「なぁ山本。二宮さんとはどうなんだよ」
「どうって、なにが?」

 僕の机の横にしゃがみこんで賀川くんは声をひそめる。

「どこまでいったんだって話だよ。もうちゅーはしたのか?」

 ちゅーって!小学生か。
 吹き出しそうになるのを堪えて、僕は「そもそも付き合ってないから」と何度目かとなる訂正をしておく。というのも、サチが転校してきて早1か月、僕とサチが付き合っているというデマが流れ始めてしまったのだ。

「いやいやいや、往生際が悪いって!もうどっからどうみてもカレカノだかんな!お前が実は隠れイケメンだってことはもうバレている!」
「全てが誤解だよ、賀川くん」

 どっからどうみても、まとわりつくサチを僕が適当にあしらっているようにしか見えないだろう。相槌も適当だし、スルーしてる時だってしばしば。それに僕が隠れイケメンだって?眼鏡を取って前髪あげたら実はイケメンだったなんて、漫画の世界じゃあるまい。

「誤解って、お前なぁ…。じゃぁよ、百歩譲って付き合ってないとして、どう見ても宮本さんはお前にほの字だろ?そこんとこどう思ってんだよ?」

 ちゅーだのほの字だの、突っ込みたいところは山々だけど、話が広がってしまうのでそこはぐっと堪える。

 確かに、サチが一体どういうつもりで僕に張り付くのか、その理由は気になってはいたけれど僕にはわからなかった。サチが僕みたいな地味なヤツを好きになる要素は全く見当たらないし、ただ単に叔父さんの店で働いているバイトの僕がたまたま越してきてはじめて知り合ったクラスメイトだったから、というだけの話ではないかと僕は踏んでいる。

「サチは僕をからかって遊んでるだけだよ」

 事実、サチはいつも焦る僕をみて楽しんでいる。この前みたいにいきなり手をつないできてからというもの、最近は下校の時にはいつも腕を組んだり手をつないでみたりするようになった。僕が嫌がってはがそうとすれば、また「ひどい」といって泣きマネをするものだから、僕は諦めてされるがままだ。人間不信ならぬ、女性不信になりそうだ。

「そんなもんかねぇ」

 あー言えばこう言う僕に諦めの表情をみせた賀川くんは、肩をすくめて自分の席に戻っていく。
 賀川くんは、どうして僕に構うんだろうか。友だちがいないことを可哀そうだと思って優しくしてくれているのだろうか。
 理由はどうあれ、今度バイトの無い日に誘ってみようか、と頭の片隅で思った。



 その日の帰り、サチは僕の手を取りぶんぶん振りながらご機嫌に歩いていた。女子と手をつなぐなんて、と最初はどきどきしたけれど慣れというものは恐ろしい。今では繋いでないとどこか落ち着かないくらい当たり前になってしまっていた。

「なんか、良いことあった?」
「ないよー」
「そ、そっか」

 やっぱり女子はわからない。

「あ、サーティツーのアイス食べたい!」

 今日も暑いし、バイトまで時間もあるからまぁいいか、と僕はサチの提案に乗ることにした。
 列に並びながらショーケースを覗いている間も僕らの手は離れない。
それぞれ注文して、サチの会計の番になったところで手が離されたものの、サチは鞄をごそごそしてから「あ、財布忘れちゃった…」と舌をぺろりと出して僕を見た。
 その顔は、可愛いが計算された確信犯。
 さっき、賀川くんにサチは僕で遊んでいるだけだと言ったけれど、サチは、甘えたいのではないか、と感じることが何度かあった。エレベーターですり寄って来たり、屋上で隣に座る僕の肩に寄りかかって来たり、今もそうだけど、甘える相手が欲しいだけのような気がする。それがたまたま女慣れしてなくてチョロい、もとい扱いやすい僕だったってだけ。

「はいはい」

 サチを食い逃げ犯にするわけにもいかないので、僕は二人分を支払った。バイトのお金も特に何に使うわけでもなく大半は貯めているからこのくらいは痛くも痒くもない。

「ありがとう。あとでお店に行くとき返すから」
「良いよ、今日は僕のおごり」
「ホント?嬉しい!ごちそうさまです」

 アイス一つでそんなに喜んでもらえるなら安いものだ。
 とサチの笑顔を見て思っている時点で、僕は完全に絆されてしまっているのだろう。可愛いは正義とはよく言ったものだ。それだけで、得をする。

 僕らは店のベンチでアイスを食べて涼をとった後、バイト先へと向かいエントランスで「またあとで」と別れた。着替えて出勤した僕は、いつもと同じルーティンをこなしてサチを待っていたが、一向に姿を見せない。

「サチさん、来ませんね」
「あぁ、今日は幸の誕生日だから、さすがに家で食べてるのかもね」
「えっ?誕生日だったんですか?」
「そうそう、あれ、幸のやつ怜くんに言ってなかった?幸って変なところで謙虚なんだよね、俺にはプレゼントねだってくるくせに」

 聞いてない、なんで言わないんだよ、と怒りに近い憤りを感じた。でも、僕はサチの家族でもなければ彼氏でもないのだから、聞いてない、と彼女を怒れる立場になかった。
 それでも、一言おめでとうの連絡でも後で入れてやろうと思ってバイトが終わるのを待っていると、夜の10時前に珍しく店の電話が音を立てた。
 店長はちょうどお酒を作っていたので僕が出ると、女性が焦った口調で店長の名を口にする。僕は、保留ボタンを押して店長へと受話器を渡す。

「これ、1番のお客様にお願い」
「はい」

 受話器を持ってバックオフィスへと店長が消えていくのを視界の端で捉えながら、僕はグラスに注がれたソルティドッグを言われた席まで運ぶ。もう少しで上がりなので、新規の来客がないことを心の奥で願いながら僕は残っている洗い物の仕上げに入った。

「怜くん、ちょっと」

 5分も経たないうちに顔を覗かせた店長に呼ばれ、僕は急いで手を拭いてバックオフィスへ続くカーテンをくぐった。

「どうかしました?」

 話は終わったようで、受話器は元のところに置かれている。

「うん…、今の電話サチの母親からだったんだけど、サチが家にいないって」
「え…」

 誕生日なのに、何をやっているんだ、サチは。

「スマホも家に置きっぱなしらしくて…、怜くん心当たりないかな?」
「すみません、俺ちょっと屋上見てきます!」
「えっ、屋上?ちょっと、怜くん!」

 店長の制止も無視して、僕はそのまま店から飛び出した。

 屋上へと続くエレベーターのボタンを、意味がないとわかっていながら連打する。押してから1階まで階段を使えば良かったと後悔するも、もう遅い。電子版には移動を示す下向きの矢印が点滅している。

 胸が、心臓が、苦しいくらいに動いて鼓動が耳に響いた。軽い耳鳴りのように、平衡感覚が崩れるのをなんとか保ちながら僕は自分に大丈夫だと言い聞かせる。

 大丈夫。
 そんなはずは、ない。絶対。

 サチが屋上の鍵を開けているのは見たことがないし、一人では怖いと言っていたではないか。だから、大丈夫。

 なんの根拠もない大丈夫は、僕の不安を和らげるどころか余計に掻き立てた。

 早く、早く屋上に着いてくれ。
 ようやく乗り込んだエレベーターの中、ゆっくりと移動する数字を見て逸る気持ちを抑える。こんなにもエレベーターの速度が遅いと感じたことはなかった。

ーーーチーン

 やっと着いた最上階、ドアが開ききらないうちに飛び出て僕は屋上に続くドアへと急いだ。

 キーボックスを確認するより先にドアノブを回す。僕の予想を裏切る形でドアノブはガチャリ、と回ったのだった。

 そのままドアを押し開いて、僕は屋上へと出る。
 もう夜中だというのに、空気は湿り気を帯びて肌にまとわりつくようだ。

「サチ…」