「久しぶり。文月ちゃん」

青年の笑顔と言葉に恐怖を覚え、思わず身を引いてしまう。
全身に鳥肌が立ち、冷や汗が額から頬を通り、顎を伝って床に落ちる。

「あ……あなたは、誰なのですか……?」

発した言葉が震え声になっているのが分かる。

「やっぱり。覚えてないか」
「え……?」
「そうだよね。君はまだ幼かったし……記憶も改竄(かいざん)されてるだろうから」

青年の言葉に、疑問を持つ。
記憶を改竄されているとは、一体どういうことだろう。

「じゃあ。少しだけ思い出させてあげるよ」

そう言うと、青年の人差し指がとん、と文月の額に触れる。

「!」
「記憶はね、消えないんだ。例え忘れていても、心から完全に消すことは出来ない」

目の前にある茶色の瞳に、自分の瞳が捉えられる。

「あ……?」

頭の中で何か(・・)(うごめ)く。

「……これか」

茶色の瞳が、一瞬だけ紅く染まったように見えた。
その瞬間、頭に流れ込んできたひとつの記憶。




『ねぇ、りん』
『はい。お嬢様』

人などいないと思うような、少し広めの物置部屋のような所。
窓から射し込む陽の光や月の光だけが頼りの、薄暗い場所。

文月はその場所を、誰よりも知っていた。

──この着物……。

今、文月は一条家にいた頃の古く傷んだ着物と、その上から同じような状態の白い羽織を着ていた。

そして自分の目の前にいるのは、きっとまだ物心のついていない幼い自分の姿とまだ若い頃の輪だった。

輪の姿を見て、涙を流しそうになる。二十代前半の若かりし頃の、輪の姿。
幼い文月へ向ける瞳は、深い愛情を感じる。

だけどそれより、ここにいて大丈夫なのかと不安になる。

『どうしてわたしは、お外へ出られないの?』
『それは……お嬢様を御守りするためです』

彼女たちがこちらに気づくことはなく、ただ話しているだけ。

──私が見えてない……?

『おとうさまもおかあさまも、おにいさまもおねえさまも、ほかの人たちだって、お外に出てるのに、どうしてわたしだけだめなの?』

すると、輪は少し傷ついたような表情をした。
幼い子供に嘘をつくのだ。罪悪感に駆られるだろう。

『申し訳ございません。お嬢様……』

次の瞬間、まるでそこには何も無かったかのように、その風景が消える。
暗くなったかと思えば、今度は後ろから声がした。

『君は……』
『……あなたはだぁれ?』

扉を開けて、ひょこっと顔を出している少年。
幼い文月よりも少し歳上のようだが、まだ声変わりもしていない高い少年の声。

『君はここに住んでるの?』
『そうよ。……あなたはお外から来たの?』
『え、うん』
『お外ってどんなかんじなの?』

その問いかけに、少年は目を見開いた。

『外に出たことがないの?』
『お外はあぶないって、りんが言ってたの』