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「ディル様、本当に無事でしょうか」
「心配いらないわよ、シンディー。彼の強さは、召喚されて長いあなたが一番そばで見てきたでしょ?」
「それはそうですけどぉ。誰にも負けるなんて思いませんけど。妻は、いつでも旦那様が心配な生き物なんです~」
「シンディー、あなたねぇ。うちだって本心は、彼のために戦いたいわ。でも、うちらにはうちらの任務があるもの」
キャロットの言うことはたしかだが、である。シンディーは、何度も後ろを振り返ってしまう。
「……たしかに、ディルック神様は強い。ただ森全体の種族を苦しめる大量の敵が相手、そう簡単にはいかないかもしれません。隣町の領主が代わってから、その侵略は亜人たちが束で対抗しても、止まってない……。かなりの難敵です」
手足を犬のそれに変えて、二人を乗せて走るコロロが不安げに言った。
その心配を、ふっと鼻で笑ったのはキャロットだ。
「大丈夫。今日が、その侵攻の止まる日よ。うちは、確信してる。だって、うちらの主人だもの。ディルック様は、絶対に勝つわ。そうと決まってる」
その言葉が、シンディーの胸を打った。
うん、たしかにそうだ。負けているディルックの姿は想像もできない。
ずっと一緒にいたから、ほんの少しの別れが、変に心をかき乱していたようだ。シンディーは胸に手を当て、目を閉じる。お揃いで着けている腕輪に手を当てた。
そして、もう前だけ見ていようと心を新たにしたところだ。そこに思いがけないものを視界に捉えて、シンディーは、前に座るキャロットの肩をつつく。二人を乗せて走るコロロの背中を揺する。
「今度は何よ、シンディー」
「キャロットさん! なにか、走ってきてます!! あれ、なに…………って獣人さん!? うさぎの耳した人とか、手の長い人とか、たくさん! とにかく、たくさん、みんな武器を持ってこちらへ!」
動揺で、言葉を選べないまま発する。すぐ横を、矢が掠めていった。
なぜ獣人たちが自分たちを狙うのか。分からないことだらけで、頭が混乱してきたところへ、
「シンディー、あなた錬金魔法は戦いで使える?」
キャロットが言う。
「……ディル様ほどうまくはありませんが」
「なら、うちらで止めるわよ。コロロは、そのまま走って! シンプルに考えるのよ、こんな時は。余計なこと考えたらダメ!」
姉貴分にあたるキャロットの指示に、二人は頷く。そして、対処へと打って出た。
シンディーは錬金術を用いて、迫りくる敵を封じ込めていく。
こちらも、敵も動きながらの戦闘だ。
詠唱が安定せずなかなか狙いが定まらないが、それでも土壁や木の網を作り出し、攻撃を防ぐ。
それらをくぐり抜けた者も、俺とキャロットであたりにはりめぐらせた即席罠にハマり足止めを食らっていた。
「やるじゃない、シンディー!」
「キャロットさんこそ、さすがの罠です!」
しかし、それにも限度があった。錬金術も罠もすり抜けてきた亜人・手長族の振り翳した槍が、彼女らに迫る。
その後ろからは、矢も追ってきていた。
「く、くそ、このままじゃ人殺しになっちまうウキ。く、くそぉ!!」
ためらう言葉とは反対に、武器は振りかざされる。
「コロロさんっ!」
「すまない、そなたらを乗せてだとこれが限界だ」
その穂先が自らの喉元へ向けられて、シンディーははっと息を呑んだ。
錬金術を組もうにも、もう間に合わない。そのとき、彼女の頭を駆け巡るように埋めたのは、主人の顔だった。
(……ディル様!!)
道半ばで前世を終えて英霊となってから、4000年間。
ずっとずっと、現れるのを待ち続けた主人だった。
その召喚スキルは、天より選ばれし者のみに与えられる、とても特別なもの。
人を愛し平和を好み、努力を惜しまず、他人のために心底動けるうえ、王の風格を持つ――。
そんな稀有な人にしか発現しないと、英霊になった時からシンディーは自然と理解していた。
だからこそ、召喚された時は奇跡が起きたと思った。
彼は自分に再び命を与えてくれた、ものを作る機会をくれた。誰かのために作るという、至上の喜びに気づかせてくれた。
それだけで十分、彼は愛するに足る人だった。
でも、それだけじゃない。
彼と過ごす日々は、どこまでも優しくなによりも甘美だった。今は、前世よりもずっと充実している。それはひとえに、愛する人のおかげだった。
なによりかけがえない彼を必死に思って、シンディーは目を瞑る。
果たしてその願いは、
「ラベロ流・月影斬り!!」
届いたらしかった。凶刃は三人の誰にも傷を負わせず、一本の剣によって防がれる。
「安心してくれ、もう心配ないよ」
待ち望んだ人、たった少し離れるだけでも焦がれてやまぬ人。
シンディーにとって唯一無二の男、ディルック・ラベロが龍の背に乗り、そこにいたのだ。
「ディル様ぁ! ディル様ぁ、ディル様ぁ!!」
「こら、シンディー。まだ戦ってる途中だから。でも、無事でよかった」
笑顔を向けられ、シンディーは、じわりと心を満たされ涙を禁じ得なかった。
やっぱり来てくれた、ご主人様は。