早朝の戦いから数日後――。
俺は、再び『白狼の森』を訪れていた。本当はもっと早くに来たかったのだが、俺も役人である。
しばらくは戦の事情聴取などに追われて忙しく、まとまった時間を取ることができたのは、やっと今日になってのことだった。
訪れた理由は、戦後の後処理のためである。
「……荒れてますね。今思えば、それなりに大きな規模の戦でしたから仕方ありませんが」
シンディーが小さくつぶやいたのは、足元に転がった木片を見てのことだ。
もはや原形はない。けれど周りを見渡せば、それが亜人集落の建物だったことはわかる。
がらんどうになったスペースの中央では、ヒギンス家の家紋が入った旗が黒焦げになっていた。
無理矢理、旗を変えさせられた亜人たちのせめてもの仕返しが、これだったのだろう。
やるせない気持ちが、泡のように沸き起こってくる。
「あいつが、あの大馬鹿アクドーがこの惨状の原因だと思うと、わたくし正直むかつきます。亜人たちの気持ちを考えると、胸が痛みます」
「全くだよ。もう二度と繰り返させてはいけない争いだな」
「…………はい」
人の痛みを自分のもののように感じて落ち込むとは、なんとも心優しい少女だ。
俺は、顔を伏せるシンディーの肩をぽんと叩いて慰める。それから、彼女に箒を差し出した。
「言ってても、元通りになるわけじゃない。さ。とりあえず、俺たちが今できることをしよう。亜人たちの森が、再び蘇るようにね」
「…………はい、ディル様!」
受け取ったシンディーは、少し晴れやかな顔になって、にこりと笑った。
森の掃除は、順当に進んでいった。森にいた亜人らも、協力してくれたのだ。
昼からは手の空いていた元海賊・ドドリアらも参加して大所帯となる。
それにしても、似合わない。元・海の荒くれ者たちが、嬉々として森の掃除に励んでいるのだ。
「龍の旦那ァ! こいつは、すげぇ! どうなってやがる、どんなゴミでも吸い付けて、細かく分解しちまうなんて」
ドドリアなどは箒の性能にいたく感心し、もはや虜になっていた。
もちろん、これも古代にはあったという幻の魔導具を再現したものである。
自動でゴミを吸い寄せるだけでなく、受け皿に入ったゴミを細かく分解し、なんでも燃やせるようにしてしまえる優れものだ。
しめて、5万ペル! というのはあくまで販売価格で……。仲間内が使う分には当然お金は取らない。
そんな便利魔導具のおかげもあり、作業はとんとん拍子に進む。
白龍の背に乗り、荒れた場所を的確に探すことができたのもその一因だ。俺たちは勢いのまま、もともと領地の境界線だった小道も越える。
「この調子で、どんどん掃除して行きましょう♪ 一応、この森は全体がディル様の領地になったんですよね?」
「まぁな。裁判の結果、そうなった。いずれ隣町ローザス含めて、俺の管轄になるらしい」
「おぉ! 昇進昇進♪」
シンディーはどこで拾ったのか、竹を打ち鳴らして、言葉を上ずらせた。
「そんないいものじゃないよ。大方、国の都合だな」
普通、悪政で荒れたあとの町をそのまま引き継ぐのは、誰もが避けたがる職だ。昇進というより、厄介ごとを押しつけられたと見るべきだろう。
ただ俺個人としては、ローザスの町も心配だったから、これでよかったのかもしれない。新しく領地となる町を遠目に、俺はしばしぼうっと歩く。
「…………汝であるか。こたび、この森を守ったものは」
だから、気付くのが遅れた。話しかけられて、やっと顔を上げる。
そこにいたのは、よもや獣だった。大きな体躯をしているというのに、ほとんど気配がない。
コボルトにも似た魔物だが、その数倍大きな体躯をした白い獣は、忽然と姿を現していた。
「な、なに!? 喋る魔物!?」
シンディーが腰を落とし身構える。海賊たちも臨戦態勢に入ったが、俺はそれらを制止する。
少なくとも敵意はない。あれば、とっくに感知している。俺は再びその獣の身体をぐるりと見て、合点がいった。
「…………まさか、白狼さま?」
「まだそう呼んでくれるものがいるとは。そうとも、余はフェンリル。白狼と、そう呼ばれていたこともある」
この森の名前の由来であり、デミルシアンたちがもともと信奉していた神だ。
「本当にいたのか、驚いた」
「わたくしもです、てっきり伝説だけかと。ってことは神獣さま!?」
シンディーが言うのに、フェンリルは首を横に振る。
「やめてくれ。余に、もうそう呼ばれるような力はない。侵略者どもに魔物と勘違いされ、死にかけていた身よ。もう千年近く生きているというのに、この森一つ守れなかったのだ」
「……そう、ですか」
「汝は、千年と聞いても驚かないのだな?」
「あぁ、まぁそれくらいなら」
まぁ、隣に4000年の時を経て蘇ったあざとい子もいるしね。
「それより、死にかけたと言ってましたが、傷はもういいのですか?」
「回復だけは早いのだ。もう問題はない。だから、汝に礼を申し上げにきた。この通り、本当に助かった」
フェンリルは、その大きな身体を地面へと伏せる。
視界を立派な毛並みに覆われては、抑えきれなかった。俺が思わずその頭に手を伸ばすと、彼は気持ちよさげに目を細める。
「す、すごい! 新しい領主様が、神獣様を手懐けた!」
「なんて光景だ。滅多に見られるものではないぞ! 伝説の神獣様が現れるだけで奇跡なのに、人にされるがままに……。なんと器が大きい人なんだ、ディルック様は!」
亜人たちが、こう噂話を交わす。
なぜか誇らしげなシンディーと元海賊衆は置いておくとして、事実でないことを言われるのはフェンリルとしても不服だろう。
「あとで、ちゃんと訂正しておくよ」
「その必要はない。余もそのつもりである。汝ならば、この森を守るに足る。そう思うのだ」
「……えぇっと?」
「どうか、これを受け取ってはくれないか。汝が主にふさわしいのなら、必ずや役に立つ」
白狼は、首に垂らしていた大きな飾りを、器用に咥えて外す。
そして、俺の手の上に乗せた。
「これはなんだ? 魔石?」
「ただのそれではない。この森の主に代々伝わる宝。奴らに奪われそうになりながらも、隠して守り抜いた宝である。真に主なるものならば、この石に魔力を注ぐことで、森の自然を一瞬にして元通りにできる」
……なんだ、その力。あまりに桁が外れていないだろうか。
思いながらも、俺はキュッとそれを握る。
すると、どうだ。煌々と光るその石は、ひとりでに浮き上がる。
次の瞬間、あたりの折れた木々がめきめき元へと戻りはじめた。濁っていた池の水が澄んだものへと変わっていく。
必要があったとはいえ、俺が根こそぎ折ってしまった木々も、見る間に元通りになっていったではないか!
メキメキと現在進行形で変わっていく光景に、俺は驚きが隠せない。シンディーや元海賊衆、亜人らも、目をひん剥いて圧倒されていた。
「これこそが秘宝の力である。神の与えた石だ。この森の自然と呼応しているため、この森でのみ作用する。使いこなせるものはこの森の主と認められし者のみ。やはり、森の主はもう余ではない。汝であるな」
フェンリルは、納得したように、凛々しくその顎を振る。
「俺が貰ってもいいのか、これ」
「汝が森を修復して見せた以上、それはもう汝のものだ。……それより、もう一度頭に触れてはくれぬか。ひどく心地よかったのだ」
こうして、訳もわからぬうちにフェンリルが仲間になり、森の掃除はいっぺんに片がついた。