離まで詰めていたのだ。
ラスネラガルは悲しみよりも驚きの方が勝っていたのか、呆然とした表情で目の前に迫っていたはーちゃんに対して動くこともできずに眺めていた。
「さようなら…… 次に生まれ変わる時は是非とも愛を知る事の出来る生物に生まれ変わってくださいね」
本人の意思ではどうにもならない事を願いつつ、はーちゃんはその身を振り下ろしてラスネラガルはその命の終りを迎えた。
「お疲れ様、はーちゃん」
「私の事よりもディックさんは大丈夫なんですか?」
「ここに来る前に大分数を減らしておいたから問題ないよ」
「我が主の事だからてっきり全滅させていると思ったのですが違うのですか?」
今まで群がる敵はディックに到達する前にみんなが蹴散らしてしまっていた事しか知らないはーちゃんはディックに対して敵を残している事に疑問を持っていたのだ。
「うん、実はね――」
「――なるほど、でもそれって追放の必要なくないです? 我が主達がそのまま鍛えてあげれば解決するような気がしますけど……」
「ごもっともなんだけど、いざディックを目の前にするとどうしても甘くなっちゃうんだよね。だから無理にでも突き放さないとダメなんだよ…… 主に私達がね」
「あー、すごい納得」
そんな会話をしている間にアリス達は何をしているかと言うと――
~ ちょうどその頃の宿屋内 ~
「ああああ、ディック!!! 避けてえええええええええ」
残った三人はディックがゴブリンと戦っている所を超高性能小型追跡型魔道具から送られてくる映像をモニター越しに覗き見…… もとい応援していた。
モニター越しのディックが動くたびに同じ挙動を追従する様に三人も動いている。傍から見るとマヌケな行動ではあるが本人たちは至って真面目なのだ。
「ちょっとアリス! すぐ傍で大声出さないでよ」
「なんて心臓に悪いんだ…… 自分で戦っていればこんな思いせずに済むのに……」
アリスは自分の胸を手でグッと握りしめて息切れを起こすのではないかというほどに呼吸が荒くなっている。
「わかります。これも神の意思だと言うのですか? なんという苦しい試練をお与えになるのでしょうか……」
リシェルは神に祈り始めているが、アリスと同様に苦しそうにしている。
「でも逆に今がチャンスなのよ。ディックがゴブリンに集中している今がね」
「どういう意味だ? マリー」
「ディックの視線はロクサーヌから外れている。そしてアラート範囲内の一メートル以内にいる。つまり緊急コマンドは未だに継続して使用可能という事よ」
「えっと…… すまないが、何が出来るのかもう一度教えてくれないか?」
アリスは戦闘以外に関してはポンコツで物覚えもよろしくないのだ。
ついこの間緊急コマンドについて習ったはずなのに既にアリスの頭からは全部抜け落ちている。
「対象を私達の元に飛ばしてくることが出来る『キャピタルパニッシュメント』を使うわ。これは転送魔法陣をその場で構築して使用するから時間が掛かるし見られるとすぐバレちゃうんだけど、ディックがこっちを見ていない今がチャンスなの!」
マリーは「引数に私達が今いる空間座標を指定して――」とブツブツ呟きながらキーボードを『カチャカチャカチャ……、ッターン!』と叩くとロクサーヌの全身を覆う程の魔法陣が展開され始めた。
「クッ、少し時間が掛かりそうかも。ディックが気付く前に転送魔法陣を完成させないと」
魔法陣を展開させつつもディックは着々とゴブリンの数を減らしている。
「ま、まだなのか? マリー」
残り三匹……
「もうちょいで行けそうだから焦らさないで」
残り二匹……
「マリー急いでください! ディックがゴブリンを全滅させちゃいますよ」
残り一匹……
「分かってるから!」
残り一匹のゴブリンにディック渾身の一撃が炸裂する!
「「マリー!!!」」
「完成した! キャピタルパニッシュメント、実行開始!」
実行開始と同時にロクサーヌは映っていたモニターから瞬時に姿を消して、マリー達の目の前に瞬間移動してきた。
「あっぶな! ギリギリだったけど、ディックにバレる前に成功したわ」
ディックはというと、最後のゴブリンを倒して振り返ったものの、ロクサーヌがいない事に気付いてキョロキョロしながら慌てている。
モニター越しに「えっ? ロ、ロクサーヌさん? ど、どこですか?」と聞こえてくるが、当の本人は既にそこにはおらずマリーたちの目の前にいるのだ。
マリーはこのままだとディックが洞窟内を探し回るだろうと察して超高性能小型追跡型魔道具にメモを書かせていた。
メモを書き終えてディックの目に映りやすい様な高さの場所からひらひらと紙を落とすと、それに気付いたディックが紙を拾って読み上げていた。
「『ロクサーヌは安全な場所に避難させた。ディックもその場から早急に離れる事』って…… あれ? いつの間に人が来てたんだろう? それに誰だろう?」
ディックは頭を捻りながらも辺りを再度見渡すがやはり人影も気配も何も見当たらない為、どこかの親切な人が助けてくれたのだろうと考えてその場を後にした。
後顧の憂いも必要なくなった事から、ロクサーヌに専念できると考えた三人は悪魔も裸足で逃げだす様な笑顔でロクサーヌの目の前に突っ立っていた。
マリーは人差し指を立てて魔法で水玉を作り出していた。それをぐーすか寝ているロクサーヌの顔面に目掛けて『バシャッ』と食らわせた。
「ブホッ、ゴホッ、ゴホッ…… 鼻に水入った…… ん? あれ? ここは? ディック君? ディックく――」
ロクサーヌが目を覚まして目の前の足元に気付き顔を見上げるとそこにいたのはディックではなく、ロクサーヌ曰く『ディックに付きまとっている四人組』の内三人がそこにいたのだ。
なぜ自分が洞窟ではない場所にいるのか、なぜこの三人が目の前にいるのかと状況が理解できないロクサーヌは「な、な、な、なん……で」と狼狽えていた。
三人はニタニタしながら揃えて口にする。
「「「ようこそ、地獄の一丁目へ」」」
ディックは知らない。助けるはずのロクサーヌはゴブリンに蹂躙された方がマシだったという悲劇をこれから味わう事になる事を。
「な、なんでアンタたちがここにいるんっすか!」
三人は「何言ってんだ? コイツは」とため息をついて呆れている。
「何でここにいるのか? ですって…… 少しは周りを見て自分の置かれている状況くらい考えたら? 男とヤル事しか頭にないパッパラパーだと状況把握能力が欠落してしまうのかしら? 脳みそピンク色にするのも程ほどにしておきなさい」
「ここは君が気を失う前にいた洞窟ではない。僕達が泊っている宿屋だよ。起き上がりとはいえ、すぐ分かるものと思ったけど…… もしかして周りの状況も理解できない程僕達に怯えているのかな? これはこれでお仕置…… 躾の甲斐があるよねえ」
「彼に手を出した大罪人にはしかるべき神罰が下るでしょう…… いえ、神をも恐れぬ不届きものには地獄すら生温い。まずはその身を持って知るといいでしょう、私達が地獄以上の恐怖を教えてあげます」
ロクサーヌは三人に言われ放題の内容については一旦気にしない事にして、マリーが言ったように落ち着いて状況把握することにした。
一息ついて改めてキョロキョロと周りを見渡すとここは洞窟ではない事がわかる。そしてアリスは「僕達が泊っている宿屋」と言っていた。つまりここはいつもの街だ。
方法は分からないが今は確かに戻ってきている事を理解した。
「なるほど、ウチは気を失う前は洞窟にいたはず…… そしてアンタ達がここに居るって事はウチが誰といたかも把握済みって事っすね」
「でなければわざわざアンタをここに呼び寄せる訳ないでしょ。そして私達が言いたい事ももう分かるわよね? ディックは諦めて手を出すなら他のオスにしておきなさい」
ロクサーヌは勝機でも見つけたのか「ククッ」と笑い余裕を見せている。
「それは可笑しな話っすねえ。ディック君とアンタ達は同じパーティー…… 『だった』かもしれませんけどね、そもそもディック君とそういう関係に誰ともなってないでしょ? ならディック君との関係にどうこう言われる筋合いないんじゃないっすか?」
「『だった』じゃないわよ。今もディックは同じパーティーメンバーよ。今は諸事情があって一人で頑張ってもらってるだけ」
「ふーん、諸事情っすか……」
ロクサーヌは考えていた。四人にとって自分達よりも大切なディックを意味もなく突き放すはずがない。確かに事情はあるという事に関して嘘はなさそうだと。
そしてディック自身も『実は当分の間ソロ活動することになりまして……』言っていた事から裏も取れている。
けど納得いかない点もある。ディックが関わる話であればお得意の力技で自分達の我を押し通すはずなのにその節が見られない。
一体何があったのか…… そういえばこの間王宮に呼び出されていたはず。その時にディックに関わる何かがあったのだと推測した。ちょっとカマをかけてみよう。
「そういえばこの間王宮に呼び出されてましたよね? 何かあったんすよね?」
ロクサーヌの発言にビクッとした三人は同時に『このアマ気付いてる』とアイコンタクトを送り合っていた。
ポーカーフェイスがド下手くそな三人は汗をダラダラ垂らしながらわざとらしくニコニコしている。
「そ、そ、そんな事ないわよ。大体何の根拠があってそんな事言い出してるのよ!」
わかりやっす…… これでハッキリした。王宮で何かあったな…… 王都に向かい情報収集するべきだと判断した。あとはどうやってこの状況を抜け出すべきか――斥候として一人で行動する機会も多く、捕まったとしても簡単に口を割らない様な拷問訓練も散々叩き込まれたロクサーヌに生半可な拷問は通用しない。
しかし相手は規格外の連中の為、闇の世界も渡り歩いて来た自分ですら思いもよらない方法で行われる可能性もある。
暴力に訴えるなら儲けもの。それに関しては赤子の時から仕込まれてきたから問題ない。問題は精神に作用する拷問…… 元より失う者のない自分にとって未知の領域。
いや…… 一つだけあった。今更何を女々しい事をと思っているとマリーが途端に真面目な顔で問い詰めて来た。
「アンタさ、何でディックなの?」
来るとは全く思っていなかった質問に度肝を抜かれたロクサーヌは思いもよらない声を上げていた。
「え?」
「あんまりこういう事言いたくないけどアンタモテるじゃん。別にディック相手じゃなくても良くない? アンタ好みの草食系男子なんて冒険者以外なら結構いると思うんだけど……そこからつまみ食いすればいいじゃん」
マリーが言う様にロクサーヌはモテる。真面目、不真面目問わず多数の冒険者から、街のチンピラや半グレは当然の事であるが引きこもりがちの少年、青年ですらロクサーヌを見れば顔を赤らめてしまうほどである。
ちなみに四人はというと…… 基本は誰も近寄って来ない。殺気というか近寄るなオーラが凄く気配に敏感ですらない一般人ですら本能的に避けてしまう。
たまに自分の実力を勘違いした冒険者が自分ならと近寄ってくるが瞬殺されて再起不能又はそれに近い状態にされてしまうため、それ以降に寄ってくることはない。
四人は顔の造形だけならロクサーヌといい勝負をしている。体型を含めると勝負になりそうなのはセリーヌかリシェルになるが、それでも四人に寄ってこないのは単純に恐れられているからに他ならない。
闇の世界を生きてきた連中、王宮の騎士団ですら四人に目線を合わせない。合わせたらそれは死を意味するから…… 故に彼らは四人と同じ空間に出くわそうものなら瞬時に壁の一部に擬態する。
「やっぱウチみたいな見た目だとそう思われて仕方ないとは思ってるんすけどね…… ウチこう見えて初物っすけど」
三人の声量で宿全体が飛び上がってしまうのではないかという程に驚愕していた。
「「「ええええええええええっ!?」」」
アリスは こんらんしている!
マリーは こんらんしている!
リシェルは こんらんしている!
「ハハ…… やっぱそう思うっすよね」
いつも他人からそう思われがちのロクサーヌはとっくに諦めていた。男受けしそうな身体と服装であれば遊んでいると思われるに決まっていると。
むしろそれ以外の目線で見られたことが無い事も理解している。ただ一人を除いては……。
かつて所属していた組織で暗殺者として仕事をしていた際にターゲットを垂らし込む為にもその身体を使っていたから本人も否定しにくい所がある。
ちなみに組織に所属していた時のロクサーヌのモットーは『犯られる前に殺る』である。
「ちょっとまだ信じられないけど初物なのはいいとしましょう。でもまだ肝心の答えを聞いていない。もう一度聞くわよ『なんでディックなの?』」
「それを話しするにはまずは根本的な勘違いを訂正する必要があるみたいっすね」
「根本的な勘違い?」
「ウチは別に草食系が好きなわけじゃないんすよね。好きになった男の子が草食系だったと言うだけの話っす」
三人は今の言葉で悟った。『嫌な予感がする』と……
いつ? どこで? ほぼ一緒にいるから気付かないなんてことはないはずなのに…… 残りのタイミングで出会っていた?
しかもフラグを立てていた? ロクサーヌを相手にフラグを立てる? そんな簡単な女じゃないだろ、コイツは……
アリスは絞り出すような声でロクサーヌに確認する。
「『好きになった男の子』がディックだとでも言うつもりか…… いつだ? どこで君たちは出会ったんだ? そして何をしたんだ!」
ロクサーヌはキョトンとしている。
「アリスさん…… 覚えてないんすか? あの場にあなたも居たっすよね?」
「「アリス、ギルティ!」」
「ちょ、まっ…… ロクサーヌ! キミィ、適当言ってないだろうね?」
「アリスさん…… マジでディック君以外何も見てないんすね…… 呆れるどころかある意味感心するっす。良いっすよ、アリスさんも忘れてるみたいから話しましょうか。あの寒い冬の日の事を……」
ディックは知らない…… というか気付いてない。ロクサーヌが周りでどう思われていたのかという事と自分にガチで想いを寄せられていたことを。