スクールカーストが顔面偏差値で決まるだなんて嘘だ。もし本当に可愛さだけで決まるなら私がみーちゃんの友達でいられるはずがない。
みーちゃんは私と違って可愛い。チアリーディング部に所属してちやほやされているミオやナツキより、ずっと可愛い。可愛さとスクールカーストの因果関係は逆ではないかと思う。スクールカーストの高い子が、異性にモテる。
友達はお互いだけ。クラスの半分以上の子とはしゃべることなく1年を終える。男子の何人かは私たちの名前を覚える前にクラス替え。それでも、みーちゃんがいればそれで良かった。
あれは七歳くらいの頃のこと。意地悪な男の子に、よく泣かされていた。理由は、「ブスが泣くと面白いから」だって。
あの頃の私はバカだったから、いじめっ子の言うことも馬鹿正直に信じていた。
「知ってるかー?紫の鏡って言葉を二十歳まで覚えてたら呪いで死ぬんだって。はいっ、今教えたから、横山吹雪は死にましたー!」
言葉を覚えてるだけで死ぬなんて、こんな馬鹿な話があるわけないのに、信じ込んで泣いて、それが面白いからってエスカレートして。それの繰り返しだった。
「助けて、助けて、死んじゃう」
「大丈夫だよ、吹雪」
助けてくれたのはみーちゃんだった。
「呪いを解く方法がないと、教えたあの子たちだって死んじゃうでしょ? だから、呪いを解く方法があるんだよ。「水色の鏡」って言葉を覚えたら、上書きすることになるから、死ななくなるんだよ」
「水色の鏡」を覚えているかどうかにかかわらず、死ぬわけがないのだけど、あの時のみーちゃんは紛れもなく私のヒーローだった。
中学に入っても、私たちがスクールカーストを駆け上がるなんて奇跡は起こらない。高校受験で、今までとメンバーが変わったところで高校デビューできるわけもなく、今までと同じような教室の隅で過ごす日々が続いた。
みーちゃんと二人でお弁当を食べたお昼休みは大切な思い出。体育の時間、余り者同士で組んでいると嘲笑されたけれど、「違うよ、吹雪が好きだから一緒にいるんだよ」と無邪気に笑うみーちゃんが大好きだった。
教室でギャーギャー恋の話に興じる人たちが嫌いだった。みーちゃんも恋には興味がないと言っていた。なのに、大学生活はおかしなことになってしまった。
優紫先輩の第一印象は、胡散臭い男。見るからに女慣れしていそうだと思った。みーちゃんはその毒牙にかかってしまった。誰がどう見ても、みーちゃんは優紫先輩と付き合っているのに、みーちゃんは私に教えてはくれなかった。みーちゃんが離れていってしまうようでさみしかった。それでも、みーちゃんが幸せならそれでいいと自分に言い聞かせた。
一ヶ月以上して、ようやく優紫先輩と付き合っていると教えてくれた。みーちゃんが打ち明けてくれたことが嬉しかった。普段私の陰口を言っているクラスメイトの生々しいガールズトークは気持ちが悪くてしょうがなかったけれど、きらきらした顔で先輩とキスをしたと話すみーちゃんは天使のようだった。
ちょうどその頃、優紫先輩の悪い噂を耳にするようになった。全体的に男女関係にだらしない人が多いサークルだけど、優紫先輩のエピソードはクズとしか言いようがなかった。私たちが入学する少し前に、部内の女の子を妊娠させて捨てたらしい。その噂はみーちゃんの耳にも入った。
みーちゃんは「あの人がそんなことするわけない、酷い噂を流してる人を許さない」と本気で怒っていた。噂はすぐに鎮火した。部内唯一と言ってもいい真面目な男の人である部長がはっきりと悪質なデマだと否定したから。でも、私の目から見たら優紫先輩はそういうことを平気でしそうな人に見えた。
そんなこともみんな忘れたある日、みーちゃんが急に腰まである長い髪をばっさり切った。失恋と思いきやその真逆だった。優紫先輩の好みに合わせるためらしい。みーちゃんの長い黒髪、好きだったのにな、なんて言えなかった。みーちゃんはどんどんきらびやかな服装とメイクになっていく。彼氏持ち補正もあって、みーちゃんが可愛いとみんなが言い始めた。今更気づいたのか、みーちゃんは昔から可愛かったよ。心の中で見る目のない群衆に対して毒づいた。
年明け、ダーツ大会の会場付近の駅でみーちゃんを見つけたと思って声をかけたら西村彩希葉だった。彼女はみーちゃんと同じ紫のコートを着ていた。部の公式SNSの二年前の投稿で何度か見たことがある。部員数人による宅飲みも個人情報が特定されない範囲で載せる風習があったので、この人の家でも女子会と称した宅飲みをしていた画像があった。みーちゃんの家にあった昔流行ったキャラのぬいぐるみと同じぬいぐるみがいつも映っていた。
「すみません、人違いでした」
みーちゃんが少しずつ塗りつぶされて、十年来の親友の私ですら遠目では見間違えるほどに西村彩希葉に変わっていく。内心は嫌だけれど、それでもみーちゃんはみーちゃんだ。
「水彩都ちゃんって、彩希葉先輩に似てるよね」
西村彩希葉。私が嫌悪する陽キャの権化。サークル紹介冊子の付録に、ミス麗宝のインタビュー記事が載っていた。
「ここだけの話なんですけど、小さい頃から、ぬいぐるみがないと眠れないんですよ。あと、ぬいぐるみってどの子も愛着あるから、部屋が狭くなるって分かってても実家から全員連れてきちゃいまして」
あざとい女だと思った。忙しさを理由に普段サークルに全然来ないくせに、大会の時だけ来て、それでいて大会では好成績を収めて、打ち上げではちやほやされる。そういうところも全部大嫌いだった。
みーちゃんにはたくさんの友達が出来て毎日楽しそうだ。しゃべり方も自信に満ちあふれていてかっこいい。クリスマスに先輩にもらったと言っていた紫のコートは西村彩希葉が着ていたものに似ていた。とても似合っていた。サークルに未だにうまく馴染めていない私と違って一部の同期に「彩希葉2世」というあだ名をもらっていつも、みんなの中心にいる。サークル以外でも毎日忙しそうなみーちゃんは、色々なグループに所属して遊んでいる。でも、SNSを見る限り2人で遊ぶのは私とだけだ。髪の色や着飾り方がどんなに変わっても、昔と変わらない笑顔を私に向けてくれる。仄暗い独占欲はそれだけで満たされていた。
優紫先輩は何でもない日にみーちゃんにおしゃれで高価なプレゼントをするような人なのに、三月の終わり、十九歳の誕生日プレゼントにかぎってセンスの悪い安物のペンダントだった。時代遅れなデザインの紫色の万華鏡のペンダント。安っぽくて玩具みたいだった。そもそも都市伝説の「紫の鏡」みたいでめちゃくちゃ縁起が悪い。でも、みーちゃんは喜んでいたから、水を差すのはやめておいた。
二年生の五月。ダーツの大学生大会があった。ハコが小さいせいでレーティングでの足切りがあり、私は出場できなかった。みーちゃんの応援に行きたかったけれど、残念ながら見学禁止だったので行けなかった。
週明けに学内の各所で噂話を聞いた。西村彩希葉がダーツの大会で元カレ公開告白を受けたがバッサリ振ったらしい。みーちゃん以外に友達のいない私でも、学食や教室の隣の席で誰かが話しているのを少なくとも三回は聞いた。西村彩希葉以外の個人名は出て来なかったけど、ゴシップに盛り上がってみんなヒマなんだなと思った。
「ねえ、水彩都から何か聞いてたりしなぁい?」
「私たち水彩都のこと心配でぇ」
ある日、ミオとナツキが笑いながら私に聞いてきた。何事かと聞くと、「ええー、ダーツサークルなのに知らないのぉ?」と馬鹿にしながら楽しそうに話してきた。
「水彩都の彼氏が彩希葉先輩に公開告白したんだってぇ」
「十五年間ずっと好きで今でも忘れられないって言ったんだってぇ、水彩都、完全に弄ばれてるよねぇ」
「やばいよねぇ」
私は何も知らなかった。まさか公開告白をした元カレとやらがあいつだなんて思わなかった。ダーツサークル内でもその話で持ちきりだった。みーちゃんと優紫先輩が部室に入ってくると水を打ったように静かになり、部長がわざと明るい声で「さあ、活動始めるぞー!」と言った。
数日後の日曜日の朝、みーちゃんが泣きながら電話してきた。すぐに行くと言って居場所を聞くと、優紫先輩の最寄り駅の近くの公園の名前を言われた。
「好きな人が出来たから別れようって言われた」
出来た、じゃないだろ。最初からずっと西村彩希葉が好きだったんだろ。みーちゃんを西村彩希葉の代わりにしたんだろ。稀代の大嘘つきは振るときでさえ、みーちゃんに嘘をついた。みーちゃんはクソ男を問い詰めることはしなかった。
「優紫が彩希葉先輩に告白した現場、見てた。でも、優紫フラてたし、その場に人いっぱいいたから見なかったことにすれば、なかったことに出来ると思った」
許さない。優紫先輩も、面白半分にみーちゃんを傷つけた野次馬たちも。
「私のところに戻ってきてくれるならそれで良かった。彩希葉先輩の代わりでも良かった。付き合い続けてれば、いつかまた本当に愛してくれるって思った」
偽りの愛を求めて泣き続けるみーちゃんに私は何も出来なかった。
みーちゃんはスクールカーストの一軍から転落した。ダーツ部に全く関係ないはずの内部生のグループラインでも、みーちゃんの彼氏がミスキャンパスに告白して玉砕したとみーちゃんを名指しで騒ぎ立てて、みんなが面白がった。ハタチにもなって、中学生みたいに他人の恋愛を昼ドラ感覚で楽しむのがマジョリティならこの世界は間違っている。間違っている人たちによって構成された組織で、みーちゃんは好奇の目にさらされた。
みーちゃんの前で西村彩希葉の名前はタブーになっていた。誰かがふざけて「彩希葉2世って言うより偽彩希葉じゃん」と言ったので、私は激高して相手を怒鳴りつけた。もともと私は陰で「水彩都にくっついてる犬」と言われていたのは知っている。みーちゃんを傷つける人たちに噛みついていたらいつしか私は「狂犬」と呼ばれるようになっていた。私はみーちゃんの番犬。みーちゃんをいじめるやつは喉を噛みちぎって殺してやる。
優紫先輩を白眼視する人が二割、やるじゃんモテ男ともてはやす馬鹿な男が一割、ゴシップを面白がるパパラッチもどきが七割。SNSや匿名掲示板によると、面の皮の厚いあの男は西村彩希葉を口説き続けたらしい。しかも、あの男は去年も女絡みでやらかしていたとか。
みーちゃんは気まずくなったのかサークルに顔を出さなくなった。みーちゃんが行かないなら私も行かない。ずっとそばにいる。みーちゃんは少しずつ笑顔を取り戻しているかのように見えた。
あの屑はまた余計なことをした。西村彩希葉を被写体にした写真が何かの小さな賞を取った。どうか、このニュースがみーちゃんの耳に入りませんようにと願った。
そして、昨日みーちゃんからラインが来た。
「優紫先輩の子を妊娠しました。駆け落ちします」
どういうことか分からなかった。何度電話をかけても繋がらない。しかも、今日は部室で追いコンがあるらしく、優紫先輩は出席に丸をつけている。私とみーちゃんは当然もともと行かないつもりだった。
部室に行くと、入口のあたりで後輩たちに囲まれて暢気にお酒を飲む優紫先輩の姿があった。どこまで腐っているんだと思った。みーちゃんと駆け落ちするんじゃないのか。またみーちゃんを騙したのか。
「私の親友たぶらかしてんじゃねーよ!」
優男の仮面をかぶった悪魔をグーで思いっきり殴った。
「十八歳の女の子弄んで楽しかったかよ! 何も知らない純粋な子を騙して、それが大人のやることかよ!」
汚い口調で罵倒しながら殴り続けた。生まれて初めて人を殴った。優紫先輩は私を殴り返さなかった。私は一つ上の男の先輩たちに二人がかりで制止された。誰かが「またかよ、いい加減にしろよ」と呟いた。
この一連の騒動を、部室の奥の方で飲んでいた西村彩希葉も遠巻きに見ていた。彼女の左手の薬指には、大きなダイヤの指輪が光っていた。
優紫先輩が口を開く。
「悪かったとは思ってるけどさ、十ヶ月以上も前のこと今更言われても困る」
「振っておいて、またみーちゃんの未練を利用して、元カノの代わりにしたんじゃないんですか」
「どうせ変な噂話だろ。俺は知らない。水彩都がサークルに来なくなってから、一度も連絡とってないよ。元カノとかいちいち言うなよ。関係ないだろ」
妊娠は嘘で、駆け落ちも嘘で、なのにみーちゃんは失踪した。みーちゃんは死ぬつもりかもしれない。みーちゃんは明日で二十歳、「紫の鏡」を覚えていたら死んじゃう年齢。みーちゃんにとっての「紫の鏡」は言葉じゃなくて、「叶わなかったクズ男との初恋」なんだ。普通なら忘れて前に進むようなものを、みーちゃんは優しいいい子だから忘れられずに苦しんじゃうんだ。
みーちゃんがいないと生きていけない。他に何もいらないから、みーちゃんを返してください。
必死で探し回った。みーちゃんの話していたことを必死に思い出しながら探して、ようやくお台場の海でみーちゃんを見つけた。
みーちゃんは私と違って可愛い。チアリーディング部に所属してちやほやされているミオやナツキより、ずっと可愛い。可愛さとスクールカーストの因果関係は逆ではないかと思う。スクールカーストの高い子が、異性にモテる。
友達はお互いだけ。クラスの半分以上の子とはしゃべることなく1年を終える。男子の何人かは私たちの名前を覚える前にクラス替え。それでも、みーちゃんがいればそれで良かった。
あれは七歳くらいの頃のこと。意地悪な男の子に、よく泣かされていた。理由は、「ブスが泣くと面白いから」だって。
あの頃の私はバカだったから、いじめっ子の言うことも馬鹿正直に信じていた。
「知ってるかー?紫の鏡って言葉を二十歳まで覚えてたら呪いで死ぬんだって。はいっ、今教えたから、横山吹雪は死にましたー!」
言葉を覚えてるだけで死ぬなんて、こんな馬鹿な話があるわけないのに、信じ込んで泣いて、それが面白いからってエスカレートして。それの繰り返しだった。
「助けて、助けて、死んじゃう」
「大丈夫だよ、吹雪」
助けてくれたのはみーちゃんだった。
「呪いを解く方法がないと、教えたあの子たちだって死んじゃうでしょ? だから、呪いを解く方法があるんだよ。「水色の鏡」って言葉を覚えたら、上書きすることになるから、死ななくなるんだよ」
「水色の鏡」を覚えているかどうかにかかわらず、死ぬわけがないのだけど、あの時のみーちゃんは紛れもなく私のヒーローだった。
中学に入っても、私たちがスクールカーストを駆け上がるなんて奇跡は起こらない。高校受験で、今までとメンバーが変わったところで高校デビューできるわけもなく、今までと同じような教室の隅で過ごす日々が続いた。
みーちゃんと二人でお弁当を食べたお昼休みは大切な思い出。体育の時間、余り者同士で組んでいると嘲笑されたけれど、「違うよ、吹雪が好きだから一緒にいるんだよ」と無邪気に笑うみーちゃんが大好きだった。
教室でギャーギャー恋の話に興じる人たちが嫌いだった。みーちゃんも恋には興味がないと言っていた。なのに、大学生活はおかしなことになってしまった。
優紫先輩の第一印象は、胡散臭い男。見るからに女慣れしていそうだと思った。みーちゃんはその毒牙にかかってしまった。誰がどう見ても、みーちゃんは優紫先輩と付き合っているのに、みーちゃんは私に教えてはくれなかった。みーちゃんが離れていってしまうようでさみしかった。それでも、みーちゃんが幸せならそれでいいと自分に言い聞かせた。
一ヶ月以上して、ようやく優紫先輩と付き合っていると教えてくれた。みーちゃんが打ち明けてくれたことが嬉しかった。普段私の陰口を言っているクラスメイトの生々しいガールズトークは気持ちが悪くてしょうがなかったけれど、きらきらした顔で先輩とキスをしたと話すみーちゃんは天使のようだった。
ちょうどその頃、優紫先輩の悪い噂を耳にするようになった。全体的に男女関係にだらしない人が多いサークルだけど、優紫先輩のエピソードはクズとしか言いようがなかった。私たちが入学する少し前に、部内の女の子を妊娠させて捨てたらしい。その噂はみーちゃんの耳にも入った。
みーちゃんは「あの人がそんなことするわけない、酷い噂を流してる人を許さない」と本気で怒っていた。噂はすぐに鎮火した。部内唯一と言ってもいい真面目な男の人である部長がはっきりと悪質なデマだと否定したから。でも、私の目から見たら優紫先輩はそういうことを平気でしそうな人に見えた。
そんなこともみんな忘れたある日、みーちゃんが急に腰まである長い髪をばっさり切った。失恋と思いきやその真逆だった。優紫先輩の好みに合わせるためらしい。みーちゃんの長い黒髪、好きだったのにな、なんて言えなかった。みーちゃんはどんどんきらびやかな服装とメイクになっていく。彼氏持ち補正もあって、みーちゃんが可愛いとみんなが言い始めた。今更気づいたのか、みーちゃんは昔から可愛かったよ。心の中で見る目のない群衆に対して毒づいた。
年明け、ダーツ大会の会場付近の駅でみーちゃんを見つけたと思って声をかけたら西村彩希葉だった。彼女はみーちゃんと同じ紫のコートを着ていた。部の公式SNSの二年前の投稿で何度か見たことがある。部員数人による宅飲みも個人情報が特定されない範囲で載せる風習があったので、この人の家でも女子会と称した宅飲みをしていた画像があった。みーちゃんの家にあった昔流行ったキャラのぬいぐるみと同じぬいぐるみがいつも映っていた。
「すみません、人違いでした」
みーちゃんが少しずつ塗りつぶされて、十年来の親友の私ですら遠目では見間違えるほどに西村彩希葉に変わっていく。内心は嫌だけれど、それでもみーちゃんはみーちゃんだ。
「水彩都ちゃんって、彩希葉先輩に似てるよね」
西村彩希葉。私が嫌悪する陽キャの権化。サークル紹介冊子の付録に、ミス麗宝のインタビュー記事が載っていた。
「ここだけの話なんですけど、小さい頃から、ぬいぐるみがないと眠れないんですよ。あと、ぬいぐるみってどの子も愛着あるから、部屋が狭くなるって分かってても実家から全員連れてきちゃいまして」
あざとい女だと思った。忙しさを理由に普段サークルに全然来ないくせに、大会の時だけ来て、それでいて大会では好成績を収めて、打ち上げではちやほやされる。そういうところも全部大嫌いだった。
みーちゃんにはたくさんの友達が出来て毎日楽しそうだ。しゃべり方も自信に満ちあふれていてかっこいい。クリスマスに先輩にもらったと言っていた紫のコートは西村彩希葉が着ていたものに似ていた。とても似合っていた。サークルに未だにうまく馴染めていない私と違って一部の同期に「彩希葉2世」というあだ名をもらっていつも、みんなの中心にいる。サークル以外でも毎日忙しそうなみーちゃんは、色々なグループに所属して遊んでいる。でも、SNSを見る限り2人で遊ぶのは私とだけだ。髪の色や着飾り方がどんなに変わっても、昔と変わらない笑顔を私に向けてくれる。仄暗い独占欲はそれだけで満たされていた。
優紫先輩は何でもない日にみーちゃんにおしゃれで高価なプレゼントをするような人なのに、三月の終わり、十九歳の誕生日プレゼントにかぎってセンスの悪い安物のペンダントだった。時代遅れなデザインの紫色の万華鏡のペンダント。安っぽくて玩具みたいだった。そもそも都市伝説の「紫の鏡」みたいでめちゃくちゃ縁起が悪い。でも、みーちゃんは喜んでいたから、水を差すのはやめておいた。
二年生の五月。ダーツの大学生大会があった。ハコが小さいせいでレーティングでの足切りがあり、私は出場できなかった。みーちゃんの応援に行きたかったけれど、残念ながら見学禁止だったので行けなかった。
週明けに学内の各所で噂話を聞いた。西村彩希葉がダーツの大会で元カレ公開告白を受けたがバッサリ振ったらしい。みーちゃん以外に友達のいない私でも、学食や教室の隣の席で誰かが話しているのを少なくとも三回は聞いた。西村彩希葉以外の個人名は出て来なかったけど、ゴシップに盛り上がってみんなヒマなんだなと思った。
「ねえ、水彩都から何か聞いてたりしなぁい?」
「私たち水彩都のこと心配でぇ」
ある日、ミオとナツキが笑いながら私に聞いてきた。何事かと聞くと、「ええー、ダーツサークルなのに知らないのぉ?」と馬鹿にしながら楽しそうに話してきた。
「水彩都の彼氏が彩希葉先輩に公開告白したんだってぇ」
「十五年間ずっと好きで今でも忘れられないって言ったんだってぇ、水彩都、完全に弄ばれてるよねぇ」
「やばいよねぇ」
私は何も知らなかった。まさか公開告白をした元カレとやらがあいつだなんて思わなかった。ダーツサークル内でもその話で持ちきりだった。みーちゃんと優紫先輩が部室に入ってくると水を打ったように静かになり、部長がわざと明るい声で「さあ、活動始めるぞー!」と言った。
数日後の日曜日の朝、みーちゃんが泣きながら電話してきた。すぐに行くと言って居場所を聞くと、優紫先輩の最寄り駅の近くの公園の名前を言われた。
「好きな人が出来たから別れようって言われた」
出来た、じゃないだろ。最初からずっと西村彩希葉が好きだったんだろ。みーちゃんを西村彩希葉の代わりにしたんだろ。稀代の大嘘つきは振るときでさえ、みーちゃんに嘘をついた。みーちゃんはクソ男を問い詰めることはしなかった。
「優紫が彩希葉先輩に告白した現場、見てた。でも、優紫フラてたし、その場に人いっぱいいたから見なかったことにすれば、なかったことに出来ると思った」
許さない。優紫先輩も、面白半分にみーちゃんを傷つけた野次馬たちも。
「私のところに戻ってきてくれるならそれで良かった。彩希葉先輩の代わりでも良かった。付き合い続けてれば、いつかまた本当に愛してくれるって思った」
偽りの愛を求めて泣き続けるみーちゃんに私は何も出来なかった。
みーちゃんはスクールカーストの一軍から転落した。ダーツ部に全く関係ないはずの内部生のグループラインでも、みーちゃんの彼氏がミスキャンパスに告白して玉砕したとみーちゃんを名指しで騒ぎ立てて、みんなが面白がった。ハタチにもなって、中学生みたいに他人の恋愛を昼ドラ感覚で楽しむのがマジョリティならこの世界は間違っている。間違っている人たちによって構成された組織で、みーちゃんは好奇の目にさらされた。
みーちゃんの前で西村彩希葉の名前はタブーになっていた。誰かがふざけて「彩希葉2世って言うより偽彩希葉じゃん」と言ったので、私は激高して相手を怒鳴りつけた。もともと私は陰で「水彩都にくっついてる犬」と言われていたのは知っている。みーちゃんを傷つける人たちに噛みついていたらいつしか私は「狂犬」と呼ばれるようになっていた。私はみーちゃんの番犬。みーちゃんをいじめるやつは喉を噛みちぎって殺してやる。
優紫先輩を白眼視する人が二割、やるじゃんモテ男ともてはやす馬鹿な男が一割、ゴシップを面白がるパパラッチもどきが七割。SNSや匿名掲示板によると、面の皮の厚いあの男は西村彩希葉を口説き続けたらしい。しかも、あの男は去年も女絡みでやらかしていたとか。
みーちゃんは気まずくなったのかサークルに顔を出さなくなった。みーちゃんが行かないなら私も行かない。ずっとそばにいる。みーちゃんは少しずつ笑顔を取り戻しているかのように見えた。
あの屑はまた余計なことをした。西村彩希葉を被写体にした写真が何かの小さな賞を取った。どうか、このニュースがみーちゃんの耳に入りませんようにと願った。
そして、昨日みーちゃんからラインが来た。
「優紫先輩の子を妊娠しました。駆け落ちします」
どういうことか分からなかった。何度電話をかけても繋がらない。しかも、今日は部室で追いコンがあるらしく、優紫先輩は出席に丸をつけている。私とみーちゃんは当然もともと行かないつもりだった。
部室に行くと、入口のあたりで後輩たちに囲まれて暢気にお酒を飲む優紫先輩の姿があった。どこまで腐っているんだと思った。みーちゃんと駆け落ちするんじゃないのか。またみーちゃんを騙したのか。
「私の親友たぶらかしてんじゃねーよ!」
優男の仮面をかぶった悪魔をグーで思いっきり殴った。
「十八歳の女の子弄んで楽しかったかよ! 何も知らない純粋な子を騙して、それが大人のやることかよ!」
汚い口調で罵倒しながら殴り続けた。生まれて初めて人を殴った。優紫先輩は私を殴り返さなかった。私は一つ上の男の先輩たちに二人がかりで制止された。誰かが「またかよ、いい加減にしろよ」と呟いた。
この一連の騒動を、部室の奥の方で飲んでいた西村彩希葉も遠巻きに見ていた。彼女の左手の薬指には、大きなダイヤの指輪が光っていた。
優紫先輩が口を開く。
「悪かったとは思ってるけどさ、十ヶ月以上も前のこと今更言われても困る」
「振っておいて、またみーちゃんの未練を利用して、元カノの代わりにしたんじゃないんですか」
「どうせ変な噂話だろ。俺は知らない。水彩都がサークルに来なくなってから、一度も連絡とってないよ。元カノとかいちいち言うなよ。関係ないだろ」
妊娠は嘘で、駆け落ちも嘘で、なのにみーちゃんは失踪した。みーちゃんは死ぬつもりかもしれない。みーちゃんは明日で二十歳、「紫の鏡」を覚えていたら死んじゃう年齢。みーちゃんにとっての「紫の鏡」は言葉じゃなくて、「叶わなかったクズ男との初恋」なんだ。普通なら忘れて前に進むようなものを、みーちゃんは優しいいい子だから忘れられずに苦しんじゃうんだ。
みーちゃんがいないと生きていけない。他に何もいらないから、みーちゃんを返してください。
必死で探し回った。みーちゃんの話していたことを必死に思い出しながら探して、ようやくお台場の海でみーちゃんを見つけた。