「おお、由香奈ちゃん」
 大川さんは驚いた顔で白いベッドの上から頭だけ起こした。
「由香奈ちゃんに会えるとはなあ」
「危篤だって聞いて……」
「そんな死にそうってわけでもないわ。次、発作が起きたら確実にお陀仏らしいが」
 禿げ上がったおでこの人のよさそうな初老の面には、死の恐怖はみじんもない。
「好き勝手やって生きてきたからなあ。そういう意味ではやり残したことはないが、悔いはたくさんあるんだよ」

 枕もとのスツールに座った由香奈を、大川さんは悲しそうに見上げる。
「悟朗も長くないって?」
「…………」
「まったく、あいつの方が年はずっと下だっていうのに。逝くときは同じかなあ。なんだかんだ友だちだしなあ」
「そんなこと……」
「最後まで友だちだよ」
「…………」
 本人がどう言おうが社会的にはきちんとしている大川さんと、自分の父親が友人なことが由香奈には不思議で仕方ない。

「由香奈ちゃんのことだから勉強はきちんと頑張ってるだろうけど、マンションの居心地はどう? 藤堂はよくしてくれてる?」
 特によくされている覚えもないけれど、嫌なこともされたことはないから、由香奈はこくんと頷く。大川さんがこの病院に入院していると知らせてくれたのも藤堂だ。
「不愛想だけどいいやつだから。頼って大丈夫だよ。ごめんなあ、オジサンがもっと何かしてやれれば良かったんだが」

 由香奈は黙って頭を振る。
 ひとりで部屋を借りるとなると、月々支払える家賃の額には限りがあった。どんなボロアパートでも良いと由香奈は思っていたけれど、女の子の独り暮らしで不用心なのはいけないと、大川さんが学生には格安で部屋を貸している藤堂を紹介してくれた。
 おかげで快適に生活できている。それだけで十分だ。

「あの……」
 そこでずっと気になっていることを由香奈は尋ねる。
「管理人さんは、私のこと……」
「余計なことは何も話してないよ。あいつも人のことを気にするやつじゃないし」
「……」

「なあ、由香奈ちゃん」
 しんみりと大川さんは続ける。
「イマドキの若者は頼りにならんそうだが。多少頼りなくても、信用できる相手を見つけるんだよ。オジサンなんかに言われるのは腹が立つだろうけど、オジサンだから言うんだよ」
「はい……」
 内心はどうあれ、由香奈は素直に頷く。

「あのなあ、それで、ひとつだけ頼みがあるんだ」
 よろよろと肘をついて起き上がり、大川さんはいっそう悲しそうな顔をしてみせる。
「最後にもう一度、由香奈ちゃんのお胸を触らせてくれ。それでオジサン、成仏できるから」