けれど、志ようさんの夢を見たり、恣冀という妖を知っていたり、それらは全て自分のこれまでやこれからと繋がっている気がしたのだ。
迷いだらけで「ほんとうにそれでいいのか」と問いかける自分がいて、なのに「それが正しい」のだと言う強い声が胸の奥から聞こえる。
「騰蛇も、私でいいの? 私、審神者でもなんでもないのに」
「私自らが望んだことです。それに、禄輪も審神者ではありません」
たしかに、と肩を竦めた。
騰蛇が姿勢を正した。ゆっくりと、彼女に近付き前に立つ。
すっと息を吸えば、降り始めた小雨のように心臓は徐々に激しく波打つ。
「────我が元に下れ、騰蛇」
炎が宿ったような赤い目でじっと私を見据えた。
全てを見透かして見定めるようなその目が、少し怖い。
「御意に」
騰蛇が静かにそう答えた。
暫くじっとしているけれども、想定していたことは何も起きず、「え?」と目を瞬かせた。
「あの、もしかして失敗した?」
「いえ。滞りなく結びは交わされました、君」
表情を変えず答えた騰蛇に、どっと肩の荷がおりた。
「なんか、拍子抜けだね。もっと仰々しい感じに光ったりするのかと思っちゃった。騰────」
その時、頭にふと二つの漢字が浮かび上がった。
「眞奉《まほう》……?」
「はい、君」
炎が宿る赤い瞳が私を見つめる。
「騰蛇は、眞奉《まほう》って名前だったんだね。先代の審神者が付けてくれた名前?」
「ええ」
「綺麗な響き……」
眞奉は珍しく、嬉しそうに口角を上げて目を伏せた。
「眞奉って呼んでもいい?」
「もちろんです、君」
今までは巫寿さま、と呼ばれていたから「君」と呼ばれるのはなんだか不思議な感じがする。
少し照れくさい。
時刻を知らせる鐘が響き、御神木にとまっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。
その時、バサバサッ────と物が崩れ落ちる音がしてはっと振り返る。
慶賀くんと泰紀くんが積み上げた本のタワーが崩れ落ちたらしく、床に書物が散らばっていた。
「あちゃー」と苦笑いで歩み寄るいくつか拾い上げてホコリを払う。眞奉も淡々とそれを拾い上げていく。
「ありがとう。片付けたら戻ろっか」
なんとなく外に視線を向けると、眞奉と同じ色をした燃えるような夕暮れの空が広がっている。
とても美しく少し恐ろしい。
これからどうすればいいんだろう、ぼんやりそんなことを考えた。
「復命祝詞《ふくめいのりと》」
御魂強化、精神安定。
「……────鎮奉《しづめまつ》れと 事教《ことおし》へ 悟給《さとしたま》いき 依之《これにより》て 雑々《くさぐさ》の物を 備て 天津祝詞《あまつのりと》の 太祝詞《ふとのりと》の事を以て
稱辭《ただへこと》 竟奉《をへまつら》くと 申す」
ぱん、と空気を貫く鋭い柏手が響いたその瞬間、目の前で赤々と燃え盛っていた火の玉が冷水をかけられたかのようにぼっと消える。
燻った煙が地面からぷすぷすと上がって、やがてその煙も消えた。
「すっげー!! やったじゃん、巫寿!」
後ろで見守ってくれていた慶賀くんが興奮気味に駆け寄ってきて私の背中をばしばしと叩いた。
「あ、あの慶賀くん、ちょっと痛い」
「わりわり! でもすげぇよ巫寿、いつの間にマスターしたの!?」
おめでとう、良かったね、と賞賛の声を掛けてくれる皆にお礼を言いながら曖昧に笑う。
本当は自分の力では無い、とは言い出しにくい雰囲気だった。
眞奉《まほう》と結びを作った翌日の祝詞実践演習の授業。
白砂の敷き詰められた演習場で、いつものように私は隅っこで薫先生が用意した呪いがかかった小石を祓う練習をしていた。
そして、最近はみんなに迷惑をかけないように授業のギリギリで祝詞を奏上するようにしていたから、授業も終盤に差し掛かった頃、「略拝詞」を半ば諦め気味に唱える。
いつもならその十秒後に、目の前が真っ暗になって頭がふらっとする────はずだった。
しかし二十秒たっても一分たっても体に異変が起きることはなく、みんなに用意された天狗の残穢も消えることはなくそのまま。
誰も何も気が付かないで、先程と変わらず授業に集中している。
どういうこと……?
手のひらに乗せた小石は、たぶん呪いは祓われている。少なくとも可視できる暗紫の靄はすっかり消えていた。
恐る恐る立ち上がって薫先生の元へ歩み寄れば、先生は不思議そうに首を傾げた。
「どうした巫寿。トイレか? 先生はトイレではありません、なんてんね〜。あははっ」
すかさずそばに居た泰紀くんが「意味わかんねぇよ!」とつっこんでくれた。
自分にはハードルが高いつっこみだったのだありがたい。
「あの、そうじゃなくて。これ、見てもらえますか?」
そう言って小石を差し出すと、薫先生「おっ」と嬉しそうに声を上げる。
「綺麗に祓えてるね。うん、上出来」
「えっ、巫寿上手くいったの!?」
聞いていた皆が集まってくる。
慌ててぶんぶんと首を振って否定した。
「まだ一回だけだから……! たまたまかもしれないし」
「なら、ほい。二回目」
足元にあった小石を拾い上げた薫先生はいつものようにそれに呪いをかけて私に手渡す。
みんなに見守られながら、「やってみ」と薫先生に背を押される。
こくりと頷いて手のひらの小石に意識を集中させた。
体の力を抜いて、祝詞に言祝ぎを注ぎ込む。子守唄を歌う時みたいに柔らかい声を意識して。
さっきと同じようにすればいいだけ。
「……祓え給え 清め給え 守り給え 幸へ給え」
ふわりと手のひらの小石が温かくなり、靄は空気中に溶ける。
そしてたっぷり三十秒数えて、やはり気を失うことは無かった。
「できた……」
どこか他人事のように呟く。
「うん、これもバッチリ祓えてる。やったじゃん」
薫先生にぽんと肩を叩かれて、やっと祝詞の効果を言霊にすることが出来たのだと実感する。
なんだか、出来ないことにあんなにも気を落としていたはずなのに、できたらできたで変な感じ。
でも、どうして急に……?
これまでの授業で力の調整が上手くいったと感じたことは一度もないし、そもそも「上手くいったかも?」なんて思ったことは決してない。
一晩経ってころっと出来るようになるなんて。
変わったことなんて何も……。
「あっ」
突然声を上げた私にみんなはびっくりしたように振り返った。
慌てて「何でもない」と伝えて背を向ける。
変わったことが一つあった。
私は眞奉と結びを作ったんだ。結びを作ったことで眞奉は私のもとにくだり、その変わりに────眞奉は私の言祝ぎの力を得る。
もしかして、眞奉に私の言祝ぎの力を分けているから、力の調節が上手くいくようになったの?
「おっしゃる通りです」
近くで眞奉の声が聞こえてはっと辺りを見回す。しかし姿は見えない。
姿を消したまま話しかけているのだろう。
「そんなことあるの……?」
小声で話しかけると、「ええ」と眞奉が答えた。
「多くの審神者の場合、言祝ぎの力が減ってしまうことに困る者が過半数ですが、君の場合はその真逆のようです」
真逆……。
確かに困るよりもむしろありがたいと思っているけれど、自分の力でできたのでは無いということに少しがっかりする。
「巫寿? なにぶつぶつ言ってんだ?」
「あ、えっと、何でもない……!」
「そう? 薫先生が火鎮祝詞やってみなって言ってる」
そして用意された怪し火もなんの問題もなく火鎮祝詞で祓うことができた私は、みんなの祝福の言葉を曖昧に笑って受け流すことしか出来なかった。
「次の授業から、巫寿も通常の授業に戻れそうだな。うん、いい調子」
薫先生は顎に手を当てて含みのある笑みを浮かべた。
「ゴールデンウィークの課外授業にも参加できそうだね。うんうん、いい調子」
課外授業?
聞き返すみんなの声が揃った。
「喜べ子供たち! ゴールデンウィークに君たちの罰則を免除する代わりに、課外授業をすることになったよ。薫センセイに感謝しろよ、罰則の日数が減ったんだからな、あははっ」
はあー!?とみんなの怒りの籠った声が演習場に響く。
「罰則より嫌なんだけど!?」
「どうせまた自分の仕事押し付けようとしてるだけだろっ」
「課外授業って言葉の響きがもう怖くて眠れない……ッ」
「俺、文殿の整理で大丈夫です」
「まあまあ。そんなに遠慮すんなよ」
してない!
また声が揃う。