しかし、伊吹に花嫁として迎えられるまで自身の望みなど決して口にはできない環境にあった凛だ。自分から唇同士のキスを求めるのは、どうしてもはしたないような、おこがましいような気持ちになってしまう。

 こんな複雑な気持ちを、凛は伊吹にうまく説明できなかった。

「けっ。朝からいちゃつきやがって。伊吹め」

 不意に、恨みがましい声が聞こえてきた。

 いつの間にか(くら)()が主寝室に面した廊下に立ち、半眼で忌々しそうにこちらを(にら)んでいる。

 無造作に散らされた金の髪と同色の瞳が(まぶ)しい。

 きりりとした伊吹とは対照的にやや垂れ目気味だが、メディアで目にするアイドルのように整った顔立ちをしている。

 鞍馬は伊吹の腹違いの弟で、(てん)()のあやかしだ。わけあって伊吹の屋敷で同居しており、凛にとっては義弟にあたる。年齢は凛と同い年の二十歳で、まだ少年のようなあどけなさを残していた。

 彼は人間の文化が大好きで、人間の若者が好むような洋服を身にまとい、人間界での最新の流行を常に追っている。

 異性の好みも『奥ゆかしい人間の女の子!』と断言してしまうほど、人間に心酔しているのだった。

 彼の理想のタイプであるらしい凛に好意を抱いている様子だが、兄の嫁であることはしっかり認識しており、越えてはならない線は越えないようにしているように凛には感じられた。

 凛も伊吹もうっかりしていたが、寝室の(ふすま)が半分ほど開いていたのだった。鞍馬は通りすがりにふたりの触れ合いを目撃してしまったのだろう。

「く、鞍馬くん。いちゃついているというか、その……」