「ゆかなのせい……?」
 ひたすら熱くてずきずき傷むおでこに、ひやりと冷たい感触。
「違う。君は悪くない」
 誰かの声が、きっぱりと否定する。
「何も悪くない」

 多分そうじゃない。何も悪くなくてこんな目に合うわけがない。でも……。

「君は何も悪くないんだ」
 夢は便利だ。聞きたかった言葉を誰かが言ってくれる。ようやく言ってもらえた。
 熱で朦朧としながら、由香奈は少しだけ微笑んだ――。




 明るい光のなかでぱちりと目を開ける。素敵な柄のものは買えなくて、精一杯贅沢をしたオレンジ色のカーテンの向こうが明るい。
 自分の部屋の寝室で、由香奈はぼんやりと起き上がる。

 まだ喉が痛いし体が少し重いけど、意識ははっきりしている。枕もとの時計の針は午前九時を指している。とっくに講義が始まってしまってる。
 瞬時に午前の出席を諦め、由香奈はまわりを見渡す。
 時計の横に水のペットボトルと体温計と風邪薬。ベッドの上には白いタオルに巻かれたアイス枕。どれも由香奈が買ったものではない。

 昨夜、藤堂に会ったのは間違いない。そのまま眠ってしまったので皺の寄っているブラウスの胸元を押さえて、由香奈は考える。
 これだけのことをしてもらった。されてしまった。自分が返せることは限られている。

 由香奈は意を決して部屋を出た。一階に降りてエントランスの管理人室を覗く。誰もいない。振り返って見る。
 藤堂はマンション前の街路を掃き掃除していた。由香奈はエントランスを出て明るい日差しに目を細める。

「まだ寝てなさい。熱が三十九度もあったんだぞ」
 由香奈を見て手を休め、藤堂が厳しく言う。
「ありがとうございます、いろいろ」
 ぺこりと頭を下げ、由香奈はそのまま固まる。お返しを、しなければ。

 自分のサンダルのつま先を見つめ、由香奈はくちびるを開きかける。それより前に、
「仕事だから当然だ」
 きっぱり藤堂が言った。由香奈は顔を上げて彼を見つめる。
「私の仕事だからな、これも」
「仕事……」

 ぱちぱちと瞬きして、由香奈はその言葉を呑みこむ。
「給料分だ、気にするな。それより部屋に戻って。病人にうろうろされたくない。薬を飲んで、寝て、熱が平熱まで下がるまでは外に出るな」
「はい」

 素直に頷いて由香奈はエントランスに戻る。藤堂もまた掃き掃除を始めた。