鬼の長という仕事の手伝いという大それたことなど、もちろん凛にできるはずもない。せめて、この家で伊吹が少しでも安らぎを覚えてくれるよう『私になにかできることはありませんか』と尋ねてもみたのだが、『凛がいてくれるだけで、ここは天国だよ』と伊吹は笑うだけだった。

 伊吹が自分を大切にしてくれているのは本当に理解しているし、自分にはあまりある幸福だと凛は思っている。しかしこのままでは息苦しさを覚えるようになってしまいそうだ。せっかく皆によくしてもらっているのに、そんなふうに感じては残念だし失礼な気さえする。

 それに、この家に住む皆のことを凛は大好きだ。だからこそ、ぼんやりと日々を過ごしているだけになるのは耐えがたい。

 だから凛は決意した。ずっと言い出すのをためらっていた、自分のある希望を伊吹に伝えようと。



 鬼の若殿(ほぼ長のようなものだが)として本日中にこなすべき職務をなんとか片づけて、伊吹が主寝室に入ったのは日付が変わる直前だった。

 襖を開けた瞬間、凛はハッとした様子で伊吹の方を向いた。

 人間としては稀有(けう)な凛の深紅の瞳は、今日もいたいけな光をたたえている。

 出会った当初は傷みが目立った長く伸ばした茶色がかった髪も、雪のように白い肌も、屋敷で過ごすようになったこの二カ月で、随分と艶めくようになった。

 少しずつ健康的な美しさを放つようになっていく凛を見るたびに、伊吹はますますこう実感するのだ。

 凛は自分だけの大切なもの。この唯一無二の存在には、何人(なんぴと)たりとも指一本触れさせまいと。

 凛は(うやうや)しく三つ指を(そろ)える。