どうして、どうして勢いで乗車してしまったのか。

「ほーんと茉優ちゃんってさ、無自覚で煽ってくるよねえ」

「ちが、やめ……っ」

 激しい後悔と嫌悪に、涙が目尻に浮かんできたその時。

「んなーーー!」

 ビタン、と鈍い音に重なる、特徴的な声。
 動きを止めた片原さんと、示し合わせたようしにしてフロントガラスを見遣る。と、

「ね、猫……?」

 びたんと張り付いた、ふさふさのお腹。
 それも一匹だけじゃない。背を向けて腰を下ろした子や、尻尾を立ててボンネットを闊歩している子。今まさに飛び乗ってきた子に、この車に向かって歩いてきている子が更に数匹……。

「な、なんで猫がこんなに寄ってきてんだよ!?」

 にゃーにゃーと大合唱の猫たちに、片原さんが慌てて私から退いた。
 急いで運転席側の扉を開け、外に出ていく。

(今なら逃げられるかも)

 鞄を抱きしめ腰を浮かせた、刹那。

「俺の嫁に、なにをしてんだ?」

 開かれた扉から入り込んできた、凛と澄んだ声。
 空間の反響を纏わせてもなお通ったそれは、どこか、聞き覚えのある。
 コツコツと鳴るのは彼の靴音だろう。

「だ、誰だお前……!」

 取り乱したように声を荒げる片原さんの、視線の先を追う。
 薄暗い影の中、堂々たる足取りで現れたのは、ゆったりとしたシャツに細身のジーンズをまとった男性。
 彼は動揺する片原さんにも臆することなく車へと歩を進めてくると、車に乗る猫をちょいと撫でた。

(そんな、まさか。そんなはずは)

 予感に、心臓がばくりばくりと強く跳ねる。
 なおも猫にねだられた彼が俯いた拍子に、柔らかそうな白い髪がふわりと揺れた。

「俺か? 俺は彼女の旦那だ」

「だ、旦那!? はっ、んな嘘に騙されるわけ――」

「嘘ではないさ。なあ?」

 顔があげられる。
 かち合ったのは、薄暗さに負けない美しい赤い瞳。

(やっぱり、夢の――)

 固まる私に彼はとろりと瞳を緩めると、つかつかと片原さんを通り過ぎて、運転席の扉を開ける。

「遅くなって悪かったな、怖かったろ。もう心配ないからな」

 差し出された掌と、労わるような優しい声。
 心配げな微笑がちりりと胸をたきつけるのを感じながら、私も手を伸ばし、重ねた。
 嬉し気にいっそう笑みを深めた彼が、強すぎない力で私を引き上げる。