「お嬢様、朝ですよ。起きてください」
カーテンが引かれる音と同時に凄まじい光量が私の目を照射してくる。
まっ、眩しい。私の目が覚める前にオープン・ザ・カーテンは止めて欲しい。
「ま、待って、ナナ。私の心の準備が出来る前にカーテンを開くのは止めて欲しいのだけど」
脳は既に動き出しているのだが、目が開かない。
寝る時が一番幸せという人もいるだろう。勿論、私も寝る前にベッドに飛び込む時はそれなりの幸せを感じる…… が、逆に起きるとき、それも強制的に起こされるときは本当に地獄としか言い様がない。
「お嬢様…… お屋敷であるならともかく、今日はクララ様にお会いしに行くのではありませんか? 何の為にコンテスティ領に来たのか思い出してください」
ナナの言う通りである。全くもって反論の余地がない。
どうして人間という奴はこうなのだろうか…… さっさと起きて準備しなければならない重要な日ではあると分かっているのに目が言う事を聞いてくれない。
「分かってるわ、ナナ。でも私の目が言う事を聞いてくれないの。これはきっと目を覚ますのはまだ早いと私の身体が訴えているからなのよ」
少し間が空いた後にナナが意を決したかの様に私の耳元で呟いてくる。
「それではヘンリエッタさんにお嬢様を起こしていただく様にお願いしてきますね」
その発言を私の耳を通って全身の全細胞に行き渡ると同時に『危険信号』を発動している。
ナナ、あなたはなんて恐ろしい悪魔召喚を行おうとしているのが分かっているの? いや、それよりもヘンリエッタを使う事の意味を理解しているの?
勿論私は上半身を一気に起こして目も強制的に開かせた。
ナナの方を振り向くと、なんとそこにはナナの真横に無言でニコニコしているヘンリエッタが突っ立っていた。
しかし、私が起きた事が分かるとヘンリエッタは悲しそうな顔に変わっていく。
「ナナ、貴方…… 自分で何を言っているのか分かってるの? ヘンリエッタの…… その…… 特異性(真正の幼女好き)に」
しかし、ナナは『お嬢様は何を言ってるんですか?』と言わんばかりに私の言っていることが理解できていないらしい。
「何のお話か分かりませんけど、メリッサさんからお聞きしましたよ。お嬢様が駄々を捏ねる様ならヘンリエッタさんにお願いしたら良いと」
あー、そう言う事ね。メリッサなら気付いても可笑しくはないけど、まさかナナが気付いている様であれば私はナナに対する洞察力を改めて再評価せざるを得なかったわ。
そしてナナがまだ純真無垢な少女である事に安心した。
「さて、起きた事だし朝食を取りながら今日からのそれぞれの動きについて確認しましょうか」
「「はいっ」」
あまり他人がいる所でする話ではなかったため、宿屋で出してくれる朝食を部屋まで運んでもらう様にナナにお願いした。
朝食が運ばれてきてからは大きくはない部屋に備え付けられたテーブルにギリギリ三人分の朝食を乗せて三人が揃った所で朝食を食べ始める。
「なかなかイケルわね」
「ご飯が美味しいと聞いたのでここを選んだというのが大きいですね」
どうやら宿屋をチョイスするのに周辺の聞き込みをしていたらしい。
ナナってこんなに行動派だったのね…… うーん、私の知らないナナの一面を見た感じがするわ。
「さて、満足する朝食を取りながらでいいから聞いて頂戴。今日のそれぞれの動きについて話をするわ」
二人は朝食を取りながら無言で頷く。
「昨日クララ嬢と接触出来た事は話したと思うけど、今日からコンテスティ邸にお伺いすることになったわ。暫くの間は通い続けると思うから朝からコンテスティ邸にお邪魔して夕方に宿に戻るから二人は朝は私に付き添って夕方に迎えに来て貰うまで宿で待機するか自由行動を取っていいわ」
本当は専属メイドであるナナも連れていくべきなんでしょうけど、魔力制御訓練だと知ったら後で根掘り葉掘り聞かれて最悪お母さまにまで情報が渡ってしまうかもしれない。
まだその段階ではないと思っているから魔力制御訓練時には二人はいない方が都合がいいのだ。
「お、お嬢様…… 私もですか? ナナはお嬢様の傍に居るのが当たり前だと思ってます。それともナナがいると困る事でもあるのですか?」
クッ、そう言う言い方をされると私が辛いんだよね。私だってナナを引き離すような真似を本当はしたくない。
やっぱりナナにだけは魔法の事を言ってしまうか悩んでしまう…… いつかナナにだけは打ち明けたいとは思っているけど…… 今回ばっかりはクララに専念しないといけないんだ。ごめんね、ナナ。
「ナナ、クララ嬢に起きた事の概要は話したわよね? 彼女は今精神面が不安定な状態なの。彼女にとって見知らぬ人間が大勢で押し掛ける事で精神的な負担を掛ける訳にはいかないの」
ナナはぷくーっと頬っぺたを膨らませて剥れているが、クララ嬢の背景を知っているからか諦めてくれたようだった。
「ムムム、はぁー…… 事情は私も分かっています。今回は大人しくしておきます」
何でだろう…… 途轍もない罪悪感が押し寄せてくる。
今回の事が終わったら沢山ナナを可愛がってあげないとね。
ちなみにヘンリエッタは私達二人のやり取りを満面の笑みで聞きながら、時折鼻血を出しながらバレないようにササっと拭いているが私にはバレバレだ。
「ヨシ、準備が出来たら行きましょうか」
私達は準備をして用意してもらった馬車に乗り込んでコンテスティ邸に向かった。
コンテスティ邸の門番とはヘンリエッタに話をしてもらい呼んでもらっている。
少しして外にいたヘンリエッタから「クララ様がいらっしゃいました」と告げられてから馬車を降りると、そこには満面の笑みのクララがいた。その隣にはクララの専属メイドらしき女性もいた。
「お待ちしておりました、マルグリット様」
「御機嫌よう、クララさん。本日はお邪魔させて頂きますね」
「ヘンリエッタ、それでは夕方頃に迎えに来ていただけますか?」
私はヘンリエッタにそれだけ告げると「承知いたしました」と言葉少なげに馬車に乗り込み行ってしまった。
絶対アイツは私とクララのやり取りを見始めると止まらなくなるから断念して早々に切り上げたのだろうと邪推する。
「マルグリット様、こちらへどうぞ」
私はクララに導かれるように屋敷の中を進んでいく。
すれ違う使用人たちは言葉少なく私とクララに頭は下げるもののササっといなくなってしまう。
なるほど、極力関わらない様にしたいという私の嫌いな空気がプンプンする。
この中からクララを罠に嵌めてくれた人物を探し出さないと。
クララに応接室へと通して貰い、今後の魔力制御訓練に対する方針について話をすることにした。
「それでは、これからの魔力制御訓練についてなんですが…… ってクララさん、どうしました?」
クララは浮かない表情をしている。出迎えてくれた時は明るい表情をしていたのに、屋敷に入ってからはこの調子だ。
「あの…… 使用人たちの態度について謝罪させてください」
確かにちょっと露骨だったけど、今の状況を鑑みたら仕方がない部分はあるのかもしれない。
それでもクララが訓練を経て問題ない事さえ分かればきっと使用人たちも理解してくれるはずと思ってる。
「いえ、構いませんわ。クララさんの訓練が上手く行きさえすれば、使用人の方達もきっと考えを改めてくれますわ。頑張りましょうね」
「は、はい。訓練前に少しお茶を飲んでからは如何でしょうか? ペトラ、お願いします」
「畏まりました。お嬢様」
ペトラ――クララの侍女だと思うのだけれど、彼女だけは他の使用人たちと違ってクララを避けるような態度は一切取っていない。
この屋敷で唯一心が許せる相手なのでしょうね。彼女と会話している時だけクララは楽しそう。
私たちはお茶を飲みながら気を紛らわそうと書籍関連の話も交えていたのだけれど、クララの熱が上がってきてしまったので訓練どころではなくなってしまうと思い、話を打ち切って訓練するために屋敷から少し離れた広い場所に移動することにした。
今この場にいるのは私とクララに加えて離れた所にペトラが立っているくらい。
私の事はクララから事前に魔力制御をするための家庭教師くらいは聞いているだろうと思い、ペトラ本人とは直接話はしていないが向こうもこちらの事を聞いて来ないし問題ないでしょう。
「ねえ、クララさん。今貴方がどれだけ魔力制御出来るのか見たいのだけれど、過去の家庭教師から習った事を交えて見せてくれるかしら?」
「は、はいっ! えっと、魔力は魂から抽出して使用する分だけを身体に取り込みます。その取り込んだ分を攻撃や回復として利用するために身体の外に放出するか、身体強化を始めとする身体内部用で利用するかの大きく二パターンに分かれます」
そう、その認識に誤りはない。私が十八歳で死んで五歳児として蘇った際に当時使えなかったはずの魔力が使える事が出来たのは『魔力の使い方を魂が覚えていたから』に他ならない。
「私も同じ認識よ。魂と身体の境界である門を開いて魔力を魂から身体に送り出す。そしてその魂とは人間の臓器で言うところのココよ」
私はそう言いながらクララの心臓に当たる部分に『トントン』と指を突き立てる。私は『魔力視』が使えないからクララの潜在魔力量を視る事が出来ない。その代わりクララが魂から魔力を抽出する心臓に注目すること、実際に魔力が流れている箇所に手を添えればどのくらいの魔力が流れているのかは分かる。
「クララさん、この状態のまま魔力を身体に通して貰えるかしら?」
クララは力んでいるのか顔を赤くしながら魔力の抽出を始めた。魔力抽出とは力むものではないのだけれど。
そして分かった。クララの魔力制御訓練は途中で止まっていた事もあるだろうけど、門が狭いせいか魔力抽出に時間が掛かっている。簡単に言えばまだまだド素人であること。
身体全体に行き渡らせるのに数分経っても終わっていない。
仮に攻撃魔法を打つとして、最短距離である心臓から発射孔である手に届くまでも十数秒くらいは掛かってしまいそうだ。
その状態で魔法を発射しても不発ないしは人体に影響がない程度の魔法しか出せないと思う。
火炎魔法であれば指先に軽く火を一瞬出す程度、風魔法であればそよ風を起こす程度だと思う。
再認識したけど、やっぱりクララ本人の力だけで魔力暴走を引き起こす事は出来ない。
魔力暴走を起こすには身体が許容する容量を遥かにオーバーするほどの魔力抽出をしないとそもそも引き起こす事が出来ない。
仮に第三者からの外的接触があったとして門をこじ開けてしまえば、魔力制御を碌に行う事の出来ないクララが魔力を使う前に暴走まで持っていくことは出来るとは思うけどもそんなことがあったら本人も気づくわよね。
聞くしかないか……。
「ごめんなさい、クララさん。嫌な事を思い出させるかもしれないけど、暴走事故が起こった現場に誰が周りに居たか覚えてる?」
「え、えっと…… 当時の家庭教師の先生とお母さまくらいだったかと思います」
二人だけ? そんな馬鹿な…… だってその二人は魔力暴走の被害者なのよ。
うーん、分からなくなってきた。あくまで可能性の話として被害者になりさえすれば容疑者から外れる事を計算に入れているんだとしたら二人共容疑者になってしまうのよね。
ダメだ、まだ情報が少なすぎる。せめて二人の当日の動きを知る事が出来ればなあ。
クララのお母さまはともかく容疑者として可能性が高そうな家庭教師の先生の居場所なんてわかるかしら?
「ちなみに当時の家庭教師の先生は今どこにいるかご存じだったりします?」
「いえ、あの直後にすぐ辞められしまわれて今はどこにいるかまでは聞いておりません」
クララの表情が急に曇りだした。しまった、私の馬鹿…… もうちょい聞き方を考えればよかった。
にしても先生の行方はわからないかあ…… せめてメリッサが居てくれれば調査をお願い出来るからナナ達に夕刻に迎えに来てもらってから、実家に戻ってきているようであればメリッサ宛に手紙を出して協力してもらおうかしら。
おっと、この話はまた後にするとしてクララの制御訓練も並行してしっかり行わないとね。
「貴方は魔力抽出の練習が圧倒的に足りていないわね。門を広げるには常に魔力を使って少しずつ広げる事をお勧めするわ」
「常にですか……? それはお部屋にいる時でも魔力を使った方がいいという事でしょうか」
「端的に言うとそうなるわね。私がいない間でも魔力を使う訓練をした方がいいわ。方法は教えるから寝る時以外は常に使い続ける事よ。魔力の使い方を身体に覚え込ませるのが一番なのよ」
「が、がんばります!」
そして私とクララの魔力制御訓練初日は夕刻まで続いた。ナナ達が迎えに来てくれて私はコンテスティ邸を後にする事にした。
クララは悲しがっていたが、まだ当分の間は来るのだからと伝えたら一気に嬉しそうにしていた。
私は帰りの馬車の中で考えていた。何か違和感があると……。メリッサに調査してもらえればそれも何かわかるかしら。
「ナナ、実家に手紙を出したいのだけれど用紙はあったりするかしら?」
「はい、持ってきてますぅ。何か依頼することでもありましたか?」
「メリッサに調査してほしい事があってお願いをしようと思ってるの」
そんなことを言ったらナナがムスッとしている。
「ムムッ、最近のお嬢様はメリッサさんの事を口にする機会が増えていませんか? ナナじゃダメなんでしょうか?」
これは…… メリッサに対する嫉妬かな? 可愛い奴め、後で沢山可愛がって上げないとね。
「当時のクララさんの状況を確認するためにクララさんのお母さまに確認しないといけない事があるのよ。この中で接触しているのはメリッサだけでしょう? 彼女が一番の適任者って事よ」
「そう言う事であれば仕方ないですぅ」
「今日中に手紙を書くから、明日コンテスティ邸に行ってる間に手紙を出しておいて貰えるかしら?」
「かしこまりましたぁ」
そんな訳で宿に戻ってから実家に戻っているであろうメリッサ宛に家庭教師の先生の居場所の調査と当日のクララのお母さまの行動について確認してもらうように依頼した手紙を書いた。
どんだけここに居る事になるんだろうか……。
実家に手紙を出してから一カ月が経過しようとしている。
そして、私はその間もクララの家庭教師を継続している。
この一カ月の成果を見る限りクララの才能は相当なもので、このまましっかり訓練を続けていけば間違いなくイザベラを上回るどころか国を代表する程の攻撃魔法の使い手になり得る。
はあ…… 敵に回るであろう子の才能開花を手伝うって自ら難易度を上げちゃってどうすんのよ私は~。
クララの事で頭を悩ませつつ、未だに回答が来ないメリッサの件についても考えていた。
メリッサの事だからそんなに時間を掛けずに調査結果が出てくるとばかり思っていたけど、思ったより難航しているのだろうか。
今日は家庭教師はお休みの日なのでのんびり朝食を取り終わり、お茶を飲みながら時間を潰していたところでナナが急ぐ様に部屋に入って来た。
「お嬢様、メリッサさん――」
その言葉に反応して『ガタッ!』と椅子の音も気にせずに立ち上がった。
「ご本人が来ました」
「ええええっ、そこは返信が来ましたじゃないの?」
と驚いたのと同時にナナの手引きによりメリッサ本人が入って来た。
「いいえ、折角の機会なので奥様よりご許可を頂き、このメリッサ参上仕りましてございます」
何が折角なのか全くわからないけど、お母さまからの許可を貰ってるんだったら良しとしましょう。
「ご苦労様です、メリッサ。来て貰って早々で悪いのだけれど、お願いしていた調査結果について報告して貰えるかしら?」
メリッサは「畏まりました」と言いつつ、ナナに視線を追いやる。これは…… ナナには席を外してほしいという事だろうか?
「メリッサ、構わないわ。ナナも今回の件については理解してるからそのまま話をして頂戴」
ナナは突然自分の事を言われたので「えっ?えっ?」と慌てふためいている。
ヘンリエッタはナナだけに聞かせない様に仕向けているメリッサに対して不満げな目付きで見ているが、メリッサはその視線に気付いたのかヘンリエッタに耳打ちをするとしかめっ面で「う、うーん」と悩みだしている。
恐らくナナの耳には入れたくない様な情報もあるのだろうけど、ここまで一緒に来たのに流石に部外者扱いは可哀想でしょと思ったので聞かせる事にした。
「ナナ、あなたには聞かせにくい内容かもしれないけど聞いてみる?」
ナナは「ハッ」とした表情で「ここまで来たのに除け者は嫌ですぅ」と言うのでメリッサに無言で頷くとメリッサは観念したかの様に口を開きだした。
「わかりました。クララ様の家庭教師についてですが――惨殺死体で発見されていたとの事です」
空気が一気に穏やかでなくなってしまった。ナナは口を手で押さえて動揺を隠そうとしているが隠せていない。
うーん、隠すべきだったかと後悔しそうになるが、ナナには隠し事をしなくないという思いがせめぎ合っている。
とは言え、無言のまま流れる空気の方が辛いと思ったので話を進める事にした。
「惨殺死体とは穏やかじゃないわね…… 死因はなんだったか解る?」
「現場を確認したわけではないのですが、どうやら魔獣に襲われた可能性が高い様です」
家庭教師になるくらいだからそれなりの魔法の使い手ではあるはず…… にも拘らず魔獣に殺されるなんてどんな高ランク魔獣なのかしら?
「どんな魔獣に殺されたかわかるかしら?」
「魔獣の種類は不明ですが、鋭利な爪で殺された様でした。かなり魔獣の恨みを買っていたのか不明ですが、かなりズタズタされていたようでして、パッと見た感じは誰が殺されたか分からない程だったそうです」
「恨みを買うって…… 魔獣って感情を持つ生物だったかしら? でもなんでそう思ったのかしら?」
「殺害現場は自宅だったそうなのですが、本人をピンポイントで狙い撃ちしたそうですよ」
「ん? 恨みを買ってるんだったら普通本人がピンポイントでなにも不思議ではないと思うのだけれど何か違うのかしら?」
「先程お嬢様も仰いましたけど、魔獣は本能で生きる生物です。仮に対象をピンポイントで狙ったとしても、入口を無理矢理壊して中に入って殺して滅茶苦茶にするとなれば話は分かるんですけども……」
何かしらこの違和感――というか既視感かしら? なんだっけ…… 前に同じような話を聞いた気がする。
「メリッサが言い淀むくらい程に信じられない出来事があったのかもしれないけど、まずは一通り話してもらえるかしら?」
「はい…… 惨殺された本人以外部屋の内装、入口含めて傷一つなかったそうです…… それと被害者が死んだ場所を考えるとまるで犯人を招き入れていたのではないかとの事でした」