「おはようございます」

 マンションの地下は、驚くほど涼しくて、屋上でかいた汗が冷えてぶるっと体が震えた。スタッフルームで着替えを済ませてフロアに顔を出すと、カウンター内で本を読んでいた店長が顔をあげる。38歳だという店長は、実年齢よりだいぶ若く見えるし世でいうイケメンの部類だ。この店にも明らかに店長目当てで来る客もちらほら。

「おはよう、怜くん」

 店内に客はおらず、BGMだけが流れていた。

「今日も屋上行ってたの?」
「あ、はい」
「好きだねぇ。もう灼熱だろ」
「そうですね、汗かきました」

 サチのことを言ったほうが良いのかと頭を過ぎったけれども、鍵の管理はしっかりしているから話す必要はないと判断して黙っておいた。

 僕は、グラスとトーション磨きからテーブルのメニュー替えとカトラリーやナフキン補充など、出勤してからのルーティンにとりかかる。夕方から夜にかけては軽食を食べにくる客が多く、夜は完全に酒目的のバーと化すこの店では、接客もそれほど必要なくバイトも他に居なくて気が楽だった。

ーーーカラン

 入口のドアのベルが鳴る。
 こんなに早く来客なんて珍しいな、と思いながら「いらっしゃいませ」と振り向いた僕は絶句する。

「やっほー」

 私服姿のサチが、立っていた。

「…」

 固まる僕をスルーしてカウンターに座ると、メニューを開く。その一連の動作はとてもスムーズで躊躇いがなく、一見さんではないと踏んだ僕は、カウンターの向こうに立つ店長に視線を送った。店長は、ちょっと困った顔で僕とサチを見ていた。

「この人、私のオジサン」
「は?」
「こら幸、変な誤解を招くような言い方はよくない。…怜くん、幸は俺の姪っ子なんだ。姉の娘で、このマンションに引っ越してきたんだよ」
「あ…、そうだったんですか」

 そうか、それで突然屋上にきて、僕の名前も知ってたってことか。

「怜くんと一緒のクラスになれたの!」
「そうか、良かったな。怜くん、幸と仲良くしてくれな。こっちに俺以外に知り合いが居ないから話し相手にでもなってくれると助かるよ」

 店長のサチを見つめる優しさにあふれた眼差しに、僕は「はい」と頷くしかなかった。