「これは親父にも、俺にも、この家の誰にも出来ない仕事だしな。それに、ほとんどヒトではあるとはいえ、依頼人はあやかしでもある。あやかしと関われば関わるほど、普通の……あやかしなどお伽噺だとする"普通の人間"としての生活と異なってしまうのは、避けられない」

 よく考えたほうがいい、と。
 気遣ってくれるマオにもう一度用紙を眺めてから、私は狸絆さんへと向き直った。

「精一杯頑張らせていただきますので、何卒、よろしくお願いします」

「……そうか、ありがとう」

 朱角、と。狸絆さんが控えていた彼の名を呼ぶと、すべて承知しているかのように「かしこまりました」と朱角さん。
 彼は私に感情の見えない黄金の目を向け、

「名刺をお持ちでしたら、頂戴してもよろしいでしょうか。それから、雇用関係などの仔細もお伺いさせていただきます。現在お住まいの場所からの引っ越しも、早急にこちらで対応いたしますので、なにか注意事項などございましたらお伝えください」

「え? それは……」

「この後のことは、私たちで進めておくよ。今は退職代行サービスなんてものもあるくらいだから、怪しまれることもないだろうしね」

「そんな、そこまでご迷惑をおかけするなんて……」

「それは違います」

 きっぱりと言い放ったのは、朱角さんだ。彼はバインダーから別の用紙を取り出しながら、

「あなた様に不用意に動かれては、どこで例の男に見つかるやもしれませんから。今はこちらで大人しくしていただいていたほうが、俺達にとっても助かります」

「……そうです、ね」

 こちらを記載しておいてください、と。渡された用紙を受け取りながら「すみません」と告げる。
 すると、マオは不満気に鼻頭に皺を寄せて腕を組み、

「朱角、お前、俺を嫌うのは構わねえが、だからって茉優にまで冷たく当たることないだろ」

「俺は事実を述べたまでだ。それと、俺が忠義を尽くすのは大旦那様にだけだと、お前も知っているだろう。なにも"お前の縁者"だからと愛想を欠いているのではない。うぬぼれるな」

 ぴりりとした空気に、私は慌てて、

「朱角さんの言う通りです。それに、私、冷たくされたなどとは感じていません。朱角さん、お手間をかけて申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

「……賜りました」

 頭を下げた私に、朱角さんが軽く会釈を返してくれる。
 充分礼儀を尽くしてくれる人だと思う。
 ヒトではなく、あやかしだけれど。