バイクの後部座席で、私はレオを見上げていた。
ヘルメットの下で風に銀髪が揺れる。水晶のように無機質な色合いの髪だ。
けれど腰につかまっていると確かな人間の体温を感じる。服越しに、女の私の体とは違う、張りのある筋肉の感触がある。
夕暮れの赤い日差しを頬に受けながら、私は目を細めた。
レオはわがままだし、基本的に自分のことしか考えないみたいだし、私のことが好きなわけでもない。
でも私にぬいぐるみをくれた。パンを買ってくれた。これだけだとまるで物にひかれたようだけど、私はこんなに嬉しかったのは初めてだ。
……だって、好きな人がくれたものなのだから。
ぎゅっと、落とさないように一生懸命ぬいぐるみを抱きしめる。
ふいにバイクに並走してきた車の窓が開いた。
「そこのバイク、止まれ!」
私は周りを見回す。いつの間にか五台ほどの車に囲まれていた。
「帰すところなのにな。せっかちな人たち」
レオはぼそりと呟いて、カーブを曲がるとブレーキをかけた。
山間の道で、背後には海が見えた。
一斉に車から筋の者と思われる人たちが降りて来て取り囲まれる。
「ちょっとがまんしてね、ハルカ」
ヘルメットを外して投げると、レオは私の腰の後ろから腕を回して立った。
「動かないで。お嬢様の頭が吹き飛ぶよ」
彼はもう片方の手で私の頭に固い何かを押しつける。
「ハッタリだ! びびるんじゃねぇ!」
男たちはいきりたって詰め寄ろうとしたが、背後から怒声が響く。
「馬鹿者、動くな!」
気迫だけで鳥が落ちるような、低音の声には覚えがあった。
びくりと動きを止めた男たちの中で、車から降りた影があった。
レオは兄に向かって言葉を放つ。
「君がボスだね? 武器を捨ててこっちまで歩いてきな」
兄は無言で懐からナイフと拳銃を落とす。
射るような目でレオをにらみながら、兄はゆっくりと近づいてくる。
「止まって」
レオの言葉通り私たちから三歩先で止まると、兄は低く問いかけた。
「要求は?」
「僕を安全に逃がしてくれること。そうしたらハルカは帰す」
「わかった」
レオは私の耳に口を寄せて、私にだけ聞こえる声で告げた。
「ハルカ。一度しか言わないよ」
彼は声を低めて電話番号らしき数字を告げた。
「今度は君が僕を呼んで。……じゃあね」
頬に口づけたら、彼は私を解放するなり後ろに跳んだ。
ガードレールを飛び越す。慌てて私が覗き込むと、彼は道路下の、車の助手席に着地したところだった。
「逃げるぞ、追え!」
疾走する車を追おうとする家の者たちを見て、私は兄に振り向く。
「にいさま、追わないでください! そういう約束ではありませんか」
兄は無言で私の手を引いて、黒い車の後ろに乗せる。
「にいさま! 聞いていらっしゃいますか?」
運転席との仕切りが上がって外部から見えないようになった途端、兄は私を抱きしめた。
「……怪我はないか」
押し殺した声で言われて、私は思わず言葉につまる。
「はい」
「そうか、ならいい……」
深いため息をついて、兄は私の髪を撫でる。
車が発進しても、彼は大切そうに私を抱いたままだった。
私は彼に心配をかけたことに、ずきりと胸が痛むのを感じた。
「にいさま、私が勝手に抜けだしたの。家の人たちを責めたりしないで」
「遥花が言うなら」
兄は心配そうに私の顔を覗き込む。
「怖い思いをしただろうな。かわいそうに。もう大丈夫だ」
そんなことはなかったと、私は首を横に振ろうとした。
でもその前に、兄の声が低くなる。
「……なんだこれは」
兄は私が抱いていた白いクマのぬいぐるみに気づいて、それを取り上げる。
「遥花に何てものを。おい、処理してこい」
助手席の人に声をかけた兄に、私は声を上げる。
「捨てちゃだめ!」
「いけない、遥花。何が入っているかわかったものじゃない」
「にいさまも父様と同じことをするの?」
兄は私が何を言おうとしているのか察したようだった。
「遥花。兄は父とは違う。ぬいぐるみならいくらでもやろう」
「これがいいの!」
私は兄の手からぬいぐるみを奪い返して、守るようにして抱きこむ。
子どものように意固地になる私を、兄は困ったように見下ろす。
兄はまたため息をついて、シートに片手をついて言った。
「遥花、今の生活は窮屈か?」
そっと私の目を覗き込んで、兄は優しく尋ねる。
「落ち着かないなら遥花だけの家を用意する。別荘でも何でも建てよう」
私をあやすように、頼み込むように兄は言う。
「いい子だから、はるか。これからは勝手に抜け出すようなことは……」
「いやっ。にいさまなんて嫌い!」
私はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、兄から顔を背けた。
それから私は兄が何を言っても、口を引き結んで答えを拒絶していた。
ヘルメットの下で風に銀髪が揺れる。水晶のように無機質な色合いの髪だ。
けれど腰につかまっていると確かな人間の体温を感じる。服越しに、女の私の体とは違う、張りのある筋肉の感触がある。
夕暮れの赤い日差しを頬に受けながら、私は目を細めた。
レオはわがままだし、基本的に自分のことしか考えないみたいだし、私のことが好きなわけでもない。
でも私にぬいぐるみをくれた。パンを買ってくれた。これだけだとまるで物にひかれたようだけど、私はこんなに嬉しかったのは初めてだ。
……だって、好きな人がくれたものなのだから。
ぎゅっと、落とさないように一生懸命ぬいぐるみを抱きしめる。
ふいにバイクに並走してきた車の窓が開いた。
「そこのバイク、止まれ!」
私は周りを見回す。いつの間にか五台ほどの車に囲まれていた。
「帰すところなのにな。せっかちな人たち」
レオはぼそりと呟いて、カーブを曲がるとブレーキをかけた。
山間の道で、背後には海が見えた。
一斉に車から筋の者と思われる人たちが降りて来て取り囲まれる。
「ちょっとがまんしてね、ハルカ」
ヘルメットを外して投げると、レオは私の腰の後ろから腕を回して立った。
「動かないで。お嬢様の頭が吹き飛ぶよ」
彼はもう片方の手で私の頭に固い何かを押しつける。
「ハッタリだ! びびるんじゃねぇ!」
男たちはいきりたって詰め寄ろうとしたが、背後から怒声が響く。
「馬鹿者、動くな!」
気迫だけで鳥が落ちるような、低音の声には覚えがあった。
びくりと動きを止めた男たちの中で、車から降りた影があった。
レオは兄に向かって言葉を放つ。
「君がボスだね? 武器を捨ててこっちまで歩いてきな」
兄は無言で懐からナイフと拳銃を落とす。
射るような目でレオをにらみながら、兄はゆっくりと近づいてくる。
「止まって」
レオの言葉通り私たちから三歩先で止まると、兄は低く問いかけた。
「要求は?」
「僕を安全に逃がしてくれること。そうしたらハルカは帰す」
「わかった」
レオは私の耳に口を寄せて、私にだけ聞こえる声で告げた。
「ハルカ。一度しか言わないよ」
彼は声を低めて電話番号らしき数字を告げた。
「今度は君が僕を呼んで。……じゃあね」
頬に口づけたら、彼は私を解放するなり後ろに跳んだ。
ガードレールを飛び越す。慌てて私が覗き込むと、彼は道路下の、車の助手席に着地したところだった。
「逃げるぞ、追え!」
疾走する車を追おうとする家の者たちを見て、私は兄に振り向く。
「にいさま、追わないでください! そういう約束ではありませんか」
兄は無言で私の手を引いて、黒い車の後ろに乗せる。
「にいさま! 聞いていらっしゃいますか?」
運転席との仕切りが上がって外部から見えないようになった途端、兄は私を抱きしめた。
「……怪我はないか」
押し殺した声で言われて、私は思わず言葉につまる。
「はい」
「そうか、ならいい……」
深いため息をついて、兄は私の髪を撫でる。
車が発進しても、彼は大切そうに私を抱いたままだった。
私は彼に心配をかけたことに、ずきりと胸が痛むのを感じた。
「にいさま、私が勝手に抜けだしたの。家の人たちを責めたりしないで」
「遥花が言うなら」
兄は心配そうに私の顔を覗き込む。
「怖い思いをしただろうな。かわいそうに。もう大丈夫だ」
そんなことはなかったと、私は首を横に振ろうとした。
でもその前に、兄の声が低くなる。
「……なんだこれは」
兄は私が抱いていた白いクマのぬいぐるみに気づいて、それを取り上げる。
「遥花に何てものを。おい、処理してこい」
助手席の人に声をかけた兄に、私は声を上げる。
「捨てちゃだめ!」
「いけない、遥花。何が入っているかわかったものじゃない」
「にいさまも父様と同じことをするの?」
兄は私が何を言おうとしているのか察したようだった。
「遥花。兄は父とは違う。ぬいぐるみならいくらでもやろう」
「これがいいの!」
私は兄の手からぬいぐるみを奪い返して、守るようにして抱きこむ。
子どものように意固地になる私を、兄は困ったように見下ろす。
兄はまたため息をついて、シートに片手をついて言った。
「遥花、今の生活は窮屈か?」
そっと私の目を覗き込んで、兄は優しく尋ねる。
「落ち着かないなら遥花だけの家を用意する。別荘でも何でも建てよう」
私をあやすように、頼み込むように兄は言う。
「いい子だから、はるか。これからは勝手に抜け出すようなことは……」
「いやっ。にいさまなんて嫌い!」
私はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、兄から顔を背けた。
それから私は兄が何を言っても、口を引き結んで答えを拒絶していた。