「ここはね、ちょっと不思議な力がある子供たちを、神主と巫女に育てるちょっと不思議な学校だよ。あはは、面白いよねぇ。だから大丈夫だよ、巫寿。俺が担任である以上、巫寿の限界を最大限以上に引き上げてやるからね」
そうウィンクした薫は、よっこらしょと立ち上がった。
いつの間にか車は止まっており、森の中の静寂さとは打って変わって人々の喧騒が聞こえる。
あ! と慶賀くんが目を輝かせた。
「スタバ着いた!? 俺、今回の新作楽しみにしてたんだよねー!」
嬉々と車を飛び出た慶賀くんは続けざまに「はあー!?」と声を上げて車に戻ってきた。
「ちょっと薫先生!? 学校に戻ってきてるんだけど!?」
「そうだよ? 授業中なんだから当たり前でしょ」
「約束のスタバは!?」
はて? とでも言うかのように薫先生は首輪傾げる。
「言ったじゃんっ! 10分以内に終わらせたら帰りに寄ってあげるって!」
「俺こうも言ったよね、皆で協力するようにって。今回は残穢を払ったのは巫寿ひとりだし、蛇神の鎮魂も恵生《えい》ひとりでやったんでしょ。残念ながら条件クリアならず。あははっ」
はあ〜〜!? と眉を釣りあげた慶賀くんはケラケラと笑う薫先生に為す術なく地団駄を踏む。
「くそっ! いつもこうだ薫先生は! また俺らに仕事押し付けてタダ働きさせて!」
「おいおい、いつも言ってるでしょ。実践を踏まえた演習、授業の一貫だって。センセイのお陰でどの世代よりも沢山経験できてるんだから、君らは薫センセイに感謝しなくちゃいけないんだぞ〜?」
あははー、と笑いながら車を降りていった先生。そして「二限目遅れるなよぉ」と遠くから声をかけられる。
「くそー!!」と叫んだ慶賀くんの声が学校中に響き渡った。
「神楽舞《かぐらまい》」
祈祷、奉納、神懸り
「中等部までの範囲をおさらいしましょう。憑霊が正神界系の場合、身体のどの部位にどのような感応があるとされていますか? 巫寿さん」
名前を呼ばれてどきりとした。
おどおどしながら立ち上がり、必死に教科書をめくる。
「巫寿、教科書六ページに載ってるよ」
隣の席の嘉正くんが小声で助け舟を出してくれる。
教えられたページを開けてみるも、みみずのような崩し文字を読める訳もなく、「すみません、分かりません」と蚊の鳴くような声で答えた。
「この箇所が基本になってきますから、次の授業までには覚えて来て下さいね」
怒られた訳では無いけれど、淡々とそう言った先生に項垂れる。
隣の席の嘉正くんにごめんね、と謝りながら椅子に座ると、彼は変わらず「困ったら聞いてね」と微笑む。
責められている訳では無いのに心の余裕のなさが勝って、少しだけ目頭が熱くなった。
今は四限目の「憑霊観破《ひょうれいかんぱ》二」の授業中。
神道では人間は自覚の有無を問わず、必ず神憑りいわゆる神様の庇護を受けた状態であるとされているらしい。
祝詞を唱えている時に頭の一部が感応することで、どの神様が憑っているのかをしるのが「憑霊観破法」という方法で、中等部3年で「憑霊観破 一」を習い、そこから高等部の三年間で「四」までを履修する。
皆が通ってきた初等部や中等部の知識もなく、一般常識の範囲外の分野だから一文字も回答することが出来ない。
一限目から三限目の授業もずっとこんな感じで先生に当てられては答えられず、みんなからの助け舟も無駄にしてしまってすっかり自信を喪失していた。
奉仕報告祭あとの一周目の授業は、どの学校も同じなのか先生の自己紹介や授業の内容、教科書の確認だけで終わった。
所々で分からない言葉はあったけれど、後で先生やみんなに尋ねたり自分で調べることでなんとか乗り切ってきた。
ちょっと自信がついた頃に週末を迎え、「これから頑張らなきゃ」と自分を鼓舞した週明けの月曜日、いきなり言葉の通じない異世界にでも飛ばされた気分になった。
中学校に通っていた頃は、勉強も苦ではなかったし教師に当てられて答えられないということは無かった。
受験する予定だった高校だって、私が住む地域では公立の中の進学校だと有名だった。
けれど神修に来て、これまで習ってきた勉強が何一つ通用しなくなった。
助けてくれる皆に申し訳なくて、答えられない自分が恥ずかしくて、職員室で先生たちは私のことをどんな風に話しているんだろうなんて考えて、教室に居るのが苦しくてたまらない。
それでも悔しくてノートだけは必死にとった。
教科書は読めないけれど、先生の言葉ならわかる。ノートを取ることに集中したせいで内容は頭に入ってこないけれど、学校が終わって復習すればいい。
板書にだけ集中していたらあっという間に50分が過ぎた。授業の終わりと昼休みを知らせる鐘が遠くで鳴り響く。
「あー長かった! 早く食堂行こう!」
教科書を放り投げた慶賀くんが飛び跳ねるように立ち上がる。
「慶賀! 白飯大食い競争しようぜ!」
「いいぜ、晩飯のデザートかけて勝負な! 来光ももちろん参加するんだぞ」
「なんでいつも僕を巻き込むんだよ……!」
泰紀くんにヘッドロックをかけられながら、来光くんは悲痛な声で反論する。
「相変わらずバカだなあ。巫寿、俺らも行こう」
教科書を机にしまった嘉正くんが立ち上がる。
「あの、私まだノートちゃんと取れてなく。だから後から行くね」
「ノートなら後で俺の見ればいいよ。先に食堂行こう」
「でも、すぐに返せないと思うし……」
「巫寿スマホ持ってるよね? 写真に撮っていいから」
でも、とまだ言い篭ると嘉正くんはぴんと私のおでこを人差し指で弾いた。
「大丈夫だよ。わからないところは何回でも聞いてくれていいし、ノートだっていくらでも貸すから。今はご飯。薫先生からちゃんと食べるように言われてるでしょ」
そう言われて、俯くように一つ頷いた。
薫先生からは朝昼晩の食事をしっかり取るように、可能ならば白ごはんはおかわりするようにと言われている。
食事は霊力の源、私のおちょこ一杯分の霊力を増やすためには食事をしっかり取ることも重要な修行の一つらしい。
「……じゃあ、昼ごはんの後、ノート借りてもいい?」
「もちろん」
ありがとう、と笑えば嘉正くんは「ん」と満足げに微笑んだ。
神修の授業は座学だけでは無い。
一日六コマの授業が一週間あるうちの、七割が座学で残り三割は実技や演習系の授業だ。
これが私の中ではいちばん嫌いな時間で、その中でも「詞表現実習」は一番避けたいものだった。
座学のひとつ「詞表現《《演習》》」とセットになっており、演習の授業で習った祝詞を「詞表現《《実習》》」では実際に奏上して、用意された模擬の穢れや呪を祓う実践形式の授業だ。
どちらの科目も担当教員は薫先生で、少しは気持ちも楽だと思ったのは最初の五分で砕け散った。
初日の授業、詞表現演習が終わって詞表現実習の授業が行われる白砂が敷き詰められた会場にやって来た。
一番最初に習ったのは、「火鎮祝詞《ひしずめののりと》」というもので、火事を鎮火するための祝詞のように思えるけれど、実際は火事が起こる前に唱える祝詞で、旧暦の6月と12月の晦日に行う神事「鎮火祭《ひしずめまつり》」の際に奏上するんだとか。
けれど、言霊の力をのせれば名前の通り火を鎮める効力が発揮され、妖がその霊力を使って付けた怪火《あやしび》を鎮めるのにも効果的がある。
そして「詞表現演習」で祝詞の意味を習った私たちは、これから後半の「詞表現実習」で実際に模擬の怪火を使用して鎮火を実践するのだ。
演習場となる白砂が敷き詰められた屋外の施設に集合した私たち。
始業を知らせる鐘がなってから、少しして薫先生がやってくる。
何やら小脇に古びた壺を抱えていた。
「ごめんごめん。購買のおばちゃん口説いてたら遅れた」
「何やってんだよセンセ〜」
薫先生が授業に遅れてくることはしょっちゅうらしく、ここ数日の付き合いだけれどあの性格なら仕方ないと納得する。
「じゃあ演習の授業で教えた火鎮祝詞、早速奏上してみよっか」
そういった先生は、私達の真ん中に抱えていた壺を置く。
覗き込むと、蓋の部分に仰々しく御札が張り巡らされていた。
「薫先生、これは……?」
「神職が集めた怪火だよ。えっとね」
壺のそこをひっくり返した薫先生。
「お、去年の12月にうちの権禰宜が対峙した阿紫霊狐《あしれいこ》の怪火ってラベルにあるね。新鮮だから活きがいいよ。すぐには消えないかもねぇ」
まるで賞味期限の話でもするようにそう言う。
「じゃ、各々習ったことを思い出しながら火鎮祝詞を奏上するように。祝詞の一言一言にはきちんと意味がある。意味をしっかり自分の中で解釈することで完成度も変わってくるからね」
はーい、とみんなが返事をしたのを確認して、薫先生は御札を外す。
その瞬間、鼻先でオレンジ色の炎が燃え上がった。