言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー



「巫寿ちゃんはどんな祝詞を作ってみたい?」

「うーん、どんな祝詞だろ」


授業で習ってきた祝詞を思い出してみる。大祓詞、禊祓詞、火鎮祝詞。

どれも長くて難しい言葉が多く覚えるのにも一苦労した。

言祝ぎの力がコントロールできるようになったとはいえ、言霊にしたい祝詞の本文を覚えていなければ話にならない。


「あ、そうだ。短くて難しい言葉も少なくて万能な祝詞とか……作れないよね」

「できるよ」

「え、できるの!」

「威力はそんなに強く出来ないけどね。語彙数によってより効果が具体的になるから、少ないとどうしても弱まっちゃうんだ」


机の中から紙を取りだした来光くんはそれを私に手渡した。

一行目に「懸けまくも畏き」と見慣れた文字列を並べ、二行目には「恐み恐み謹んで」と記す。



「この二行で作れるよ。一行目の続きには力をお借りしたい神様の名前を。二行目の続きには、どういう力を借りたいのかを書けば完成だね」

「すごい……こんなに簡単にできるんだ」


続き書いてみなよ、と紙を渡されて首を捻る。


神様の名前と借りたい力、か。

色んな場面で使えるといいから、神徳が幅広い神様の名前を入れたいな。

厄除、守護、和合……あと平癒なんかもあればいい。


借りたい力は、それら全般をお借りしたいから、ひとまとめにして「その神徳をお貸しください」にしよう。



えっと確か、「その」が吾大神《あがおおかみ》で、「ご神徳」が大御稜威《おおみいづ》だから……。

さらさらと紙に鉛筆を走らせる。


「お、いいじゃん。────先生、これみてください!」


もじゃ髪先生がのそっと立ち上がって歩み寄ると、私が書いた祝詞の紙をじっと覗き込む。

口の中でブツブツと呟いたかと思うと、親指と人差し指で丸を作ってひとつ頷く。


「お、すごい。一発合格だよ」

「一発合格?」

「今日からこの祝詞使っても良いって」


えっ、と目を丸くした。

まじまじと自分で作った祝詞を見つめる。


学校の授業で穴埋め形式で祝詞を作ったことはあるけれど、自分で一から考えて作ったものは初めてだった。


「奏上してみなよ」

「え、ええ……? 大丈夫かな、変な風になったしないかな」

「大丈夫だよ、先生の合格が出たんだから」


自分の祝詞を見つめ、ばくばく波打つ鼓動を沈めようと深く息を吐いた。

胸の前でパン、と手を合わせた。


「────懸けまくも畏き大国主神《おおくにぬしのかみ》よ。恐み恐み謹んで吾大神《あがおおかみ》の大御稜威《おおみいづ》を蒙《かがふ》り奉る」




次の瞬間、合わせた手のひらがじんわりと熱くなって咄嗟に手を離した。


見れば、皮が向けて赤くなっていた手のひらの赤みが引いている。

試しに握ったり開いたりしてみると、ずっと感じていたじくじくとした痛みはなくなって、すっかりいつも通りになっていた。


「うわ……っ」


興奮気味に声を上げると、来光くんが嬉しそうに笑う。


「嬉しいよね、初めて作った祝詞が成功すると」

「うん、でもびっくり……。こんなにちゃんと効果があるなんて」

「巫寿ちゃんは言祝ぎが強いから、それもあるんじゃない?」

「なるほど……」


祝詞の書かれた紙を掲げる。初めて作った祝詞だけあって何だか感慨深い。

究極祝詞研究会、すごく面白いかもしれない。





「呪詞《じゅし》」

災厄、呪詛。







「へえ、結局どこにも入らなかったのか」


数日経ったある日のお昼休み、神話舞の稽古が始まった私達は昼休みと放課後の限られた時間で自分たちの担当する部分の練習を行っていた。

今は富宇先生が聖仁さんを付きっきりで教えている個人練習の時間なので、巫女チームの私と瑞祥さんは端で休憩していた。


「はい。究極祝詞研究会は少し楽しそうだなって思ったんですけど、やっぱり今は神話舞もあるし……今はこっちに集中したいなって」

「巫寿は真面目だなぁ! 可愛いなコノヤロウ!」


わしゃわしゃと頭を撫でられて「きゃっ」と悲鳴をあげて笑う。


「にしても、ほかの部は見学に行ったのに、なんで神楽部には来なかったんだよー」

「あはは……色々ありまして」


突然の鬼のようなしごきに落馬、爆発────本当は神楽部にも行こうとは思っていたけれど気力がなかったので行かなかったのだ。


「神話舞が終わったら見学してもいいですか?」

「見学と言わず、仮入部してほしいな」


瑞祥さんとは違う声がして顔を上げる。

首からタオルをかけた聖仁さんが目を弓なりにして私を見下ろしていた。



「瑞祥、次本巫女のパートやるって富宇先生が」

「お、やっと出番か!」



嬉しそうに立ち上がった瑞祥さん。

私はまだらしく「頑張ってください」と背中を見送る。


私の隣に聖仁さんが腰を下ろした。


「さっきの話、割と本気だよ。神楽部へ入ったらいいのにって思ってる。神話舞の稽古は始まったばかりなのに、巫寿ちゃんここ数日でめきめき上達してる。センスあるんだよ」

「そう、ですか……?」


稽古場は壁一面が鏡になっていて、自分の姿を確認しながら練習することが出来る。

そこに映る自分はいつもぎこちない。

隣でお手本を見せてくれる富宇先生の優美さには程遠いように思えた。


「舞は一生修行だから、完成形なんてないんだ。いちばん大切なのは上手い下手じゃなくて、もっと別のところにあるよ」

「別の……?」


うん、と頷いた聖仁さんはそれ以上は何も言わなかった。

自分で考えるか、見つけるしかないらしい。



"いちばん大切なのは上手い下手じゃなくて、もっと別のところにある"

優美に舞うことが一番大切なことじゃないのだとしたら、他には何があるんだろう。




「巫寿さん、瑞祥さんと合わせて見ましょう」


富宇先生に呼ばれていそいそと立ち上がる。

本巫女役の瑞祥さんの斜め後ろで巫女助勤役の私も舞うこのシーンは、神話舞の中盤で須賀真八司尊(すがざねやつかのみこと)萬知鳴徳尊(ばんちめいとくのみこと)が現世《うつしよ》の社に降臨し、そこで働く神職達が大慌てでおもてなしをするという場面だ。

優美に舞うのもはもちろんだけれど、突然現れた神様に大慌てになって転びそうになったりする振り付けもある。

普段の神楽舞とは違って面白い動きもあって、お気に入りの場面だ。


鏡に映る瑞祥さんを見た。

一つ一つの動きの繋がりが滑らかで指の先まで美しい。


「そこで、タンタタタン────巫寿さん、もっと滑らかに」


優美に舞うこと以上に大切なものって、一体なんだろう?




その日の放課後、いつもよりも早めに神話舞の練習が終わったので、その足で文殿へやってきた。

神話舞の稽古が始まってから罰則は免除してもらっていたし、自習の時間もあまり取れていなかったので文殿は久しぶりだ。


からからと戸を開けると、ぱっと顔を上げた方賢さんと目が合った。


「巫寿さん、なんだか久しぶりですね。こんにちは」

「こんにちは。罰則に全然来れなくてすみません」


肩を竦めながら中へはいる。


「いえいえ。嘉正くんたちから聞いてますよ。神話舞の稽古、頑張っているんですね。それで、今日はどうしました?」

「久しぶりに自習しようと思いまして。えっと……神楽舞と授力について、私が読める文字の書物ってありますか?」

「ええ、ちょうど良いものがありますよ。一緒に行きましょうか」


方賢さんはゆっくりと立ち上がった。




「そういえば、方賢さんって神楽部のOBだったんですよね」

「ええ、そうですよ。これでも部長だったんです」


本棚と本棚の狭いスペースを抜けながら、方賢さんの後に続く。


「神話舞にも出たんですよね? すごいです」

「また随分昔のことを……。たった1度だけですよ、神修を卒業した年に端役で出ただけです」


苦笑いを浮かべた方賢さん。


「それを言うなら、学生でありながら選ばれたあなた方の方が何倍も優秀ですよ」

「先輩方は凄いなって思うけど、私は全然なんです。明らかに下手くそだし、選ばれた理由が分からなくて」


最後の方は情けなくて声が小さくなる。

方賢さんには聞こえなかったのか返事はなかった。


やがてひとつの本棚の前で足を止めた。背表紙のタイトルからして、呪力関連の棚なのだとわかった。


「授力関連はここです。巫寿さんでもわかりやすいものだったら……ん、あれとか良さそうですね」


そう言って本棚に手を着いて背伸びをした方賢さん。1番上の棚のにあった一冊の書物の背表紙を掴んで引っ張る。

その瞬間、白衣《はくえ》の袖がはらりとめくれた。


「……っ! 方賢さん、その腕……!」


思わずそう声を上げれば、方賢さんは素早く手を下ろして隠すように袖を引っ張った。