「……今度はなんだ」
「昨日めっちゃ楽しかったんだよねー」
「だったら浮かれてろよ。なんで壁際で落ち込むんだ」
また遙音は壁際で小さくなっていた。俺はため息をつく。なんだと言うんだ。
「……笑満ちゃんって咲桜のこと大すきだよなー」
「……やらねーぞ」
「わかってるよ。やきも神宮」
「あ?」
「お前はいいよな。昨日は咲桜とデートだったんだろ?」
「……なんで知ってる」
昨日、こいつが背後にいる気配はなかったはずだ。
「笑満ちゃんに訊いた。咲桜がいないから遊びませんかーって誘われて、俺は数年ぶりに幸せな時間を過ごしたのでした」
「……でした、で終わらせていいのか? それ」
浮かれるほど楽しかったのだろう?
頬杖をついて壁際の遙音を見遣る。
「……神宮はいいよな」
「だからなんだよ」
同じことを繰り返されて、若干イラッとした。
「……咲桜、親父さん華取本部長じゃん」
「………」
松生の家族のことか。合点がいった。
「笑満ちゃんの家族はさ、普通の家だよ。事件なんて日常じゃない人たち」
「……それを理由に咲桜に好意を持つのか?」
「ねーよ。んな自殺好意。でもさー。……俺だと、笑満ちゃんの友達です、とすら名乗れねーんだよ」
……それで落ち込んでいるというわけか。
遙音の家族は殺されている。怨恨による殺人事件だった。松生の家はその当時の近所づきあいのある家だった。事件後、世間は犯人に同情的になり、幼い遙音へのバッシングすらあった。遙音は松生を、『最後まで優しかった唯一の子』、と言っていた。
遙音自身、松生の家族を恨んでいるような節はない。が、遙音の過去を顧みれば、松生の家族は遙音への対応に困るだろう。もしもの話だが、松生と友達として親しくすることを反対される可能性だってある。
「……松生を失いたくないか」
「失えねーよ。……大切過ぎて」
だからどうと、言ってやることが出来ないんだけど。俺自身も、親類からは厄介者扱いを受けた過去がある。龍さんの祖父の許に長く落ち着いたけど、確かに咲桜と付き合うことを、自分の家族のことで、咲桜の家族のために悩んだことはない。
咲桜の唯一の家族は、直接神宮家(うち)の事件にこそ関わっていないが、現在は一警察本部のトップだ。理解、とは表現が違うかもしれないが、遙音のように思い悩むことはなかった。
「あー。なんかぶっ飛ばしてー」
「落ち着け阿呆」
「ストレス発散。樹とか殴ってみるの」
「手が痛いだけだぞ。大体――お前の感情はただの友情なのか?」
「……殴ったことあんの?」
胡乱に訊かれた。
「当たり前だろ。壁とか樹とかコンクリート塀とか。ストレス発散にはなるけど、怪我するだけだ。適度でやめておけよ」
「……さすがだな、神宮。でもコンクリート塀って」
「それ殴ったのは吹雪。あいつは怪我するどころか破壊してた」
「………春芽こえーな」
てかそれって器物破損だろ。
的確な指摘だ。
「……友情、なのかなー」
天井を見上げて、遙音は呟いた。
「……わかんね」
わからないのは、友情だけに収まりきらないからではないのか。言おうかとも思ったが、遙音は、答えは自分で突き進んでいくタイプだ。下手に周りが手を貸すと、遙音が進んでいる道に寄り道逸れた道を作ることになると、今までのことから知っている。
事件後、親戚に引き取り手がなく施設に入れた、あれは誤算だったと思っている。少しでも早く世間の好奇の瞳から護らねばと、護られる側に立たされた経験のある吹雪や降渡と話したのだが、遙音は俺たちのタイプとは違っていた。
遙音は自立心が強い。だからと言って、当時高校生の自分たちが引き取ることも出来なかったが、もっと方策を考えるべきだった。遙音のための対応策を。そんな経緯があって、俺たちは遙音に対して、親代わりではないが似たような立場の感覚だった。
「そろそろ教室戻った方がいいんじゃないか?」
時計を見遣ると、時間は経っている。遙音は「おー」と返事をして、緩慢に資料室を出て行った。出る直前、少しだけ振り返った。
「じんぐー。末永くお幸せに」
にっと言い残して、扉が閉まる音に消えた。
「………」
一瞬呆気にとられた。遙音にそんなことを言われるなんて思ってもみなかったから。
末永く。咲桜と。
「……当然」
一緒にいるよ。
「咲桜、昨日一緒にいたの、誰?」
「え?」
教室に入ってすぐに頼に捕まった。寝惚けていなくて、入り口に立ってまるで私を待っているかのようだった。
「昨日?」
――は、流夜くんと一緒だった。楽しく一日デートしていた。
……まずい。
「あ、昨日はね、父さんの関係でおつかいに行ったよ。そんときに何人か逢ってるからどの人かわからないんだけど……」
「在義パパの?」
「うん。仕事関係だから、頼にも言えない。ごめんな」
顔の前で両手を合わせて謝ると、頼は「ふーん」と唸った。
私が在義父さんに関わることで手伝いをしてることは知っている頼だ。なんとか言い逃げしたけれど……。
まずい……まさかとは思うけど、頼に見られていたんだ……。
こいつ、マナさん並に神出鬼没だからな……。
前後して吹雪さんや降渡さんとも逢っているから相手が流夜くんと特定されているかはわからないけど、ずっと一緒にいた流夜くんである可能性が図抜けて高い。
普段の流夜くんと学校での『神宮先生』は雰囲気まで変わってしまうから、私が一緒にいた人イコール神宮先生とはわからないかもしれないけれど……。
そう言えば、流夜くんは降渡さんと吹雪さんに対してはデート中も警戒していたようだ。こんなことなら頼のことも伝えておくべきだった……。
警戒対象を増やしてしまうのは心苦しいけど、今の私たちは周囲に注意を向けなければいけない関係なんだ。
……元々、起きてるときの頼はどこに目があるかわからない奴だったから、気を付けないといけない奴ダントツだったのに。
最近大人しいから油断していた。
……それに加えて、大すきな人の彼女になれて浮かれていた事実は否めない。
「咲桜?」
後ろから笑満が顔を覗かせた。途中で委員会の先生に呼び止められていて。私より遅れて来たんだ。
……笑満には。
小学校時代、笑満が転校してくる前のことではあるけど、頼が私にしたことを知っている。知っていて、私たちの友達でいてくれる。
流夜くんのことも話したように、頼の言葉も話しておいて大丈夫だと思う。――話してしまって、少し気持ちを軽くしたかったのも本音だ。
すぐにホームルームになってしまったので、私は一限の放課に笑満を連れ出すことにした。
頼は、やはりなにか気づいているのだろうか。休み時間だと言うのに机に突っ伏さずに起きて、誰ともなしに辺りを見ていた。
見咎められる、あるいは一緒に来ると言い出すかと思ったが、私が話したい様子を察した笑満の誘導でうまく教室を抜けられた。
「ごめんね、笑満……」
「いいから。……夜々さんとこ行く? あそこなら少し落ち着くでしょ」
顔色悪いよ。気遣われて、自分の頬に手をやった。たった少しの時間なのに憔悴しているのか。
我ながら情けない……。
頼は大事な友達だ。けれど、厄介な幼馴染でもある。
捨て置けるような存在ではないけれど、たやすい相手でもない。
……私の中の弱さと強さが混在する、ただならぬ友人だった。
「咲桜ちゃんが家に来ない?」
今日も吹雪の手伝い(?)中。ため息をついた。
「ああ……。今日の昼に連絡来て、用事が出来て旧館に行けなくなったってのと、夜も行けないって」
「それでこんな早くにこっち来たんだ」
吹雪はにやついていやがる。
時間はまだ八時過ぎ。いつも俺がここに来るのは十時過ぎだから、何かあったとは思っていたんだろう。
「でも、そこまで凹むことなの? 咲桜ちゃんだって家の用事とかで一日くらい来れないことあるでしょ。そこまで束縛しちゃ可哀想っつーかストーカーっぽくて気味悪くない?」
「………自分でもそう思う。情けないこと言ってるなって自覚はある……」
あるんだ、と吹雪はくすりと笑った。またあとで降渡とからかってくるんだろう……。
慣れた。
「自覚はあっても落ち込まずにはいられない、と」
「そんな感じだ……。一日咲桜に逢えないだけでここまで落ちるとか、アホみてえ」
「みてえっつーかアホだよ。まんま、ね」
「そーかい」
今日も通常運転で毒舌な吹雪に、助けを求めたりしない。
「流夜の場合、ちゃんとした恋愛は咲桜ちゃんが初めてだから、まあその辺り咲桜ちゃんと一緒に学んでいけばいいんじゃない? 流夜は中学生レベルの恋愛から始めた方がいいよ」
「………」
俺はそこまで非道いのか。実際、非道い自覚もあるけど、咲桜が高校生なのに俺は中学生レベルなのか?
咲桜に逢えないためか覇気もなくのろのろと資料を繰(く)っていると、吹雪のスマホが着信を告げた。すぐに応答した吹雪。話しながらこちらへ歩いてくる。
「? 吹雪?」
「流夜へだよ。お嬢様から」
ひったくった。
「もしもっ、咲桜か?」
勢い込み過ぎて噛んだ。吹雪は腹を抱えて笑っているけど、気にしている余裕もない。
俺の耳に心地いい声が響く。
『流夜くん、あの、どこにいる? 家?』
「いや――今は吹雪んとこ。学校から直接来た」
『そっか……あの、今日は行けなくてごめんなさい。……少し、時間作ってもらってもいい?』
「あ、ああ。咲桜の家に行けばいいか?」
『ううん、うちはちょっと危ないから、龍生さんのところで話したいんだ。時間は……三十分後でもいい?』
「あ? ああ、わかった。迎えに行かなくても平気か?」
『そこまでは大丈夫。ありがとう。吹雪さんに取り次いでくれてありがとうって伝えておいて』
「わかった。……気を付けて来いよ」
『うん』
「………」
『………』
「………咲桜」
『うん。……今日、行けなくてごめん』
「いや、むしろ今まで毎日来てくれたありがたみがわかった。……無理させていたら、すまなかった」
『いや! いやいやいやっ、無理なんてしてない。私が自分から言い出したことだし。――だから、早くまた、行けるようにするから』
「……その辺り、聞けるのか?」
『……うん。話す。……じゃあ、ね』
「ああ……」
躊躇うような息遣いが聞こえて、やっぱり通話終了には出来ない――でいたところへ。
「あのさ、それ僕の電話なんだけど。他人のツールで青春しないでくれる?」
安定の、吹雪の乱入。相手側にも聞こえたのか、咲桜から慌てた声がした。
吹雪が俺の手からさっとかすめとる。
「咲桜ちゃん、道中気を付けて。もし本気で危ないことになりそうだったら、不良探偵の貸し出しも出来るから。うん……わかった。気にしないで」
じゃあね、と、吹雪はなんの感慨もなく電話を切った。
「よかったね。お姫様の声が聞けて。しかも龍さんとこで密談なんてねー」
吹雪はさも愉快そうに口を歪めている。
俺は、耳に焼き付く咲桜の声が響いて、胸が熱くなる。やっぱり、愛しい――
「別れ話だったりして」
「……!」
意地悪く聞こえてきた声に、思わず顔をあげた。にやつく吹雪が見ていた。
「咲桜ちゃんの家もダメ、流夜の家もダメ。話せる場所は外だけ。……ちょーっと危ないんじゃない?」
「っ……」
まさか――そんなことがあるのだろうか。でも確かに咲桜は言いにくそうだった。
「流夜。これからも付き合っていきたいんだったら、色々学びなよ?」
吹雪の声だけが、冷たく響いた。
+
「なんで外にいるの!」
「え……」
店の外で待っていたら怒られた。
龍さんのカフェは、警察署のすぐ近くにある。咲桜の家より署からの方が近いので、俺は咲桜が言った時間より大分先に店先にいた。咲桜も十分も早く来た。
今日は咲桜のクラスの授業がなかったから、昨日の夕方華取の家で別れて以来だ。
まだ一日しか経っていないのに、どれだけ逢いたかったのだろう――。
「ごめん! 出直す!」
宣言して、くるりと踵を返した咲桜。な、なぜ⁉
「おい、咲桜どうしたんだよお前――」
「ごめん、やっぱり電話にする! 逢いたかったけどダメだった!」
「はっ? なに言ってんだ咲桜――」
「店の前で騒ぐなガキ共」
ゴツン、と二人揃って龍さんに拳骨を喰らった。
力加減はされていたらしく、咲桜は頭を押さえただけだったが、俺はあまりの衝撃に蹲った。
ほ、星が散った……。
「娘(じょう)ちゃん、店閉めてるから、中入れ。大丈夫、周りには誰もいない」
龍さんは咲桜に言い、俺の耳を摑んで店に引きずった。
「龍さん痛いっ!」
「黙れガキ。少しは娘ちゃんの不安考えろ」
不安? 今度は、咲桜は逃げずに唇を噛んでついてきていた。――その手を取って導きたいのに、今は咲桜がその距離を拒んでいた。手を伸ばしても取ってくれない。摑んでも、握り返してはくれない。……そんな気がした。
「……ほら、外からは見えねえ。安心して話しな。俺は奥にいっから」
龍さんは窓総てにシャッターをかけ、ついでだと言って二人分の紅茶を用意してカウンターの奥へ消えた。
「………」
「………」
沈黙に包まれる。
「……咲桜。なにか危ないことがあるのか?」
俺から話しかけると、咲桜は少しだけ顔を浮かせた。何か言いたそうに唇が揺れたが、音にはならない。そして、軽く首を横に振った。テーブル席に対面で座っているから、机の影になって見えないけど、膝の上で拳を握っているように見えた。
向かい合わせ。手を伸ばせば咲桜の頬には触れられる。……咲桜の方へ向かって手を差し出す。けれど、咲桜には触れることなく机の上に落ちた。
「咲桜。……なんでもいいから話してくれないか? お前に無視されるのはきつい」
「む、無視なんてしてないっ」
「じゃあ、なんでこっちを見てくれないんだ? 俺がなにか嫌なことをしてしまったか? あるなら言ってくれ。……怒らないから」
咲桜の心が知りたい。その中で自分は、咲桜に対して失態を犯したのだろうか。だから咲桜はこんな不安そうな顔をするのか? 非が自分にあるならば謝って解決したい。咲桜の心が不安になっているのは、嫌だ。
「……昨日、頼に見られたみたいなの」