「……今日は、キャッチボールはしないのですね」
「そうなんだよ。流行がサッカーに移っちゃってさ。俺はキャッチボールが好きなのに。仲良くなりたい相手とはまずキャッチボール」
 朗らかに笑った春日井は、ボールを蹴って遊んでいる子どもたちに目を向ける。

「ガキの頃さ、叔父さんがよくやってくれたんだよね」
「管理人さんが、キャッチボール?」
「うん、そう。あの無表情で」
 春日井は面白そうに笑った。

「うち親父がいなかったから、キャッチボールの相手は叔父さんだったんだ。いつだったか、延々と無言でやり続けてたことがあってさ。叔父さんはずっとあの仏頂面で、母さんに頼まれて嫌々やってるんだろうな、そんな無理して付き合ってくれなくてもいいのにって、俺はすげえヤな気分でさ。でも、そのうち思った。ほんとに嫌々だったら、そもそもこんなに長い時間付き合ったりしてくれないだろうな、さっさと帰ろうって言いだすか、もっといい加減になるだろうなって。でもあの人は、ちゃんと俺を相手にしてくれてた」

 由香奈は固唾を呑んで春日井の話に聞き入った。
「損してるよね、あのヒト。でもさ、こんなふうに、わかりやすく気持ちを面に出さない人だっている。人を騙す人間が本当の顔を見せないみたいに、逆に、わかりにくくしか優しさを出せない人もいる。困ってる人だってそうだ。助けが欲しくても声を出せない人はいる。苦しくても悲しくても我慢してしまう人がいる」

 由香奈が見上げる先で、春日井は笑みを消して厳しい眼差しになった。公園の子どもたちではない、ここではないどこか別の場所を見ている。

「……ああ、ごめん。変な話しちゃった。どっか行く途中なんだよね」
「バイトに……」
「引き止めちゃってごめん」
 じゃあまた、と笑顔に戻って春日井は公園へと入っていった。




 帰宅時に、由香奈はなんとなくエントランスの掲示板のポスターを見つめた。
 黒い毛皮を纏った美しい女性が、由香奈を見下ろしている。冷ややかなようにも、憂いに溢れているようにも見える眼差しは、何を訴えているのだろう。

 そのうち、立ち止まっている由香奈を管理人室から藤堂が見ていることに気づいた。由香奈は自分が何を言いたいのかわからないまま、口を開きかける。

 そのとき、トートバッグの中でスマートフォンの着信音が響いた。とっさに覗き込むと、ちょうど上を向いていたスマホ画面に発信者名がはっきり読み取れた。
「……」
 ここで電話を受けたくない。部屋に戻ってから折り返し電話をかけることにして、由香奈はエントランスからエレベーターホールへと向かった。