両教会は元々同一の教会だったのだ。元を辿れば女神ヴェルキオラを信仰するヴェルキオラ教が祖になるのだけれど、今からおよそ八百年前の話、当時教皇選挙で最大派閥の枢機卿が対抗派閥の枢機卿の罪を暴いた結果、対抗派閥の枢機卿とその一派を全員追放したとされている。
追放された一派は誰も住んでいない様な場所まで落ち延びて、そこを拠点に国を興したとされるのが、現在の聖王教国だ。一から国を興すなど私ごときでは想像を絶する苦労や恐怖、絶望など幾度となくあったことだろう。人はそれでも誰かに何かに縋る事さえできれば生きていくことができると思っている。その対象が当時の枢機卿であり、初代聖王と言われた人物だろう。
しょうもない人間に人がついていくはずもない。恐らくその人物はその様な過酷な状況であっても付いていくにたる人間性を持つ人物であったと思われる。でなければ国が出来てから八百年も続くわけがない。
故に聖王教会では初代聖王こそが当時の現人神とされており、初代聖王が没して神上がりと扱われてから以降の聖王は神となった初代聖王に仕える使徒という扱いになっている。
とされるくらい、もはや聖人と言っても差支えない人物が対抗馬にいくら最大派閥とは言え、気が気じゃなかったことでしょう。どんな手を使ってでも自分が評価されるように仕向けるか対抗馬の評価を下げる様に仕向けなければならない。
となると、当時の最大派閥の枢機卿…… とりあえず悪枢機卿と呼称しよう。悪枢機卿は対抗派閥の枢機卿であり初代聖王にでっちあげの罪をおっ被せて評価を下げる方が簡単だと考えるのが妥当だ。
ヴェルキオラ教の書物も読んだことはあるが、やはりこの当時は悪枢機卿が教皇となり、追い出した初代聖王に対してはこれでもかと言うほどの罪を被せていたようだ。そして、その初代聖王に付いて行った全体二割の信者にも同様の罪を被せていたようだ。
怖すぎでしょ、この人。
そのためか、ヴェルキオラ教からすれば聖王教は罪人の集まる邪教とまで言われている。だから八百年経った今でも対立がすごいすごい。
私からすれば自分たちの対抗派閥が現れたくらいで他人を『背信者』だの『邪教徒』と宣う、あなたたちヴェルキオラ教の方がよっぽど邪教だよ。まあ、そんなことを口にでもしようものなら何をされるかわかったもんじゃないから言いませんけど。
困っている人に寄り添い、無償で食料提供や治療を行う聖王教、困っている人から寄付と称して財産を巻き上げ多少の食糧提供と治療を行うヴェルキオラ教。
ここだけ抜き出せば、そりゃみんなが聖王教だよねというに決まってる。
だが、世の中は正義と優しさだけで生きていけるほど甘くはない。聖王教はその性格故、常に資金不足に悩まされている。
そしてヴェルキオラ教は資金が潤沢なため、生活に困ることがない。それは両教会が運営している孤児院にも結果として現れている。
親もなく、明日も生きることができるかわからない子供たちに倫理や道徳などは通用しない。彼等、彼女等は今を生きることが全てだから……
そんな子供たちは貧困な生活と裕福な生活を選択させるとした場合、子供たちはどちらを選ぶでしょうか? そしてどちらに忠誠を誓うでしょうか?
これこそがヴェルキオラ教が大陸最大の宗教である所以なのだ。
そしてその資金力を持って国の中枢に入り込もうとしているという噂は前回の人生の時に耳にしたことがある。
もはや、やりたい放題である。
ねぇ、女神ヴェルキオラ様。もし、あなたが本当に存在するのであれば何故彼らの暴挙をお許しになるのですか?それとも、それがあなたの望んだことなの?
なんてね…… いるかどうかもわからない存在に必死に語りかけるなんて馬鹿げてる。
そんなことわかってるはずなのに…… こういう時に限って思い出してしまう。
本当に神がいるんだとしたら、あの時フィルミーヌ様とイザベラをどうして助けてくださらなかったのですか?
あの二人は私にとってだけじゃない。この国になくてはならない宝なの。殺されるなんてやっぱり間違ってる!
何故死ななければならなかったの? どうして助けてくれなかったの?
ねえ、どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ?
答えなさいよ!!!!!!!!!!
「マルグリット? どうした? おい、マルグリット!」
「ハッ! 申し訳ありません、お父さま。つい、考え事をしてしまいまして」
いけない。教会の話だったはずなのに、つい二人の事を考えてしまうと暴走してしまう。
わかってる。こんなのただの八つ当たりだ。自分が弱くて守れなかった分際で無関係な神にまで感情をぶつけてしまうなんて、最低だ。ヴェルキオラ教がどうとか他人の事をとやかく言えないな、私も……。
「本当にそれだけか? すごい形相していたが……」
感情が迷子になっている状態で会話を続けていたら何を迂闊な発言するかわかったもんじゃない。頭を冷やすためにさっさと退散しないと。
「疲れているのかもしれませんわね。先に食堂に行っていますからお父さまも早く来てくださいね」
「わかった。書類だけ纏めたらすぐ行くよ」
「わかりました。その様に伝えておきますわ」
私はお父さまに今の自分の顔をこれ以上見られたくなかったから逃げるように食堂へと向かった。
「マルグリット…… お前に一体何があったんだ? あの形相は只事ではなかったぞ。まるで世界の全てを憎んでいるかのような……」
あれから四日が経過した。お父さまの前でやらかしてしまったせいか、何も手につかない。
自分が如何に小心者であったかをこれでもかというほどに思い知る。
訓練しようにもそんな気分じゃないし、時間は刻一刻と迫ってるのに気分も上がらない。本を読む気分でもない。
「時間は有限なんだからやる気見せなよ、マルグリットぉ」
自室のベッドの上でゴロゴロしながら、やる気を無理にでも出そうと声を出して自分を奮い立たせようとする。
「本当ですよ、お嬢様」
「ぎぇっ!」
まじでビックリした。心臓がバクバク言ってる。ナナがこんな近くに来ていることにも気付いてなかったとは迂闊にも程がある。
「何が『ぎえっ』ですか。その様な淑女にあるまじき台詞が出るようですと奥様に報告せねばなりません」
ナナが腰に手を当て、頬を膨らませたお説教モードでにじり寄ってくる。
別の意味で『ぎえっ』だよ、それは! お母さまの淑女教育が前倒しにされて始まってしまう。一番避けなければならない事態。
「わかったわ! 起きます」
私は急いでベッドから飛び起きる。これからどうしようかと考えていた矢先、ナナが口を開いた
「そういえば、ガルガダでヴェルキオラ教の教会建設が始まったみたいですよぉ」
でた! あいつら街に教会建設すると不思議なくらいの勢いで信徒増やすと聞いたことがある。ゴキ〇リかな?
一体どんな手を使ってるのやら……。
あっ、今ピーンと閃いちゃったよ。
「ナナ、ガルガダに行くわよ! あいつ等が何をしでかすのかこの目で見てやるのよ」
「しでかすって…… 悪人と決めつけるような言い方は良くないですよぉ」
「そうと決まったら早速準備するわ。ナナも支度をして来て頂戴」
「かしこまりましたぁ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ガルガダに着いた私たちは街の入り口付近で馬車から降りて、散歩をしながらヴェルキオラ教教会の建設場所を探すことにした。
「お嬢様、衛兵さんなら場所を知ってるんじゃないでしょうか? 聞かなくてもよかったのですか?」
「馬車には家紋が付いているわ。その状態でヴェルキオラ教の事を聞くだなんて信徒ですと言っている様なものよ」
「なるほどです。お嬢様はヴェルキオラ教がお嫌いなんですか?」
うーん、改めて聞かれると難しいわね。
正直に言うと『良い印象は持っていない』が正しいのよね。
聖王教への迫害然り、寄付金と称して財産を巻き上げている事も然り、宗教団体が国の政治に関わる事も然り
その一方で、孤児院運営はきっちり行っているという結果もある。
そうでなければ、これだけの信徒数など獲得できるはずもない。
そういう意味では認めざるを得ない部分はあったりする。
故に嫌いとも言い切れない。
「お互い歩み寄ってくれるのが一番いいんだけど、長年争ってるんじゃそれも難しいわよね」
私は天を見上げながら愚痴を溢すとナナが何かを見つけたか、その方向に指をさしている。
「お嬢様、あそこではありませんか?」
場所は割とスラムに近い一角。
私たちは少し離れた場所からナナと世間話を装いつつ、その現場を眺めていた。
山積みされた建築資材を担いで数人の大工と思われる体格の良い男性たちが教会の建築作業を行っていた。
それと並行して、空きスペースを使った炊き出しも行っている様子も見て取れる。
白い装束を身に纏った人が寸胴から器にスープを移してはパンと一緒に並んでいる人たちに配っている。
大きめの寸胴は複数あり、数百人分は賄えるであろう量であることが伺える。
割と離れている距離からでも食欲を刺激するような匂いが漂っており、それを嗅ぎつけたであろう付近の住人が我も我もと匂いの元に群がろうとしている。
それを見かねた白い装束の一人がきっちり整列をさせて、並んでいる人たちは今か今かと待ち遠しそうにしている。まさかとは思うけど、食料で忠誠を拾ってるんじゃないでしょうね。
「ん?白い…… 装束……?」
どこかで見たような…… どこだろう? 思い出せない。
途端に頭痛に襲われる。思い出そうとすればするほど痛みが増していく。
「痛っ…… なんなのよ、もう」
私は手で頭をさすりながら、この小骨が喉に刺さって取るに取れない様なもどかしさにイライラを募らせていく。
「お、お嬢様? 大丈夫ですか? 頭痛ですか?」
私のイライラ感を察知したナナが慌てた表情で確認してくる。
アワアワしている表情も可愛いよ、ナナ。
ちょっとは頭痛とイライラが収まって来たかもしれない。
「ねえ、ナナ。喉に小骨が刺さった時、あなたならどうする?」
「なんですか? 急に…… うーん、そうですね。喉に手を入れてみたり、ちょっと汚い表現ですが、えずいてみたり…… あとは水を飲むとかですかねぇ」
ナナがえずいている所を目撃しちゃったら優しく背中をさすってやりたい。
って違う違う! これじゃ、ただの変態みたいじゃない。
「それでも小骨が取れなかったらどう思うかしら?」
「うーん、イライラするかもしれませんね」
「そう言う事よ」
「今日の朝食に魚はなかったはずですが?」
そんなしょうもない会話をしていると通りすがりの二人組の男性に声を掛けられた。
「突然のお声がけ失礼します。グラヴェロット子爵のご令嬢マルグリット様とお見受けいたしますがお間違えないでしょうか?」
ただの通行人かと思いきや、白い装束がベースにはなっているもののデザインは異なっており、その上から豪華な刺繍の入ったマントを羽織った出で立ちはどう見ても高位の僧侶である。
なんで、こんな人が私に用があるんだ? 少々気になったので会話をしてみることにした。
「はい、私がマルグリット・グラヴェロットです。失礼ですが、どこかでお会いしましたでしょうか?」
「わたくし、今回建設されるヴェルキオラ教ガルガダ支部で司祭を務めさせていただくサディアスと申します。マルグリット様とはお話しさせていただくのは今回が初めてです。教会建設依頼の件で一度領主様にお伺いしたことがありまして、その際にお庭で本を読まれていたマルグリット様をお見かけしたのです」
なるほど、筋は通ってるわね。このマルグリットさんの魅力に気づいちゃったか?
また、その彼の後ろにはお供の神父らしき人が控えているが、目を大きく見開き、口をぽっかり開けて、小刻みに震えながら私の事を見つめる姿はまるで魔獣にでも遭遇した小鹿の様である。
私の視線に気づいたサディアス司祭は続けて彼の紹介をしてくれた。
「こちらは私の補佐を務めているモリス神父です。モリス神父、ご挨拶なさい」
小鹿もといモリス神父は胸に手を当てて息を整えると、口を開きだした
「ヴェルキオラ教ガルガダ支部で神父を務めさせて頂くモリスと申します。以後、お見知りおきを。また、不躾な視線を向けてしまい、お詫び申し上げます。マルグリット様のあまりの美しさに目を奪われてしまったが故です。お許しください。」
はい、嘘。そんな視線じゃなかっただろうが。完全に怯えていたぞ。君は私の何を見ていたんだ…… 全く。
「そちらのお嬢さんはマルグリット様のメイドさんでしょうか?」
「えぇ、私の専属メイドを担当しているナナと言います。ナナ、ご挨拶なさい」
「は、はい。マルグリットお嬢様の専属メイドを務めております、ナナ・クサナギと申します。よ、よろしくおねがいします」
「これはこれはご丁寧に。それにしてもマルグリット様はお若いのにしっかり受け答えが出来て素晴らしいですな」
「いえいえ、もう六歳になりますから、このくらいは貴族令嬢として当然ですわ」
サディアス司祭の顔の一部が震えたのを私は見逃さなかった。
今何に反応した? 大した内容ではなかったはずだけど…… まさか年齢か?
という事は…… 考えたくはないが、ヘンリエッタの同類か?
マルグリット的ブラックリストに追加しておかないといけないわね。
「それにしてもマルグリット様は何故この様な離れた場所から建設現場を見ていらしたのでしょうか?もし、宜しければ炊き出しをご一緒しませんか?マルグリット様のお口にも合うかと思いますが如何でしょうか?」
冗談じゃない! そんな現場を誰かに見られたらグラヴェロット家はヴェルキオラ教に肩入れしていると思われてしまう。私たちは中立の立場でいないといけないんだ。一旦適当な理由をつけて離れないと。
まあ、味が気にならないと言えば噓になるけど……。
「いえ、今回確認させて頂いたのは、皆さんがこの街に来て間もないと思いましたので、近隣住民とのトラブルに巻き込まれていないかを確認するためです。それにいきなり貴族令嬢が現れたりしたら皆さんも困ってしまいますでしょう?」
ククク、即興で考えたにしては中々良い言い訳ではないですか。
「それもそうかもしれませんね。それではまた別の機会がありましたら、ご一緒させてください」
思ったよりもあっさり引き下がったわね。この手の輩は食いついてくるものだとばっかり思ったけど。
とりあえずさっさと帰らないと。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。では、失礼します。ナナ、行きますよ」
「はい、お嬢様」
そそくさと立ち去った私は司祭が向けてきた視線に気付いていなかった。
「モリス神父、リストにあの二人を加えておいてください」
「かしこまりました」
僕はモリス。ヴェルキオラ教の神父という事になっている。
本職は偵察がメインの斥候だ。
現在はヴェルキオラ教に潜入しているが、正体は聖王教会の特殊部隊に所属している。
特殊部隊と言っても、実際は一芸に秀でた連中の集まりだったりする。
僕みたいに斥候は得意だけど、戦闘はそこまででもないというタイプだったり、戦闘は得意だけどそれ以外はからっきし等という奴もいる。一部例外で戦闘、斥候、家事全般なんでもござれな異常者もいるが、さすがにこの特殊部隊においても特殊な奴だ。
それなりに修羅場も潜っている。だから並大抵の事では動じたりはしない。
けれども
並大抵じゃない事が昨日起きてしまった。
というか目撃してしまった。
とある貴族令嬢がヴェルキオラ教会の建設現場の視察に来ていた。
いや、視察というより興味津々だから覗きに来たという感じだろう。
まだ小さい少女…… いや、幼女と言っても差支えない人形の様な女の子だった。人前に慣れているのか、堂々としている。
お供のメイドもこれまた小さい女の子。知らない大人に話しかけられたせいかビクビクしている。
所詮は貴族のご令嬢のごっこ遊びか、可愛いもんだなんて思った。
だが、その評価は一瞬で覆すことになる。
雰囲気が…… なんか違うんだ…… なんというか、目の前にいるのは少女のはずなのに歴戦の猛者を目の前にした様な空気がピリついた感覚。
私は唾を飲み込み、原因を探るべく『魔力視』を使用することにした。
――『魔力視』
魔力量に加えて魔力がどれほど制御できているのかを視認するための魔法。
対象を中心に靄の様なものがどれだけ溢れているかで魔力量の推測ができる。
魔力制御に関してどれだけ出来ているかは靄の濃さで判別できる。
生まれつき魔力量の多い子供は稀に見かけたりするけど、小さいうちから魔力制御をさせようなんて家庭は魔法使いの家系くらいしかない。
それでも限度というものはある。だからこの年齢辺りの子供は靄が大きく見えたとしても魔力制御が甘いから薄っぺらく見えるのが当たり前なんだ。
この少女は真逆なんだ。