「──ふ……巫山戯(ふざけ)るな!」

縛られている青年が、声を荒らげる。

「お前さえ、お前さえいなければ……!」

夜宵に向ける瞳は、憎悪と強い殺意。文月へ向けるものとは何もかも違っていた。

「夜宵さま……」

文月は夜宵の瞳を見つめる。
夜宵は、柔らかく微笑んで頷いた。

「いいか、よく聞け。俺がお前を殺さないのは、文月の為だ。彼女がここにいなかったら、お前は俺の手で殺していた。精々命拾いしたと思っておけ」

夜宵の白金の瞳が、鋭い眼光で青年を睨む。
それに恐れをなしたのか、青年の顔は一気に青白くなっていた。

「…………國吉吟(くによしあきら)様」
「!」
「……あなたが見せた夢に出てきました。私にその頃の記憶は無いですが、幼い私を外に連れ出し、遊んでくださったことには感謝しています。……ですが、私の大切な方は夜宵さまです。あなたのお気持ちに応えることは出来ません」
「…………」

吟は俯いたまま、何も語らなかった。

『もうよいか?』
「ああ」

文月も、こくりと頷く。

ふと、どこからか、柔らかく暖かな風が吹く。
草木を優しく揺らし、春の訪れを伝えるような風が。

しかし気づいた時には、龍水家の屋敷の前にいた。

「え?」
「流石だな」
『こんなこと、大したことないわ』

──先程まで、人間の国にいたのに……。今は夜宵さまのお屋敷の前にいるわ。


「あ、あの。いったい何が起こったのですか?」

屋敷に入ると、想定外の帰りに使用人から驚かれて色々とあったものの、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
そして、いつも夜宵と食事をする部屋で休んでいた頃、文月はずっと疑問だったことを問いかける。

「それに……兎さんのことも気になります」

文月の膝の上で、寛いでいる兎に視線を向ける。
兎は垂れていた耳を立てる。

『妾のことか』
「ちゃんと説明しておいた方がいいと思うぞ」

『ふむ』と言った兎は、ぴょんと跳ねて五寸程宙に浮いた。