イヤホンを戻して「じゃ」と手を上げ彼女は歩道を先へ進んで行ってしまう。家にはまだ帰らないのか、マンションの前を素通りしていく。
 その颯爽とした姿に、由香奈は少しぼーっとしてしまう。
 あんなカッコいい人は、自分なんかと話したくないのだろうな、なんて思ってしまっていたけれど……。声をかけてもらえたことは素直に嬉しい。

 由香奈は我に返って歩き出し、エントランスに入る。集合ポストの脇の管理人室から、藤堂が両手に何かを抱えて出てきたところだった。
「こんばんは……」
 由香奈が暗証番号を押して自動扉を開くと、藤堂も一緒にエレベーターホールに来る。

「それ……」
 訊かなくともわかったが、由香奈は藤堂が持っているものに目を落とす。
「十五夜だからな」
 あまりに短く藤堂が返事をする。由香奈が戸惑っていると、一緒にエレベーターに乗り込んだ藤堂は屋上のボタンを押す。
 そこで初めて言葉が足りないことに気づいたらしく、少し由香奈を振り返った。

「屋上に神社があるんだ」
「ほんとですか」
 それは知らなかった。目を丸くする由香奈に何を思ったのか、藤堂はいきなり言う。
「口開けて」
「え?」
 不審に思いながら従順すぎる彼女は口を開けてしまう。その口にぽいっと白い丸いものが放り込まれる。藤堂が抱えていたお供えの団子のひとつだった。

「うまいか?」
「味がないです……」
「月見団子ってのはこういうもんだ」
「あの、でも……」
 せっかくきれいに三角錐になっていたのに、欠けてしまって良かったのだろうか。

「着いたよ」
 五階で扉が開いて由香奈は慌ててエレベーターを降りる。
「そんな簡単に口を開けるな」
 しかりつけるようなつぶやき。由香奈は振り返る。表情のないままの藤堂の顔は、すぐに扉の向こうに消えた。