まさか、森で戦が巻き起こっているとも、その戦が劣勢に傾いているとも知らず……。アクドー・ヒギンスは、屋敷で眠りこけていた。
使用人は、何度も状況報告のために、部屋を訪れた。しかし、寝ぼけていた彼は、その使用人を叱りつけ追い返していたのだ。
やっと目覚めたのは、屋敷内が騒然としだした頃、すでに時は遅い。
飛び起きたアクドーは、寝室の小窓から外を覗く。
そこではちょうど、屈強な亜人たちが屋敷の門を破り侵入するところだった。矢が飛び交い、一部では火もたぎっている。
煙がつんと鼻をついて、アクドーは眉を顰めた。
人以外を毛嫌いする汚らわしく卑しい民と考えるアクドーにとってその彼らが迫り来る様は、身の毛をよだたせた。
「な、なにが起きている!!!! 僕の屋敷に一体何が起きたんだ!」
アクドーは慌てるあまり、躓きながらも部屋を飛び出る。
近場にいた使用人を捕まえ、床に組み伏せた。さきほど、必死に彼を起こそうとしていた男だ。
「貴様、なぜこんな状況を知らせなかった!」
「は、はっ! 私は何度も状況を知らせようと……」
「言い訳をするな、カスめ! 状況を話せ、なぜ亜人がここにいる!? 町にいたものは、全て追い出し『白狼の森』はドルトリンと山賊に制圧させたはずだ!」
使用人は、慄きながらも届いていた情報を報告する。
ラベロ家領土の森に誤って侵入したこと、戦となりドルトリンが出撃したが敗れたこと、それにより獣人たちが解き放たれたこと――。
順を追って説明されるなか、アクドーの頭は情報を処理しきれず沸騰しはじめる。
「う、う、うぁぁぁ!!? 貴様、何を言った! ふざけるな、あのドルトリンがディルックに敗れただと!! 嘘を言え、カスが!! ここで死ぬか!?」
「す、全て本当にございます!! また、町でも暴動が起きています。アクドー様が領主となってからの支配には、うんざりだと人間の市民たちも…………」
「けっ、底辺市民どもがイキがりやがって! 腹いせだ。貴様のその顔、ボコボコにしてやる! くそ!!!」
なんの罪もない使用人に手をあげようとするアクドー。廊下に、強く叩き潰すような音が鳴り渡る。
果たして頬をぶたれ、地面に大きく突っ伏していたのは、アクドーの方だった。
無様に血を吐き出す。
「ウサは、ウサミミ族の兵士! この屋敷の片隅に囚われ、労働に従事させられていた」
貴様だな、アクドー・ヒギンス。このウサウサ族が、亜人たちの怒り全てを込めて、成敗してやるっ!」
侵入者である亜人たちが、そこまで乗り込んできたのだ。
「な、なんだと、もうこんなところまで!? 警備はどうした!」
アクドーは痛む頬を押さえながらにして、狼狽える。
だが、答える兵はいない。屋敷に配していた兵士らは、その大半が森での戦に駆り出されていた。
最低限でしかなかった屋敷の守りは、入ってしまえば容易く突破できるほど脆かった。
それも、信頼関係などなく金だけで結んだ縁である。一部の衛兵は、屋敷から物を盗んだ末、すでに逃走中だ。
だが、そんなことを知る由もなく。
「くっ、僕を誰だと思っている!? 天下のヒギンス公爵家の子息様だぞ!! しかも、この間までは王の側近でもあった! そして、この地の領主だぞ!? 亜人ごときが触れるどころか、殴るだと! ありえねぇ」
お門違いな怒りも、天を衝く。
ウサウサ族の男に対して、アクドーはがなり立てた。地団駄を踏み、目を血走らせる。
「去れ! 気味が悪い! 去れ、穢らわしい亜人め! その耳も、毛の生えた腕も、なにもかも生理的に受け付けない!」
生まれながらにして公爵家の甘い蜜を吸い、常に高台の上にいた男だ。
こんな状況下になっても、彼はあくまで自分が支配者でいるつもりだった。
自分の命令を聞かぬものはいない。
そんな勘違いも甚だしい奢りを、彼は抱いていた。
「ウサたちは、いや、亜人たちはみな、人に毛嫌いされることにも耐え、安寧の地を森にのみ得ていた。そこすらも破壊しつくし、亜人という理由だけで、違法労働に就かせたこと。もう我慢の限界だったのだ!」
ウサウサ族の男は、仲間達の悲痛の叫び全てを代弁して、憤る。
「処刑するなら、ウサだけをやれ!! すべての罪は、一人で被る!!」
一発一発に、恨み辛みの篭ったパンチが繰り出される。アクドーはすぐに気を失った。
その後、その彼により、アクドーはあえなく捕虜となる。
命を救われたのは、またしてもその身分のためであった。
殺すまでしてしまった場合、人間たちとの全面戦争になるリスクを、亜人側が考慮してのことだった。
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