妾の子は龍のあやかしに見初められる




古の時代から、人とあやかしの間ではは争いが絶えなかった。

異種族であるお互いを忌み嫌い合い、争いを続けては、どちらか一方が勝ち、負けるの繰り返し。


そんな中、双方に君主(くんしゅ)が生まれた。

人間側の君主一条(いちじょう)家と、あやかし側の君主龍水(りゅうすい)家。

しかしその結果、争いはより一層激しくなり何の関係もない民間人にまで被害が及んだ。

それでも、戦いは終わらなかった。

どちらかが勝ち君主を討つまでは、と──。










大きな泣き声が、部屋に響く。

「それが?」

男の低い声に、使用人達は怯え、深く頭を下げた。

それ、と指した目線の先には泣き叫ぶ赤子がいた。

「は、はいっ! 今しがた生まれたばかりの赤子でございます」

赤子を抱くひとりの女性が、震え声で話す。

「…………」

男は赤子の顔を見る。

男に気づいたのか、赤子は泣き止むと、男の方じ、と見る。
赤子の瞳は、男と同じ金色の美しい瞳を輝かせていた。

「……いいだろう。生かしといてやる。ただし、俺の前には見せるなよ。使用人はひとりしか許さん」

男は冷たく言うと、その場から去っていった。













十数年後──。





「…………」

ひとり、狭い部屋で唯一ある少し広めの窓の枠に腰掛け、外を眺める。

窓や壁の隙間から、冷たい風が吹き抜け、彼女の長い黒髪を揺らす。

明るい太陽は地面を照らし、人々に光をもたらしていた。

──この光が見られるだけでも、ありがたいのかしらね。

ふっ、と自嘲気味に笑う。


コンコン、と古い扉を叩く音が部屋に響く。
窓枠から降りて、その場に立つ。

「どうぞ」

ギィ、と重たく開く扉の音。

中に入ってきたのは、茶色の髪を結い上げ、黒の瞳をしている女性。

文月(ふづき)お嬢様。お食事をお持ち致しました」
「ありがとう。(りん)も一緒に食べましょう」

輪はこの広い屋敷でたったひとり、文月についてくれる人間だ。

文月のために、毎日毎日身を粉にして動いてくれている。

だからせめて、食事くらいはゆっくりして欲しいのだ。

「いつもごめんね、輪」
「お嬢様が謝る必要ございません。これは私の意思でやっていることです」
「……ありがとう」
運がいいのか、屋敷の使用人達は優しい人ばかりで、食事や使わなくなった日用品を分けてくれる。

文月が着ている着物も、女性の使用人から使わないからと分けてもらったものだ。
古く、傷んでいるところが多いが、服が着れるだけでもありがたい。

服は修復出来るのならしたいが、裁縫箱さえも部屋に持ってくるのが難しい。
彼女たちからこれ以上何かを貰うのも、申し訳ないし躊躇ってしまう。

──輪と彼女たちのおかげで、今私は生きていられる……。

生まれてから母はおらず、父とは会うことも許されなかった。
そしてこの部屋で育ったからか、物心ついた時に悟ってしまったのだ。

──ああ、わたしは、ひとりなんだ。家族と呼べる人などいないんだわ……。

それでも、文月にはこの家の人間である証拠があった。

文月の持つ瞳が、金色だということ。

金色の瞳は、一条家のみが持つ特別な瞳。
その色が美しい色ほど、次期君主としての器が大きいと言われている。
文月の金色は、とても鮮やかでこの家の誰よりも美しいのだが、父親がそれを良しとしなかった。

なぜなら、文月は(めかけ)から生まれたから。
母はそれはもう美しく誰もが惚れてしまう美貌の持ち主だったそうだ。そして母に惚れた父が一晩共に過ごしたそうだ。

その時にできたのが、文月だった。
なんと無責任なことだろう、と誰もが思だろう。

だが、使用人達が言うには少し違うようだった。

『旦那様と唯月(ゆづき)様は共に愛し合っておられました。ですが、旦那様には奥様がおりますゆえ……。旦那様と唯月様は、共に過ごされることはあっても、それを表立って公表することはございませんでした』

本当かどうかは分からないが、彼らが言うには二人は愛し合っていたようだ。
しかし、母が身篭り衰弱していく姿を見るのが辛くなり、父は母から離れた。

そして文月が生まれ、母は亡くなった。

──あの人は私を恨んでる。私がお母様を殺したも同然だから。

文月を産んで、名前を言ったあとに力尽きてしまい、眠るように亡くなったそうだ。

『お嬢様はなにも悪うございません。悪いはずがございません。唯月様は、お嬢様に会えることを大層楽しみにしておられました。この命が尽きてもこの子を産みたいと、いつも言っておられました』

輪からその話を聞かされた時、母の愛を知って涙を流した。嬉しかったのだ。

文月の中に、母の記憶はないがちゃんと愛されていたのだ、と。
父からは恨まれ、義母と異母兄弟からは虐められて、家族には誰も味方がいないと思っていた。
いたのだ。知らなかっただけで。憶えていないだけで。

「ご飯ありがとう。美味しかったわ」

輪は頭を下げると、部屋から出た。

部屋に数冊だけ置いてある本の一冊を手に取り、読み始める。幼い頃から何度も繰り返し読んでいるせいか、所々擦り切れていた。

何度も読み内容を嫌というほど知っていても、暇を潰すにはこれくらいしかなかった。



「文月! 文月はいないの!?」

聞きたくない声が、扉越しから聞こえる。

──いつもいると分かってて言ってるのよね……。暇なのかしら。

文月は扉を開けて、決して部屋から出ないように、彼女の前に出る。

義母に似た金髪に、綺麗とは少し言い難い金色の瞳。

「ここにおります。沙耶(さや)お義姉様」
「あら、いるんじゃない。相変わらず汚いわね」

──そうさせたのは、貴女の父親ですけど。

しかしそれを言うわけにもいかないので、「申し訳ございません」と棒読みと分からない程度に謝る。

数人の使用人が、心配そうに集まってくる。
しかし、彼らは表立って助けることはない。
それでも、裏では幾度も助けられているので、これ以上なにか望むことはない。

「ふんっ。自分の立場を弁えてはいるようね」
「もちろんでこざいます」

沙耶は、自分よりも美しい瞳を持っている文月を嫌っている。
同じ父を持つのに、なぜああも瞳が違うのかと。

──この家はお義兄様が継ぐのだから、私の存在など無いものと思えばいいのに……。

わざわざ、この部屋まで寄って、鬱憤を晴らすのも大概にしてほしい。

「私の前では絶対に目を開かないで」
「心得ております」

沙耶は小さく舌打ちをすると、文月を強く睨んだ。

「忌々しい妾の子の分際で……。私よりも美しい金色を持つなんて」
「…………」

そう言って、苛立ちを隠さず沙耶が部屋を去ったあと、使用人達がわらわらと集まる。

「申し訳ございません。お嬢様……」

助けられなかったのを悔やむように、使用人達が頭を下げる。

「いいの。貴女たちは十分私を助けてくれているから、気にしないで」

──暴力が無かっただけいい方ね。

酷い時には、冬の寒い日に冷えた氷水をかけられたり、少し近づいたというだけで、石をぶつけられ、殴られたこともある。

今日は軽い悪口だけで済んだので、文月は心の中で安堵した。






◆◆◆



夜、外がやけに騒がしくて目が覚める。

部屋の外から、慌てる声や怯える声など混乱している者がほとんどで、何が起こっているのかまるで分からない。

「あやかしの奇襲だー!」

唯一聞き取れた言葉に、耳を疑う。

──あやかし!?

文月は急いで立ち上がり、窓から外をのぞく。

あまり多くのものは見えないが、どうやらあやかしがいることに間違いないようだった。

あやかしには、それぞれの特徴が現れるので見分けがつきやすい。
猫又、妖狐、鬼などがいる。空を飛んでいるのは天狗だろう。

──うそ、あれは……!

はっきりと見えずとも分かる。

太陽のように輝かしい白金の瞳の男。
あれは、龍のあやかしだ。

「まさか、龍水家の当主までいるなんて……」

否──少し考えたら分かることだろう。
あやかしの君主が動かなければ、ここまであやかしが攻めてくることはない。

相手は、文月の視線に気づいたのかこちらを見てきた。
その瞬間、相手と目が合ってしまい、逃げるようにしてその場から離れる。

──大変だわ。こちらに来てしまう!

外から文月の部屋までは、そこまで距離はないので、場所さえ分かればすぐに来られる。
しかし、文月には部屋を出ることが出来ないので、逃げるすべがなかった。

ドンドンと、大きな音で扉を叩く音が部屋に響く。

「お嬢様! お嬢様!」
「り、輪……?」

文月は扉を開けて、輪を入れる。

「お嬢様、早く逃げましょう! もうあやかしがそこまで──」
「動くな!」

輪の言葉も虚しく、先程目が合ってしまった龍のあやかしが、もうこの部屋まで来てしまった。

文月と輪は、同時に肩を震わせる。

「そこの娘は、一条家の者だな?」

相手の男は、瞳の色を見て判断したのだろう。
文月は身体を震わせながら、輪の前に立つ。

「ええ。そうです」
「お、お嬢様……」
「死ぬ覚悟は?」

目の前に、刀が突き立てられる。

もう殺されるのは決まっているようだ。

「…………できて、おります」

死ぬのなら、潔い方がいいだろう。

「ほう?」
「ですが。どうか、彼女は殺さないでください」

真っ直ぐと、男の目を見据える。

「……何故、使用人をかばう?」
「この屋敷の中で私の、唯一の味方でしたから」

──どうして、そんなことを聞くの? 早く殺せばいいのに。

そう思った瞬間、男は刀を鞘にしまった。
心做しか、少し笑っているようにも見えた。

そのことにわずかに驚き、目を(みは)ったものの、恐怖心と安堵が一気に押し寄せてきて、その場にへたりこんでしまった。

「お嬢様!」

輪が、すぐさま横に駆け寄って来る。

「申し訳ございません。お嬢様! 私が着いておりながら……」

涙を流す輪に、文月は首を横に振った。