「由香奈」
 朝、エレベーターホールで名前を呼ばれた。クレアだ。
「おはー。ねえ、今度の水曜日時間ある? 昼間でも夜でもいいけど」
「あ、うん。ちょうど午後が休講。バイトもないし」
「じゃあ、水曜日の一時に駅前集合。こないだ話したでしょ? 美容院一緒に行こうって」
「え、ほんとに?」
「ほんとに決まってんじゃん。あたしは言ったことは実行するよ」
 一緒にエントランスを出ながらクレアはふんと鼻に皺を寄せる。
「じゃあ、水曜日にね」
 ひらひら手を振り、彼女は小走りに先に道を行ってしまった。



 そういうわけで水曜の午後にはクレアの知人の美容院に連れていかれた。カット台がみっつ、シャンプー台がひとつだけの小さな店だ。店員もクレアの知り合いの店長と助手さんがひとりだけ。
 それでも駅前から少し離れるとはいえれっきとした路面店で、ナチュラルな雰囲気がおしゃれ、店長も助手さんもイケメンだ。

 由香奈は店長に髪をカットされた後、パーマ担当らしい助手さんの練習台にさせられた。
「あー、ダメだ。やっぱり髪が素直すぎて効き目が悪い。もっと強くしないと」
 うねりが少しついた程度の由香奈の髪を検分して、店長が助手さんにダメ出しをする。しゅんとしている助手さんを気の毒に思っていると、やり直したいからまた来てくれとお願いされてしまった。

「いいじゃん、いいじゃん。気のすむまでやってもらいなよ」
 隣で雑誌に目を落としているクレアがけらけら笑う。彼女は前髪がとても短くなって、すっとした切れ長の瞳が更に印象的になった気がする。
「今日はカット代の五百円だけでいいし。やり直す分はお金取らないし」
 店長にも頼まれて、由香奈はまた来週の定休日である水曜に来店することを約束した。

「疲れたでしょ?」
 なんだかんだ二時間ほどかかって、美容院を出たのは午後三時だった。
「かわいくなったよ。もう涼しいし、そうやって髪下ろしてなよ」
 肩のあたりで毛先の長さに変化を付けて軽くなった自分の髪を由香奈は撫でる。いつもつい、ひとつに括ってばかりいたのだが。
「そうだね……」
 素直にクレアのアドバイスに頷く。

「あのね、由香奈」
 路地を並んで歩きながら、彼女にしては歯切れ悪くクレアが口を開く。
「実はもう一軒、あんたを連れていきたい店があってさ」
「なんのお店?」
「マルチみたいに思われるの嫌で、誘おうかどうしようか迷ったんだけどさ。……連れていくのはあんたが初めてだから。それは絶対だから」