そうして始まった港開拓計画――。
その実現へ向け、本腰を入れ始めたある日のこと、その来訪者は突然にやってきた。
「ま、まさかこんなところまで侵略の手が及んでいたのか……!?」
ぼろぼろの衣服を召した少女が、背後の森から浜辺へと飛び出てくるや、こう声をあげたのだ。
見た目は人間の少女とほとんど変わらないが、その一部の特徴は、ヒト族でないことを示す。
髪の上には大きな垂れ耳がついて、後ろでは長い尻尾が警戒を示して立ち上がっていた。
「ディル様、どうしたんでしょうかあの子。また獣人さんみたいですけど」
「あの様子だと、デミルシアン族だな。犬の特徴を受け継いでる一族だ。昔、一度だけ見たことがあるよ」
俺とシンディーは設計図の作成途中だったが、その手を止め顔を上げる。
「龍の旦那ぁ、危険そうな奴なら追い払いますが」
すでに棍棒を構えていた元海賊・ドドリアの申し出に、俺は短く首を振った。
まず第一に対話をしなければ、なにも分からない。立ち上がって、彼女の前まで出ていく。
「この森の住民か? 驚かせて悪かった。俺たちに、侵略しようなんてつもりはないよ」
「……そなたたち、ローザスの回し者ではないのか…………?」
隣町の名前に、まずぴくりと反応したのはシンディーだ。
「ローザスぅ!? アクドーみたいな変な領主と、わたくしの旦那様を一緒にしないでください。あり得ませんよ、あんなやつの回し者だなんて!」
彼女は、くわっと険しい剣幕で詰め寄っていくので、俺はその袖を引いた。
それでも譲らぬシンディーに気圧されたのか、少女は一歩引き下がり、だがそこで踏みとどまって尋ねる。
「では、そなたたちは一体……?」
なおも警戒はしているようで、犬歯を剥きフーッと荒い息を吐いていた。
俺は努めて声音を落ち着ける。
「俺たちはローザスの隣にある村・テンマの者。俺はその領主で、この辺り一帯の管轄任務を受けている。逃げるみたいに走ってきたけど、何があったのか」
「テンマ……! そなたらが、噂に聞く亜人にも寛大な隣村の者たちか! しかし、本当にローザスの者ではないのか」
「嘘をつくメリットがないよ。ほら、アクドーのところとは紋章も違うだろ」
そう俺が言って差したのは、停泊させている船のあらゆる箇所に挿された旗だ。そこには、ラベロ家の家紋・三日月紋と龍が描かれている。
少女はそれをまじまじと見て、やっと信じてくれたらしい。話をしてくれる気になったようなので、作業用に設けていたプレハブ小屋へと招き入れる。
一つ足りなかった椅子はシンディーに即興で錬金してもらい、席に着いた。
「な、なんです。女の方、今のは魔法ですか」
「わたくしとディルック様のみが使える、愛の結晶・錬金術ですよ。そんなことよりディル様、お話をどうぞ。妻がお茶を用意しますから」
……結婚した覚えはないのだけど、それはさておき。
小屋の中に湯の注がれる音が響くなか、俺たちは自己紹介をしあう。デミルシアン族の少女は、名をコロロというらしい。
やがて彼女が変わらぬ固い口調で語り出した内容は、俺たちに衝撃を与えた。
「ここから森を抜けて西のところにある、ローザスから侵略者が来ており、逃げる場所を探していたらこの浜に抜けたのです」
「……侵略者。ずいぶんと穏やかじゃない話だな」
「そなたたちのところまでは、まだ手が伸びていないようですが……。この『白狼の森』はもう散々に荒らされております」
ローザスからの侵略、つまりそれはアクドーがその指揮をしていることに他ならない。
俺は、はっとして前のめりになった。
「あいつが……。今度はなにをやった?」
「『白狼の森』はもともと、瘴気のあまりない魔物の少ない環境なのです。
だから広大な敷地のさまざまな場所に、我らデミルシアン族みたく、たくさんの亜人が住処を築いていた。中には、我らを目の敵にする山賊たちもいたけれど……、それでも少し前まで森は総じて平和だったのです」
だが、突然にして破滅の時は訪れたのだとか。
「異変が起きたのは、ローザスの領主が変わってからです。最初に話を持ちかけられたのは、我らデミルシアン族。彼らローザスの人間は、大量の食糧と金品を携えやってきて言ったのです。『従えば、土地も命も保証する。従わないのなら、その逆だ』と」
ふむ。ここまでならば、やや強引でこそあれ変わった要求でもない。だが、アクドーがそうまともな取引を持ちかけるわけがなかった。
「従わないメリットがなかった。だから、族長である我が父はそれを受けたのだけれど、そこからが地獄の始まりだったのです」
「……地獄。いったい、どんな要求をされたんだ」
「工場の泊まり込み勤務に男を出せ、兵士の男たちの性処理に女を寄越せ、貢物を毎週献上しろ、やら酷いものばかりでした。挙句の果てには、自分を神として崇め奉れ、と命令してきたのです。我らの神・白狼の像を打ち捨て、自分の銅像を設置しろ、さもなくば滅ぼすと!」
コロロは憤りからか、机の上、握りこぶしを固める。
俯き前屈みになって、クリーム色の髪で目元を覆った。
俺は俺で、やりきれない思いになっていた。聞いている側としても、彼女らの心境が痛いほどわかって心苦しい。
どちらに転んでも地獄。いきなり外からやってきた者に、そんな選択肢を無理やりに突きつけられたのだ。
「それでコロロの父はどうしたんだ?」
「……我が父は、仲間思いの族長。断った結果、母とともに彼らに連れて行かれてしまった。無事かも分からないっ。そのうえ、集落は奴らの配下に入った山賊たちの手で、焼かれた」
自分より少しでも身分で劣るものを全て見下して笑う彼の汚い笑顔が、脳裏によぎる。
あの悪党め、と俺は舌を噛んだ。バックについた大権力を振り翳して、弱きものの痛みを一切省みない。
辺境への追放という相応の罰を受けたにもかかわらず、奴はなにも変わっちゃいないのだ。むしろ凶暴化してさえいる。
「同じように持ちかけられた他の種族は、涙を飲んで従うものと反発するものとに分かれております。揉めて、殺し合いをした種族もいると聞きます」
「…………それで、デミルシアン族は今どうなってるんだ?」
「両親を連れて行く際、住処を壊されたため、新しい安寧の地を求めて広い森を彷徨っております。外に出れば、より一層奴らの目につきやすいので……」
奥歯がギリっと噛み締められる音が、俺の耳には届いた。込められた悔しさが、直接伝わってくる。
それを受ければ、口にせずにはいられなかった。
「……そうか。なら、一旦うちの村に避難するか? あいつなら、境界線を守らず侵略してきそうだけど……。少なくとも俺の村は、そう簡単に手出しはできない。渡りに船だろ?」
「よ、よろしいのですか! だが……我らは今、搾取し尽くされた。ほとんど与えられるものがないのですが」
「弱っている者たちから見返りなんて求めない。もし信頼できないのなら、一度、村でより詳しい話を詰めよう」
コロロは、言葉をなくして俺をただ見つめる。
その耳も尻尾も、ピクリとも動かなくなってしまっていた。
期待値を大きく超える提案だったらしい。
そこへ、シンディーが温かい紅茶をを差し入れた。罠ではないと示すため、俺は先にそれをくいっと飲む。
それを待ってからコロロも一口含んで、ほっと息を吐いた。
「なぜ、そのようなことを申し出てくれているのです? それでは、そなたらにメリットがない」
「色んな理由があるさ。領主として、あいつを知るものとして、野放しにしておけないのもある。なにより、今の話を聞いて黙って見過ごせない」
俺の血はそこまで冷たくないのだ。
「わ、我が嘘を言ってるとは思わぬのか? もしかしたらスパイやも知れぬのに?」
「だとしたら、その時はその時だ。それに、スパイ対策は御手のもの、結構見抜けるんだよ」
王国城内に潜入を目論む間者たちを何度しょっ引いたことか。
ある程度は、目を見て判断できる。むろん、ある程度だが。
「それで、どうだ。村まで来るか?」
「……我の一存では決められないが、必ず皆を説得する。ありがとうございます、かたじけない!」
齢まだ20にも満たないだろうに、重たいひと言ひと言だった。そこに一欠片とて偽りが混じっていないのは明白だ。
すでに、一族の命運を彼女は背負っている。
であれば対等に接しなければなるまい。
俺はただ、「待っていますよ」とだけ返事をした。