老剣士・バルク。
彼を召喚したのは、数週間前のことだった。
期待していたのは、開発に直接関わるような生産関係の英霊だったから、はじめはどうしたものかと思った。
しかし、これが古代剣術の達人だったのだ。
俺たちは屋敷を出て、彼らが稽古をする村外れへと出向く。そこでは、ちょうどバルクがクマベア族たちを相手取り、実践稽古をしていた。
俺の姿に気づくと、クマベア族らは雄叫びをあげる。
「強い剣士相手だろうと関係ねぇ! 領主様の前で、恥をかきたくない! 全力でいくぜ!!」
その太い腕を遠慮なく、バルクへ向けて振り下ろした。たぶん、地面にあたれば大きな揺れが起きただろう強さだ。
俺との特訓で鍛えたこともあり、急所を狙う器用さも覚えている。
しかし、バルクは片手のみで握った剣によって、それを止めていた。まるで重さを感じていないかの如く、軽々しかった。
「な、なんだと!」
そのままクマベア族の腕を地面へと払いのけてバルクは言う。
「魔力がなくとも、『気』の扱い方を覚えれば、貴殿らももっと強くなれよう! 爺のいた時代のお主らクマベア族は、もっと強かった。
 『気』を扱う、クマエリートになるのだ、お前たち! そのためには、さらなる訓練でござる!」
……しかしまぁ、熱血だなぁ。見た目は、白髪白髭で、もう老人だというのに。
俺は半ば呆れるほかない。
バルクの言う『気』。それこそが、この4000年のうちに忘れ去られ、古代にしかない概念であった。
魔力とはまた別ものらしい。研ぎ澄まされた心、磨き上げられた技術、強靭に仕上げられた身体があって、発動できるという。
身体に纏わせることで、身体能力の全てを引き上げられる秘技だ。
彼いわく、訓練をすれば誰でも扱えるような代物とのことだった。
バルクはひと段落つくと、俺の前に片膝をつき頭を下げる。
「これはこれは、若様。それに、シンディー様。ご見物とは至極光栄でござる」
「バルクさん。あんまり虐めすぎないでくださいよ。いざと言うときに、全員疲れ切って戦えないのでは困りますから」
「はは、それはそうでござるな。すまぬ!  もう少し非常時のことも考えて、特訓することとしますぞ。では再開にござる、者ども! まずは素振り100回!」
果たして、どこまでいじめ抜くのだか。
歳を感じさせぬキビキビとした動きで、彼は再び稽古に入る。それを目にしたシンディーは、手をぱたぱたと自分の顔を仰ぐ。
「ディル様。わたくし、なんだか暑くなってきました……」
「あぁ、もう夏だしなぁ」
「それもありますけど、なんかこう……暑いんです」
溌剌とした掛け声とともに、クマベア族らの素振りは一斉に始められる。
彼らの汗が太陽光に晒されて、きらきらと光っていた。
たしかに、これは暑苦しい。眺めていると、俺も意識の境界線がぼうっと薄れていく心地になる。
まさに、その時のことだ。
「…………これは!」
身体の表面で、ぶわりと毛が逆立った。突如襲ってきた禍々しい気配が、そうさせたのだ。
俺はすぐ剣に手をかけ、あたりに気を配る。
近くまで、魔物が降りてきているらしい。
バルクやクマベア族たちも気づいたようだが、その場所までは把握できないようで、あたりを警戒する。
ただ俺には、龍の探索能力も備わっていた。
すぐさま場所を探知し、それが潜む草陰の前まで駆ける。
のそりと出てきたのは、怪蠍・キルスコーピオン。危険度はAランクと高位に君臨する魔物である。
ここらで見かけるのは、初めてだった。
「ひ、ひぃっ! なんかすごい見た目! よ、余裕のよいじゃありません。ディル様!」
シンディーが俺の後ろで悲鳴をあげる。がしりと腕を掴んできた。
大きな節足は、間近で見ると確かになかなか堪えるものがあった。この魔物も、以前対峙した大蛇と同じく毒を持つ。
「若! ここは一つ、この爺が得意の剣技を」
「いや、剣はまずいよ。たしかこいつら、切り付けられると、毒を撒き散らす習性があるんだ」
「なんと! ではどうするのでござるか」
「今は、大人しく帰ってもらうほかないかな。シンディー、すぐ終わらせるから離れてくれるか?」
こくりと、彼女はか細く頷く。
俺は剣にかけていた手をだらんと下ろし、腹の下、丹田に意識を置いて呼吸を落ち着けた。
こうして、身体の端々から内側へ中心へと溜めていくのが『気』である。
目を閉じた後、キルスコーピオンを強く睨みつけた。
バルクを召喚した俺も、その今はなき力を扱えるようになっていたのだ。
真正面から、殺気がぶつかり合う。
「す、すげぇぜ! さすが領主様、気だけで魔物とやり合ってやがる!」
どちらも引かぬ競り合いであったが、やがて薄れていったのは、キルスコーピオンの放つそれだった。
「……ク、クォー」
草むらを長い手足でかき分け、身体を前に向けたまま、そのまま山へと引き返していく。
「あれ……」
思わずこう口から漏れたのは、去っていく気配が二つであったためだ。
すぐさま残されていった足跡を観察しにいけば、犬のような足跡が残っている。
コボルトでもいたのだろうか。
スコーピオンの放つ強烈な魔力で、気づくことができていなかったらしい。
いずれにしても、
「あぁ、見たか今の! 領主様、雰囲気だけであの獰猛な魔物たちを追い払ったぞ」
「さすがだ……! あれが『気』か! なんて格好いい。戦わずして勝った……!」
「やんっ、さすがディル様♡」
ひとまずの危険は回避できたようだ。
さまざまな感想が、交わされる。
バルクに至っては、ずっと目を閉じずにわなわなと震え、俺を見つめていた。
「やはり、若は格が違うよのぉ」
「いいや、バルクさんを召喚したときに覚えた『気』を使っただけだって」
「なにをおっしゃるやら。今のは『気』を超えているでござる。言うなれば、『剛の気』!」
……ん? なんだろう、それは。
「『柔の気』と対をなす圧倒的なオーラでござる。追い払うのが『剛』、従えるのが『柔』。どちらも、『気』を極めたもののみがたどり着けるものぞ!」
「……極めたって、最近覚えたばかりなんだけどなぁ」
「元より素質があったのでござろう。若様の家は代々、剣術の家だったと聞く」
そりゃまぁ、人並み以上の鍛錬はこなしてきたつもりではあるが、実感には乏しい。
「爺の前に生きていた時代において、『剛の気』を纏うものは唯一、伝説となった剣王ベルセルクのみであった。若様にも、その才覚があるでござる!」
……剣王って、なんかとんでもないな、おい!
とはいえまぁ、剣術の達人にそう言ってもらえるのは、自信にしてもいいのかもしれない。
そして、
「なんだかやる気が出てきたぜ、おい!」
「こんな強いボスがいるんだ、俺たちもディルック護衛団の名に恥じぬよう、強くなろうぜ! まずは気をマスターするぜ!」
「「おう!!」」
士気の上昇に繋がってくれたようで、なによりだった。
「これなら心配なさそうだろ。シンディー」
「はい、たしかに……! これなら安心して、ディル様といちゃつけます!」
おいおい、そもそもはアクドーたちの侵攻を心配してたはずじゃなかったっけ……?