「ディルさま、わたくしだけを見て? せっかく二人きりなんですから」

ワイングラスを揺すり、アーモンドを一粒つまむ。
それを唇の間に押しこむように入れた彼女は桃色の髪を耳元までかき上げて、まつげを伏せた。

その姿は一見すると、貴族のご婦人のようだった。あどけない顔立ちをカバーするほど、その所作には余裕がある。

かりっと、気持ちのいい音がその口の奥から響いた。
そこまでは、つい唾を飲まされるほどの艶やかさがあったのだが……

「って、うえー。この木の実、無理です、苦いです。ディルさま、代わりに食べてください〜」

うん、やっぱり気のせいだったらしい。

シンディーは舌をベーっと出して、目をぎゅっと瞑る。
すぐにワイングラスを傾けると、それを勢いよく飲み干した。

もちろん、中身は単なる葡萄ジュースだ。

「……えっと、美味しいか?」

あんまり幸せそうなのでこう尋ねると、彼女は我に返ったように再びしなを作り、声をワントーン下げる。

「はい。わたくし、こんなお店に連れてきて貰えてとても嬉しいです。それも二人きりだなんて……幸せです」

この辺りの思わせぶりな態度は、もはや芸術の域だ。
なんなら、どんどん上達している気さえする。

が、残念ながらここはそう雰囲気のある場所ではない。

新領地・ローザスの町にある飲食店街の一角に軒を連ねる大衆酒場だ。

店内を見渡せば、樽が雑多に積んであったり、年季の入った床は削れていたりもする。どちらかと言えば、地元の人に愛される店なのだろう。

「恥ずかしいから、その辺にしてくれよシンディー。ここにきたのは町の調査の一貫で、みんなは別の任務があるから二人ってだけだろ?」
「む、そうですけどぉ。それな言わないお約束です。せっかくわたくしの中の乙女がときめいてたのに」

シンディーは、わざとらしくはっきりとため息をつく。

それさえカウンターテーブルの奥まで、丸聞こえにちがいない。

それくらいには、店内は閑散としていた。

書き入れ時であるはずの夕暮れ時にもかかわらずだ。
酒はちゃんと美味いし、料理も悪くないのだから、原因は一つだろう。

「これも、アクドーの悪政が原因か」
「まぁ搾り取るだけ搾り取ってたみたいですからねぇ。町の人は、外食する余裕なんてないのかもしれません」
「そうなるとお店は閑古鳥が鳴いて売り上げが落ちる。まさに悪循環だな」

俺はそう言って、赤ワイン(こっちはちゃんと本物!)を口にする。

「そういえば見ない人だねぇ、あなたたち」

そこへ、横手から老婦人に話しかけられた。

この酒場の店主だ。
彼女は注文していた揚げ鶏をテーブルに置き、落ちかけていた眼鏡を人差し指であげる。

「客が来ることも珍しいと思ってたけど、よそから人が来るなんてもっと珍しい」
「あら、違いますよ。よそ者じゃなくて、ディル様はここローザスのーーーー」

そこで俺は、シンディーの口を手で塞いだ。