彼の顔だけは、もう二度と見たくないと思うものだった。アクドーは大口を開けて笑いながら、馬車を降りて、のそのそと偉そうに身体をのけぞらせながら、こちらへと近づいてくる。
「うわあ、なにあのいかにも嫌な感じの人。知り合いですか、ディル様」
「まぁちょっとした因縁があってね。あいつが俺を王城から追い出した張本人だ」
「…………あの男が!」
シンディーはアクドーへ、きっと目を尖らせ警戒の姿勢を見せる。
「面倒なことになりそうだ。二人とも、すこし後ろへ」
俺は彼女らを守るように手を広げ、アクドーの前に立ちはだかった。
「なんだぁ、そいつらは。貴様のしょうもない領地の住人か? 可愛い女の方はともかく、ドワーフが仲間とは趣味が悪いなぁ。はっはは」
久しく見ていなかったが、なにもかもそのままだ。
いけ好かないその笑みも、考え方もなにも、俺には到底受け入れられないものだった。
「なにをしにきた。わざわざキャラバンを乗っ取って、なんのつもりだ」
「なんだ怒るんじゃねぇよ、せっかく会いにきてやったんだ。王の側近たる高貴な僕が、じきじきになぁ! 土下座して迎えてくれたっていいんだぞ?」
「話を逸らすんじゃない。その王の側近様が、わざわざ二週間近くかけて、ここまで来る用事はなんだと聞いている」
「そう話を急ぐな。簡単なことよ。ディルック・ラベロ、お前を連れ戻しにきたのさ。ただし、僕の配下に入ると言う条件つきでなぁ」
なにを言われたのか、俺は一瞬混乱してすこし遅れて理解する。
王の命令ではなさそうだった。
もしそうだったら、キャラバンを乗っ取って来る必要性はない。
そもそも本人ではなく、国の旗を掲げさせた使者を寄越すだろう。
つまり、アクドーは個人の判断だけで、ここまでやってきたのだ。
「反乱分子の貴様に、王は赦しなど与えない。そこをこのアクドー様が救ってやろうと言うんだ。戻ってこい。そして僕の配下に入るんだ、ディルック。そうしたら、お前の好きな王城の仕事に戻してやるよ」
アクドーは、さらに俺の方へと歩を寄せて、手を差し伸べてくる。
驕り高ぶった笑みが浮かんでいた。
自分だけが全て正しいと思い込んで、それを一切否定されずに生きてきた人間の顔だ。
昔からなに一つ変わっていない。
「ディル様。……嘘、やだやだ、わたくしまだあなた様と、あの村にいとうございます!」
「領主様……! いや、しかし、恩人様の決断。おらたちが口を出せることじゃないか」
背後で、シンディーが泣き声をあげる。ドワドは、苦々しそうに言葉を吐き出す。
俺は少し俯いてから、ため息を吐いた。
「なんだ、こんな好条件だってのに迷ってんのかぁ? というか、そもそもお前に選択の余地はねぇんだぞ? 見ろよ、後ろの馬車! お前の決断次第では、あいつら商人の命はねぇぞぉ」
「……なにを言っているんだ、アクドーお前というやつは」
「おいおい、ご主人様だろ? 我が下僕ディルックよ。早く答えろ!」
そうせっつかれずとも、決まっている。
俺は迷いなく、アクドーの手を打ち払った。
「な、なっ、貴様!!」
「悪いが、王城を二週間近くも空ける穀潰しの側近様に従うつもりは毛頭ない。それに、俺はもうテンマ村の領主だ。その仕事を、大切な領民を放棄するようなことはしない」
シンディーが後ろで、「ディル様ぁ! わたくし、一生ついていきます~!」と咽び泣く。
「領主様……。あなたの御心、いたくいたく刺さりましたぞ…………! 本当に、あなたについてきてよかった」
ドワドも、こう声を震わせる。俺は、思わずふっと微笑んでしまった。
それとともに、やはり俺の考えは間違っていなかったと再認する。ここまで慕ってくれている仲間を見捨てるなんて、万に一つもあり得ない。
「吠えるな、ドワーフめ。人間様の貴族様だぞ、僕は! 目の前にいる時点で穢らわしい!
 ちっ、クソディルックめ。お前に選択権などないと言ったろうが!!」
限界を超えたらしい。アクドーは怒って剣を抜き、罵声を浴びせてくる。
俺はひとつ策を講じたのち、剣を構えて相対した。
仲間たちを守るためと思えば、負ける気がしなかった。
「馬鹿な強がりだ。ディルック、お前に選ぶ権利などないと言っただろうが! いいから早く僕に忠誠を誓いたまえ!!」
「断るよ。さっきも言っただろ」
「はんっ、お前がこの誘いを断ると言うことはどういうことかわかるか? 僕の捕まえた商会の奴らの命がどうなっても……」
「残念だったな。それなら、もう解放したよ」
アクドーは、なにっ!? と喉をひっくり返らせ、後ろを振り向く。
「な、なに、お前らどうやって……!? きつく結んで、動きすら取れなかったはずじゃ」
そこには縄を解かれた商人たちと、
「それに、なんだあの怪物は…………! 新種の魔物か?」
「魔物じゃないよ。あいつは、俺の仲間だ」
空を悠然と羽ばたく白龍がいた。彼は、「いかにも!」と答えて、俺のそばへと羽ばたきやってくる。
「ありがとう、もう下がっていていいよ」
「承知した」
召喚魔法を使ったのは、アクドーが俺に怒りをぶつけている時だ。
視界がかなり狭くなっているのは、簡単に見てとれた。隙だらけだったので、召喚はかなり容易だった。
すぐに俺の意図を汲んだ白龍は、その鉤爪で商人らを縛る紐を断ち切った。
「なんだか分からないが、助かったぞ……!? ありがとうございます」
商人たちは、疲れ果てていたのだろう。馬車から這うように出てきて、俺へと感謝を述べる。
「テメェが逃げるのに成功したからって調子のんじゃねぇ! お前らの家族は皆殺しだ!」
アクドーの恫喝に再び彼らが怖気付くが、
「そんなことはさせないよ。もし危ない目に合うようなら、テンマで暮らせばいいだけのことだ。それと、危ないから離れていてくれるか?」
俺の言葉に再び顔を明るくして、すぐに従ってくれた。その様子に、アクドーの眉間にはまた皺が刻まれる。
「ディルック、てめぇごとき下っ端が、勝手に僕の決定を覆したんじゃねぇぞ! 辺境領主ごときに、口を開く権利もねぇ! もうムカついた、お前は処刑だ処刑!」
剣を振り上げ、向かってくる。
全くなっていない剣筋だ。がたがたに歪んでいる。乱暴に振り回すことしか知らないのだろう。
「水の波動! 纏い水の剣! ははっ、魔法の使えねぇ雑魚相手に使うにはもったいねぇなぁ!! いい最期だろ? 僕の水魔法を浴びて死ねることをせいぜい感謝するんだな。はははっ!」
……まぁ使えるようになったんだけどね?
むしろ、龍の火を扱うこともできる。しかし、あえてそれを使う必要もなさそうだ。
なんて単純な剣だろうか。剣術道場の子どもでも、もう少しうまく扱う。
ラベロ流の身のこなしでもって、俺は剣をかわし脇へと抜けた。アクドーがそれに反応できずに、いや知覚すらできずに、
「叩き斬ってやる!!」
と恫喝してきたところ、その横腹を突いた。刃ではなく、剣の柄でたった一回だけだ。
アクドーの憎たらしい顔が、視界から消える。彼は、もう膝から地面に崩れ落ちていた。
周りの木々を用いて、錬金術。その手足を縛り上げ拘束する。
魔法も使いようだ。
さっと詠唱を済ませ物を自在に組み上げられる錬金術を高速で扱うことができれば、こうして戦にも生かすことだってできる。
「くっ、くぁっ……!! な、な、なにをした、貴様!?」
「見たまんまだよ。剣を抜いてさえいない」
「く、くそ、イカサマしやがって! もう一回だこの野郎、って、ちぃっ、身体が動かない……ッ!」
深く急所を突いたこともあってか、アクドーは立ち上がれなくなったらしい。
むろん致命傷を負わせたわけじゃない。時間が経てば、元に戻るはずだ。
もう勝負はあったらしい。あっけなかったが、別に好きで戦ったわけじゃない。俺は剣から手を外し、アクドーに背を向ける。
そこには、拳を握り締め顔を赤くしたシンディーがいて、
「圧勝! さすがです、ディル様! それにしても、わたくしの旦那さまに危害加えようだなんて、こいつ……! 殴っても? ぼこぼこに殴り倒しても?」
俺よりも怒りを露わにしていた。今にその髪が天に上っていきそうな勢いである。
顔こそ一応笑っているが、どす黒い影が落ちているし、声は低く獣が唸るかのようだ。
「構う必要ないさ、シンディー」
「……う。ディル様はそれでよいのです?」
「うん。もう興味もないからな。それに、こいつが俺を追放していなかったら、シンディーに会うこともなかったかもしれないんだ。今となっては、別にもう恨みもない。それで、ここは引いてくれないか?」
シンディーは渋々といった様子ながら、こくんと頷くので俺は少し唇を上げて微笑む。
「それより、錬金術で馬車を直してやってくれ。だいぶ無理して走らされたたみたいだ、かなり痛んでる」
「まぁ。罪人への制裁より、被害者の救済! あぁ、なんて心優しいお方っ! はーい、お任せください、ディル様♡」
相変わらず、面食らう切り替えの速さだ。
さっそく修繕に取り掛かるシンディーに、ドワドが手伝いに入る。俺も手を貸そうと思っていたら、
「ま、待てよディルックゥ!!」
地面を這うようなダミ声で呼び止められた。這いつくばったまま、アクドーはこちらを睨みつけてくる。
「こんなことをして、タダで済むと思うなよォ!! 俺は公爵家の息子で、王の側近。それがいかに尊い身分か、貴様なら分かるだろう!」
「だからどうした?」
「へっ、僕に楯突いたら、また立場を失うぞ! 今度こそ完全解雇、もしくは処刑されたりしてなぁ。いい気味だ」
「それはならないと思うよ。お前は、むしろ自分の心配をしたほうがいい」
まるで分かっていない様子だったので、仕方なく説明してやる。
「アクドー、お前、仕事はどうした? 行き帰りで一ヶ月も仕事を放棄するような側近をそのままにしておくとは思えない」
どんな事情があるにせよ、だ。
それも天下のメイプル商会を脅してそのキャラバンを乗っ取ったとはあれば、いくらヒギンス公爵とて庇いきれない。
「ゲーテ王が、お前をそのまま側近に置いておくことはない。クビになるのはお前の方だ」
返す言葉もなかったようだ。ぎりっと歯をきしませた後、彼は地面に顔を俯ける。
アクドーの処遇をどうしたものか。
このまま一旦、テンマ村に連れて行き、見張り続けるのがいいのだろうが、はっきり言って、もう関わりたくないというのが一番だ。
とにかく決して逃げられないよう、より拘束を厳重なものにする。
とそこへ、馬が数匹、街の方から駆けてきた。
彼らが掲げるのは、王城門にあったのと同じイチョウの紋だ。
一隊が俺の前までやってきて停まる。
「こ、これは、ディルック様! なぜ、かようなところに?!」
「王家の早馬。あなた方こそ、どうしてここに?」
「私どもは、アクドー様を探してきたのです。
 アクドー様が謹慎中の身にもかかわらず屋敷を脱走していることを知ったゲーテ王が、テンマに向かっているかもしれないから捕らえてこいと」
なるほど。
なにをしでかしたかは知らないが、アクドーは謹慎中だったらしい。
なら余計に、側近職を解雇になるのはもう間違いなかろう。
それにしても、謹慎の身でありながら遠方まで俺を追いかけてくる執着心を、どこか他のことへ活かせなかったものか。
「アクドーなら、キャラバンを占領していましたので、捕らえてありますよ」
「おぉ、ディルック様! さすがはラベロ家の血筋、お強いことよ! ありがとうございます!」
俺は、いまだ腹を抱えて転がったままのアクドーを指差す。
いつのまにか泡を吹いていた。
早馬に乗ってきた使者は鞄から一枚の紙を取り出して、無残な姿を晒す彼のそばへと寄った。
「て、てめぇ……なにものだぁ?」
「あなたの身柄を王都へ連れ帰るよう、命を受けています。それから、アクドー・ヒギンス様。こちらはあなたへの通達書です」
「つ、通達書……!」
「今日限りで、王の側近の職を解く。そして、謹慎期間は本日より三ヶ月に延長とのこと。
 その後の処分については、後日検討するとのことです」
こうなるだろうことは予想通りだったが、こうも早く解雇が決まるのは、驚きだった。
「な、なんだと……!? そんなこと、僕の親父が認めるわけ」
「了承は得ているとのことです。こちらに証書もございます」
「くっ、くそ、どうして!!」
しばらくは、意味なく暴れるアクドーを見ていた俺だったが、
「ディル様、どうです?! もう結構修理が進んでますよ♪」
シンディーに声をかけられて、彼らから目を切る。
王国からの使者が来たのだ。もう、俺がアクドーに関して、なにかする必要もあるまい。あとは任せておけばいいだろう。
「うん、ありがとうシンディー。よし、俺も修繕に加勢する。怪我人は、村に戻ったら治療しようか」
「やんっ、優しすぎてしびれちゃいますっ!」
俺はもう王の側近ではなく、辺境地テンマの領主だ。
やるべきことは、他にいくらでもあるのだから。