涼やかだった床の間を指しているのだと理解して、私は何度も頷く。
 彼は「ありがとう」と笑み、いそいそと歩を進めた。

「つい花の手入れに夢中になっちゃって。驚かせて、申し訳ないね」

 私は「いえ」と会釈しながら、

「突然押しかけて来てしまったのは、私のほうです。お邪魔をしてしまい、申し訳ありません」

 頭を下げながら、この人はどなただろうかと考える。
 和服が随分と馴染んでいるし、タキさんと同じで、ここで働くひとりだろうか。庭師さんとか。
 さすがに大旦那様みずから、花の手入れはしないはず。
 床の間の前まで進んだ男性は「お邪魔だなんて。歓迎するよ」と膝を折った、刹那。

「おっと」

「!」

 よろけた拍子に、花瓶から水か数滴跳ねた。

「お着物、大丈夫ですか?」

 急いで鞄からハンカチを取り出し、その人の側へ。
 驚いたように目を丸めながらも頷いたのを確認してから、私は畳に跳ねた水にハンカチを押し当てた。

(畳を拭く時は、こすっちゃ駄目なんだよね)

 傷つけないように注意を払いながら、乾いた面を何度かに分けて、ポンポンと優しく叩いて水分を拭きとっていく。

「少量ですし、あとは自然乾燥でも問題ないかと思います」

「……畳の拭き方を知っているんだね」

「あ……祖母と住んでいた家に、畳があったので。小さい頃から、よく濡らしてしまっていたんです」

 たしかに、私くらいの年齢だと、そもそも畳に馴染みのない人も多いだろう。
 その人は「ふむ」と納得したように小さく呟いてから、

「ハンカチ、汚してしまってすまないね。クリーニング代を用意するから、少し待っていてくれるかな」

「いえ、私が勝手にしたことですし、ただの水濡れだけでしたから。お気になさらないでください」

 慌てて告げると、その人が「本当にいいのかい?」とどこかしょんぼりとした顔をする。

(なんだか、お茶目な人)

 思わず笑みを零しながら「はい」と頷くと、その人は「ありがとう」と嬉し気に目元を緩めた。
 すっと伸ばした指で、花瓶から垂れ下がる白い花に触れる。

「これ、何の花でしょう?」

 茶目っ気たっぷりな声に尋ねられ、私は「え、と」とどもりながらも急いで花に視線を向ける。