「すみません。お帰りの時間、聞くの忘れてしまいました」

「いやあれは誰がどーみても茉優のせいじゃないからな」

 まだ怒りが収まらないのか、マオが早口で気遣ってくれた、その時。

「僕が教えましょうか?」

 部屋から届いた男性の声に、思わずマオと顔を見合わせる。
 まだ人がいたらしい。

(でも、あれ? たしか事前の資料だと、里香さんは一人暮らしだったような……)

 となると、里香さんの恋人かもしれない。先ほど彼の前で着替えていたわけだし。
 私は「すみません、失礼します」と、半開きだった扉を開けて入室する。

「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。私共は里香さんのご依頼で参りました、つづみ商店の家政婦派遣サービスの者でし……て」

 名刺を差し出す手が、うっかり止まる。
 壁に寄せられたシングルベッドの上に、腰かける男性。
 前髪にかかる黒い髪に黒い瞳と、色に奇抜さはないのに、思わず目が吸い寄せられるような色気のある人だ。
 白いシャツにラフな黒いパンツ。
 にこにこと人の良い微笑みが彼の雰囲気をさらに柔らかなものしているけれど、私が思わず動揺してしまったのは、そんな彼の美貌に当てられたからではない。

 シャツの襟もとから覗く、しなやかな首。
 そこに付けられているのは、真っ黒な首輪。

(あ、なるほどそういうファッションか)

 あまり触れたことのない文化だったために、少し驚いてしまった。
 納得の心地で名刺を手渡すと、彼は「ご丁寧にありがとうございます」と笑んで、

「主人からお話は伺っておりますので、好きにしてください。わからないことがありましたら、僕に」

 主人、という言い回しにひっかかりを覚えたのを気付かれたのか。
 彼は「申し遅れました」と自身の首輪をついと指先で軽くひっぱり、

「僕は冴羽玄影《さえばはるかげ》と申します。プロのペットをしていまして、今のご主人様が里香さんになります」

(ペット? ご主人様?)

 もしかして、さっき里香さんの言っていた"飼ってるやつ"って、まさか……!

「……きょ」

 背後から妙な声がして、「マオさん?」と視線を遣る。刹那、

「教育上よろしくない!!!!」

「マオさん!?」