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「ど、どどどどうだった!?!?」
テーブルからギリギリまで身を乗り出した芳賀さんが目の前で叫んだ。場所は喫茶カサブランカ。芳賀さんの指定席である右奥の一番端のテーブルだ。
調査結果を報告するため、俺と八神さんは芳賀さんと向かい合って座っているのだが、先ほどの件をどうやって説明すればいいのか、俺はまだ答えが出せずにいた。
「いや、どうっていうか、その……」
「特に問題はありませんでしたよ」
「!?」
俺は勢いよく右を向いた。八神さんはそんな俺の視線を物ともせず、優雅に糖分の化物を口にする。
「ほ、本当か!?」
「ええ。そうですねぇ、愛理ちゃんの今日の行動を見ていきましょう。芳賀さんの言う通り、愛理ちゃんは緑ヶ丘図書館に行きました。そのあと商店街にある青木手芸店に行き手芸用品を購入し、」
「ま、待て!」
芳賀さんが焦ったようにストップをかけた。
「愛理が商店街に行っただと!? そんなはずはない! だってGPSはずっと図書館を示してたんだぞ!?」
「えっ」
思わず声を漏らしてしまった。……ど、どういうことだ? 確かに愛理ちゃんは商店街に行き、スーパーで買い物をして誰かのマンションに入って行った。なのにGPSは図書館を示したままなんて……。
というか、芳賀さんにどうやってあの状況を説明するつもりなんだ八神さん。俺は横目で様子を伺う。
「……なるほど」
顎に手を当ててぼそりと呟いた八神さんは、俺の心配をよそに涼しい顔で答えた。
「まぁまぁ、最後まで話を聞いて下さい。青木手芸店に行ったあと、愛理ちゃんは歩いてスーパーに向かいました。そこにはある人物が居たんです。誰だと思いますか?」
「だ、誰だ!?」
胃と心臓が痛い。
「あなたの奥様ですよ。愛理ちゃんのお母さん」
「さ、桜子さん!?」
「ええ。どうやら待ち合わせをしていたようですね。スーパーで仲良く買い物をしていました。しかし、買い物を終えた二人は帰り際、何やら慌てたように図書館に引き返して行ったんです。僕たちも追いましたが理由まではわからなくて……でも今の話を聞いたらなんとなく予想がつきました。もしかしたら愛理ちゃん、スマホを忘れて取りに行ったのかもしれませんね。ね、ケントくん」
「えっ!? あ、は、はぁ」
八神さんの堂々とした態度とは反対に俺はおどおどしながら答えた。……いや、確かに嘘はついてない。行った場所も買った物も、マンションから出た二人が図書館に戻ったことも何一つ嘘はついてないはずなんだが何だろう。違和感だらけのこの感じ。そういえば、上手く嘘をつくには真実を混ぜて話すと信憑性が増すと何かで読んだ気がするが、まさにこういう事なのだろう。見てるこっちはハラハラするけど。
「なんだって!? スマホを忘れたなんて一大事じゃないか!! ちゃんと見つかったのか電話して確認せねば!!!!」
スマホを壊す勢いで操作していると、芳賀さんが画面を見て「げっ!」と声を上げた。その顔色は真っ青だ。どうかしたのかと問う前に、スピーカー設定にしてるんじゃないかと疑ってしまうほどの大声が店内に響いた。
「やぁっっっっっと出やがったこの親バカ愛妻クソヘボ変人作家!! テんメェ!! 原稿はどうしたんだよ原稿はああ!! テメェのデビュー記念パーティーで新作発表だってわかってんだろうな!? 来週だぞ!? 時間ねぇんだぞ!? 締切守んなかったら大恥かくのはテメェだけじゃなくうちの会社もなんだかんな!? あ゛あ゛!?」
「それどころじゃないわこちとら大事な娘の一大事なんじゃボケェ!!」
「あ゛あ゛ん!? どうせテメェの被害妄想だろボケェ!! カサブランカに居るのはわかってんだよ!! いいか、そこ動くなよ!? 動いたら、」
ブツン!
芳賀さんは強制的に通話を終わらせた。
いやいや何切っちゃってんの。これ明らかにヤバイやつじゃん。編集の佐竹さんブチギレだったじゃん。
「……と、言うわけで。俺ちょっと急用思い出したから行くね! 佐竹が来たらいつも通り急病で倒れたとか適当に言っといて! あっ、それから! 明日も愛理の尾行よろしく! じゃ!」
そこに芳賀さんの姿はもうなかった。相変わらず逃げ足が早い。あの調子でオリンピックに出たら金メダルも余裕なんじゃないだろうか。しかも急病って。めちゃめちゃ元気そうですけど。
カランカラン! 芳賀さんと入れ違いで店に入って来たのは通話相手の佐竹さんだった。こちらも到着が随分早い。佐竹さんは俺たちの席を睨み付けるように見ると、センター分けの前髪を右手でくしゃりと掴む。
「チッ。遅かったか」
佐竹さんは舌打ちを鳴らすと「イタリアンロースト一つ」と姉に注文を告げ、さっきまで芳賀さんがいた席にどっかりと腰を下ろした。つまり、俺たちの目の前に。
「よぉ、弟」
「お疲れ様です、佐竹さん」
俺が苦笑い混じりで言うと、佐竹さんは深い深い溜息を吐き出した。
佐竹翔さん。朝霧出版「小説あかつき」の若き副編集長。芳賀さんとは幼馴染らしく、その関係性もあって副編集長ながら長年芳賀さんの担当を任されている。そして、若い頃は暴走族のリーダーをやっていたという元ヤンだ。口は悪いが責任感が強く、頼れる兄貴的な存在。芳賀さんとは締切のたびにこうしてバトルを繰り広げている苦労人でもある。
「いつもアイツが悪いな。営業妨害で訴えていいぞ」
「大丈夫です。芳賀さんは店の置物だと思って割り切ってますから」
「随分趣味の悪い置物だな。俺だったら叩き割るわ」
「……ははは」
目が本気すぎて怖い。
「今日は探偵さんも一緒だったのか。……つーかアンタ顔色ワリィぞ。大丈夫か?」
「ええ。いつもの事なのでお気になさらず」
「お待たせ致しました。イタリアンローストです」
姉がことりとソーサーを置くと、深煎り特有の香ばしいかおりが強く鼻腔をくすぐる。
「すみません、芳賀さんのこと止められなくて」
「あー良い良い。お前が気にする事じゃねぇよ。つーかあの親バカ、今回も娘の隠し事がどーのこーのってうるさくてさ。そっちのことで頭いっぱいでぜんっぜん仕事してねーんだよ。ったく。パーティーまでに間に合わなかったらどうしてくれんだ。アイツも会社も面目丸潰れじゃねーか」
佐竹さんは強く舌打ちを鳴らした。
「あの、そのパーティーって何なんですか?」
「ああ。今度の日曜日に帝都・グランドホテルでアイツの小説家デビュー二十周年の記念パーティーをやるんだよ。出版関係者やマスコミも呼んで大々的にな。そこで新作の発表もする予定なんだが……見ての通りまっっったく進んでない。まぁ、最悪タイトルさえ決まってればなんとかするんだけどな。発売日はもう少し先だし」
はぁ、と大きな溜息をついてイタリアンローストをぐいぐいと飲む。自分が飲んでるわけでもないのに、八神さんは口をへの字に曲げた苦い顔をしていた。おそらく、舌バカの激甘党には苦味の強いイタリアンローストは見ているだけでも耐えられないのだろう。
「そういやあのバカ、探偵に娘の調査依頼したとか言ってたけどもしかしてアンタのことか?」
「守秘義務がありますので」
「……だな。野暮なこと聞いて悪かった。ただな、もしアンタにアイツの依頼が来てるなら原稿のためにも早期解決を頼むよ」
佐竹さんは指の関節をバキバキと鳴らしながら「さぁーて。そろそろ捕まえに行くかぁ」と言って席を立つ。その目は獲物を狩る直前の肉食獣と同じ目をしていた。
「萌加ちゃんごちそーさん。美味しかった。また来るわ」
「はーい! ありがとうございました!」
早く解決したいのはやまやまだが、あの現場を見てしまった俺としては複雑である。今後の調査次第で芳賀さん、再起不能になったらどうしよう。