販売所が好調なスタートを切った中、俺は悩んでいた。
それは開店初日に約束してしまった農園カフェの開店を急ぐというものである。
「うーん、どうしようかな……」
シエナや村の女性たちの勢いに押されて約束してしまったものの、まったく開店の目途は立っていない。
販売所の店員を回すことで稼働できるものなのか? いや、開店してすぐに異動させるようなことはしたくないし、そもそも農園カフェで必要とされるスキルは従業員とは異なる。
とても販売所の営業をやりながら片手間でこなせるものだとは思えない。
「イサギ様」
「あっ、メルシア! ごめん、考えごとをしていて気付かなかったよ」
ふと気が付くと、工房にメルシアが入ってきていた。
律儀な彼女がノックをしないなんてことはあり得ないので、俺が生返事をしてしまったのだろう。
「考えごととは農園カフェのことですか?」
「うん。どうしたものかなーって」
「無理に開店を急ぐ必要はないのでは?」
「ええ?」
「ただでさえイサギ様はやることが多忙なのです。無理に仕事を増やし、手を広げる必要はありません。別に断っても問題ありませんよ。母さんと村の女性たちには私が言っておきますので」
そんな風に言ってくれるのは、農園カフェの発端が母親であるシエナという責任感なのかもしれない。
「メルシアの言うことは正しいと思う。でも、やっぱりあんなに熱望されたら応えてあげたいなーって思っちゃったんだよね」
自分でも効率の悪いことをしている自覚はあるが、あれほど強い想いを受け取ってしまうとそれに応えたいと思う自分がいるのだ。
たとえ、それで自分が苦労することがわかっていても、やりたいと思える自分が。
「イサギ様は優し過ぎます」
「そうかな?」
「はい。ですから、そんなイサギ様が過労で倒れてしまわないように私もお手伝いいたします」
「いつもありがとう」
「いえ、私はイサギ様のメイドであり、助手でもありますから」
礼を告げると、メルシアが誇らしげに微笑んだ。
いつも通りのクールさを保っているが、よく見ると頬のところがちょっと赤い。
なんだかんだ照れくさかったのかもしれないな。
「で、イサギ様は農園カフェを開店するにあたって、何をお悩みになっているのですか?」
「やっぱり、料理人かな」
農園カフェでは大農園で収穫した作物を扱った料理を提供する。
その目的は召し上がってもらったお客に、大農園の食材の良さを知ってもらうことだ。
「メルシアに作ってもらうわけにもいかないしなぁ」
「過分な評価を頂けるのは嬉しいですが、私の実力では販売所への購入に繋げるには足りないかと」
首を横に振っているメルシアだが、尻尾がご機嫌そうに左右に揺れているのが可愛い。
「そうかな?」
「仮に一般的な料理は作れたとしても、イサギ様が改良した一点ものの食材は扱い切れません。そちらに関しては専門的な調理スキルと知識、経験に裏打ちされた対応力が必要かと」
大農園で生産している作物の中には、メルシアにプレゼントしたブドウのように俺が時間と手間をかけて調整しているものがある。
そういったものは普通のものとは特性が大きくかけ離れているために、既存の調理の仕方では美味しく味わうことができないのだ。
「でも、農園カフェにそこまでのレベルが必要かな?」
「これから先、大農園は益々発展していき外部から多くの人がやってくることになりますので、そういった名物があるとより賑わうかと」
「なるほど」
メルシアの言う通り、プルメニア村に訪れる人は増加している。
商人のコニアがやってきて、獣王のライオネルまでもやってきた。これからも外からたくさんの人が訪れるだろうし、賓客がやってきてもおかしくはない。
「調理スキルの高い料理人は絶対必要として、後はどうやって調達するかだね。メルシアに宛はある?」
「ありません。が、調達できそうな人物なら心当たりがあります」
「お! 誰かな?」
「もう間もなくやってくる頃かと」
「……?」
メルシアの言葉に首を傾げていると、ほどなくして工房の扉がノックされた。
「こんにちはー! ワンダフル商会のコニアなのです!」
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「販売所が稼働していたのですね! フロアがとても綺麗な上に品数もとても豊富で驚きました!」
応接室のイスにちょこんと腰掛けたコニアが興奮したように言う。
どうやらここにやってくる前に販売所の様子を見てきたようだ。
「ありがたいことに村人たちがよく買いにきてくれています」
「となると、私も今後はあちらで取り引きした方がいいですかね?」
「定期売買はあちらでやってくださると助かりますが、コニアさんに個人的な買い物を頼みたい時もありますし、情報交換もしたいので遠慮せずこちらに顔を出してくださると嬉しいです」
「嬉しいのです! メルシアさんの出してくださる紅茶は、とても美味しいので楽しみなので!」
ちょうどメルシアが、差し出したティーカップを嬉しそうに両手で持ち上げるコニア。
にっこりとした笑みを浮かべるコニアに、メルシアは微笑む。
「あ、もちろん、イサギさんとの会話も有益なので大好きなのですよ」
「光栄です」
付け足したようなコニアの言葉に思わず苦笑するが、商人との関係は互いに利益があってこそだ。
ハッキリとした物言いだけど変に持ち上げてきたり、迂遠な物言いをしないので帝国にいた時よりも遥かにやりやすい。
「コニアさんに相談があるのですが、聞いていただけませんか?」
軽い近況の会話が終わったところで俺は本題を切り出した。
「私で力になれるかはわかりませんが、ひとまずお聞きするのです」
ティーカップをソーサーの上に置いたコニアに、俺は農園カフェについての説明や、必要な料理人のことを話す。
「……なるほど。それでしたらワンダフル商会と契約している料理人を二名派遣するのです!」
一通り説明が終わると、コニアがきっぱりと言った。
自分から相談しておきながら、想像以上にあっさりとした返答に困惑する。
プルメニア村も賑わってきたとはいえ、獣王国の端にある田舎だ。
商会と契約しているような料理人が果たしてやってきてくれるものなのだろうか?
それは否だ。商人である以上、コニアはプロの料理人を派遣するに値する対価を求めている。
「条件はなんでしょう?」
「話が早くて助かるのです。イサギさんの作ったミキサーという魔道具をうちの商会に売ってほしいのです」
「ミキサーですか?」
農園カフェの説明で、ミキサーで作った野菜ジュースやフルーツジュースを振る舞うと言っただけなのに、そこまで食いつくとは思わなかった。
「はい! あれは間違いなく売れるのです! ぜひ、ワンダフル商会で売り出していければと! 希望としてはまずは五十台ほどで、好調なら追加で五十か百は欲しいのです!」
「そんなにですか!?」
宮廷時代ならともかく、個人の注文でそれほどの数の魔道具を生産するのは初めてだ。
「難しいです?」
「いや、あれは複雑な造りをしていないのでそれくらいなら可能です」
「あくまでイサギ様にとっては……という注釈がつきますが」
控えていたメルシアがそっと口を挟む。
そうなのだろうか? あまり他の錬金術師についてよく知らないので特別なのかわからないな。
「しかし、ミキサーがあるとはいえ、料理人は納得してきてくれますかね?」
条件として提示したとはいえ、それで商会と契約している料理人がモチベーションを持って取り組んでくれるかが気になる。
農園カフェも客商売。
腕がいいとはいえ、接客に難があったり、態度が悪かったりすると困る。
農園カフェは大農園の食材の良さを知る場所であり、訪れた人にとっての憩いの場であってほしいので、そこはどうしても譲れない。
「確認なのですが農園カフェで働くことになる料理人は、大農園の食材を好きに扱うことができるのですよね?」
「ええ、大農園と農園カフェは提携しているので可能な限り食材を供給しますが、それが魅力になるのでしょうか?」
「イサギさんはご自身の作り出した作物への認識が低いと見えます。今や大人気のイサギ大農園の食材を好きに扱えることは獣王国の料理人にとって憧れなのです!」
「そ、そうなのですか? うちの食材がそこまで……?」
「はい。通常の食材とは比べ物にならない品質ですからね。料理人がそれらを使って存分に力を振るいたいと思うのは当然かと思うのです」
うちの大農園の食材を褒めてくれ、良い物だと思ってくれるのは嬉しいが、そこまでの評価を受けているとは思わなかった。
「錬金術師にたとえると、高品質な素材が使い放題で調合し放題の場所があると考えるとわかりやすいのではないのでしょうか?」
「それは最高だ。行きたくなる」
メルシアのたとえ話を聞くと、妙にしっくりときて納得できた。
そんな場所があれば、世の錬金術はどんな辺境だろうと向かうに違いない。
「さらにイサギさんが特別に調整を施している食材を扱うことができるのも大きな魅力なのです!この先イサギ大農園の食材が広まるにつれて、その調理技術の需要は高まるでしょうから!」
堂々と胸を張り、鼻息を漏らしながら言うコニア。
かなり長期的な利益を見越しての承諾のようだ。
どうやら今回の相談はワンダフル商会やその料理人にとっても利益のあるものらしい。それならこちらとしても遠慮する必要はないな。
「では、料理人の派遣をお願いします」
「任せてくださいなのです!」
俺とコニアはにっこりと笑みを浮かべて握手する。
こうして農園カフェ最大の障壁である、料理人確保の目途はついたのだった。
笑みを浮かべてコニアと握手すると、料理人派遣についての細部を詰めることになった。