「伊吹さん、お疲れさまでした」

「ありがとう、凛」

『そんなに丁寧に挨拶をしなくてもいいぞ』と凛には以前に言ったのだが、『すみません……。でも、こうするとなんだか心地がよくて』と彼女が微笑むので、伊吹は好きなようにさせていた。もちろん伊吹も、自分を立てるような新妻の振る舞いは嬉しい。

 伊吹が帰ってくるまで凛は、座卓について読書を楽しんでいたらしかった。卓上の小さな照明の前には、伊吹がすでに読み終えた時代小説の文庫が置かれている。

 伊吹は読書が趣味だった。寝室や書斎の本棚には、恋愛やミステリー、ファンタジー小説、随筆などさまざまなジャンルの本がぎっしりと並んでいる。

 以前に伊吹が読書をしていたら、凛が興味深そうな顔をしていた。

 この家に来るまではゆっくり本を読む暇がなかったが、実はずっと興味を持っていたのだという。

 凛の過去を聞くたびに、伊吹の胸は痛み、彼女をいじらしく思ってしまう。だから伊吹は、『いつでも好きな本を読んでいい』と伝えたのだった。

 最近、凛は特に読書に興じているらしい。御朱印集めが進まず、時間ができたのだろう。

「凛、まだ起きていたのかい? 嬉しいけれど、無理してはないか」

「いいえ。夢中になって本を読んでいたら、いつのまにか時間が経っていました。それに私、伊吹さんにおやすみなさいとご挨拶をしてから布団に入りたいのです」

 そう凛は微笑む。

 ――また、俺の心をくすぐるようなことを。

 基本的に凛は奥ゆかしく引っ込み思案だが、時々ハッとさせられるような嬉しい言葉をはっきりと口にする。