六限の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 古典の授業は退屈で、数え切れないくらいの溜息を溢してしまう程に無価値なものに思えた。

 あの日以來、母さんがこの世を旅立って以來、全ての物事に興味がなくなった。何をするにしても、何を食べても、誰といても心は満たされない。まるで、悲しみで心にぽっかりと空いた穴から順に血肉全てが乾いていくかのような心地だった。

 母さんは俺にとって太陽みたいな存在だった。毎日、どんな時も、その場にいるだけで周りを明るく照らしてくれる。
 俺は、さながらその太陽の周りを回る衛星のようなものだったんだろう。

 でも、もう母さんはいない。

 軸を失った衛星は、軌道を描くことが出来なくなって、真っ暗な闇の中に投げ出されてしまうのに。

 俺はこの先どうやって光を見出していきていけばいいのだろう?

 あの日から、ずっとその疑問の答えを見つけることが出来ない。

 「鮎人、今日カラオケ行こうぜ!」

 机の中から取り出した教材を鞄に仕舞い込んでいると、中学からの親友である達也が声を掛けてきた。それから程なくして、いつもつるんでいる三人も顔をのぞかせる。

 あの日以來、みんなが休み時間や放課後になれば声を掛けてくれるようになった。他愛もない話しをする時もあれば、今日のように遊びに誘ってくれる時もある。

 きっと、一刻でも早く俺が悲しみから立ち直れるように気を遣ってくれているのだろう。

 「いいじゃんカラオケ。行こうぜ!俺、最近YouTubeでバズってるあの曲を練習したいんだよ!」

 だから、みんなが俺に向けてくれる優しさに答える為にも、出来るだけ普段通りの態度で、明るく取り繕うようにしている。

 事実、俺自身が普段通りの日常を過ごすことで、少しだけ悲しみから解放されるような気もした。

 でも、俺には一人だけ、その優しさを素直に受け取ることが出来ない人がいる。

 それは、美空だった。

 あの日以來、美空は俺のことをずっと気にかけてくれている。悲しみの淵に落ちないようにと、必死に手を差し伸ばしてくれてる。

 きっと、人として、彼女として、寄り添おうとしてくれているのだろう。
 その気持ちは十分に嬉しかった。

 でも、俺にはその気持ちを汲み取れない。
 美空が俺に向ける眼差しは悲哀に満ちており、そんな眼差しを向けられることがただただ辛かった。

 美空だけには、普段通りに接して欲しかったんだ。

 「鮎人!話してる時にごめんね。今日、一緒に帰ろ?」

 心の中を埋め尽くす程の黒い感情に呑まれそうになっていた時、優しげな声が鼓膜に触れた。その声の元を辿るように視線を向けると、そこには美空がいた。

 鎖骨辺りまで伸ばした艶のある黒髪を静かに揺らし、大きな目は口元の両端を持ち上げるのと同時にゆっくり下げられた。

 まただ。
 なんて目をしてんだよ。

 そんな目で、そんな同情するような目で、俺をみるな。

 「あぁ、悪い…。今日はこいつらとカラオケに行くんだ。じゃあな。」 

 気付けば俺は、吐き捨てるようにそう口にしていた。温もりなんて一切もない、まるで冷えた氷のような言葉を。

 「そ…そうなんだ。分かっ…た。」 

 美空の声は消え入りそうな程に小さな声だった。

 その時の美空はどんな表情を浮かべていたんだろう。俺には分からない。

 何故なら、その言葉が鼓膜に触れる前に、もう美空から背を向けてしまっていたから。