「笑満」
俺がこっそり教えたからか、足音に気を使って松生のとこまで戻り、その手を取った。
「? 咲桜?」
「遙音先輩はこちらですか!」
バンッと、隣の教室とを繋ぐドアを開け放った。……豪快だな。
その向こうでは、やはりこちらを窺っていたらしい遙音がびくりと肩を震わせるのが見えた。遙音にも意外な出方だったようだ。
「っ」
「笑満!」
また足が引きそうになった松生を、咲桜が叱りつける。――前に、遙音が松生の手を摑んでいた。咲桜が握っているのとは反対の手を。
「待って、笑満ちゃん」
はっきりと、明瞭にその名を呼んだ。
「ごめん。昨日は……。急にびっくりしたよな。何年も逢ってなかった奴だから……あ、いや、憶えてなかったら、もっとごめん――」
「憶えてるよ」
松生の声は、震えていなかった。
「憶えてるよ、遙音くんのこと。忘れるわけないよ。あたしが……あたしたちが助けてあげられなかった、から……」
松生が絞り出すように話す。……俺はあくまで当事者側の感情しか知らない。遙音の気持ちは理解できても、松生のような周囲の人間の気持ちに沿うことは難しい。
咲桜は、しんとした瞳で二人を見ている。
――松生の手が、するりと咲桜から離れた。遙音が握った手に、そっと添える。
「ごめんなさい……あのとき、なにも出来なくて……」
松生は、なにも出来ないでいたことが忘れられなかった原因かもしれない。それでも遙音は、松生の存在に救われていただろう。
「いま、元気でいてくれて……ありがとう……。またあえて、うれしいです」
松生の透明な瞳から透明な涙が零れ落ちる。微笑むように瞳が細められると、眦の残っていたそれも一緒に落ちた。
「……あたしこそ、忘れてると思ったから……。顔合わせて、昔のこと思い出させたら嫌だなって、思って逃げた。ごめんなさい」
「忘れるわけない。笑満ちゃんは……最後まで俺に優しかった唯一の子なんだから」