蓋を閉められた缶の隣には、分離した赤いネイルの小瓶。
 里香さんは手と顔を洗うと、ベッドに腰かけた。

「里香さん」

 意を決して名を呼んだ私に、里香さんが億劫そうにして「なに」と視線だけを投げる。

(あれ?)

 里香さんの左足の指先に、赤い色。一瞬、怪我かと思ったけれど、どうやらネイルのようだ。
 全ての指ではなく、左の薬指にだけ塗られている。

(この色、あのネイルと同じ色……?)

 けれどもあの中身は分離していて、とても塗れる状態ではなかった。
 となると別のボトルがあるはずだけれど、ならばどうして"使えない"あの一本だけがチェストの上に置かれて――。

「ねえ、ちょっと」

「あ、すみません」

 はっと思考を切った私は、慌てて話を戻す。

「踏み入った話になるのは承知の上ですが、このままではやっぱり心配で……。ストーカーは、元彼さんですか」

 里香さんははあ、とため息をこぼして、

「恋人じゃない」

「……へ?」

「相手はわかってる。別に、コレはこのまま放っておいていい」

「い、いいんですか? もしエスカレートしたら、里香さんだって危険に……!」

「ならない」

「え?」

「あの子は錯覚しているだけ。アタシが調子に乗って、ずっと甘えて続けてしまったから。責任感が、強い子なの。だけどきっともうすぐ、アタシに興味なんてなくなる」

「里香さん……?」

 里香さんはごろりとベッドにうつ伏せに倒れると、枕に顔をうずめて、手だけを振る。

「もう帰っていいよ。明日も同じ時間に来て。それと……もし、誰かにアタシのことを聞かれたら、楽しくやってるって言って。アンタたちのことは、私の友達だってことにしておいて」

 半ば追い出されるようにして家を出た途端、マオが「なんだあの態度」とこめかみを揉む。

「平気か、茉優。嫌だったら明日は俺ひとりで来てもいいんだぞ」

 アパートの階段を降りながら私は「あ、はい」と頷き、

「それは全然、大丈夫なんですけど……もう少し、里香さんとお話がしたかったですね」