龍神のつがい〜京都嵐山 現世の恋奇譚〜

「今、医者を呼んだ! すぐに手当てしてやるからな!」

「うぅ……菊が……」

「心配するな! すぐに助けに行く!」

「でも、ぅ……火焔……が……」


臣下の声に混じって、蘭丸の声がする。
凜花は咄嗟にふすまを開け、廊下に飛び出した。


「っ……蘭ちゃん!」


視界に入ってきたのは、傷だらけの蘭丸の姿。
一見しただけで転んだような怪我ではないのがわかり、まるで火で焼かれたように肌が真っ赤だった。


「ひめ、さま……?」

「蘭ちゃん、どうしてこんな……!」


凜花の声が震え、瞳には涙が浮かぶ。
ひどい怪我をしている蘭丸の姿が、あっという間に滲んでいった。


「だいじょうぶ、です……。ちょっと、稽古、がんばり、すぎたです……」


それが嘘だと気づけないわけがない。
それでも、蘭丸はなんでもないようにヘへっと笑う。
息をするのも苦しそうなのに、凜花に心配かけまいとする様子にますます視界が歪んでいった。


「菊ちゃんは……?」

「姫様はお部屋に。菊丸もすぐに戻りますから」


臣下のひとりが、凜花を部屋に促す。
しかし、さきほどふすま越しに聞こえてきた会話から、火焔が関係していることは安易に想像できた。


「蘭ちゃん……火焔にやられたのね? 菊ちゃんも……? 菊ちゃんはどこ?」

「あとで、かえってくる、です……」

「嘘!」


凜花の目から涙がボロボロと零れていく。


「菊ちゃんは火焔のところね? どこなの!?」


懸命に平静を装うとする蘭丸の痛々しい姿が、なにもかもを物語っている。
火焔がふたりの前に現れ、攻撃したに違いない。
けれど、本当に狙われているのは蘭丸たちではなく自分自身だと、凜花は知っている。


「ごめんね、蘭ちゃん……」


その言葉を残し、凜花が踵を返して一目散に庭へと飛び出した。


「姫様!」


背後から聞こえてくる声を振り切るように、持てる限りの力で走る。
玄関の方には行かずに大きな木々が並ぶ道を抜け、塀に造られた一メートルほどの扉から外に出た。


この扉は隠し扉である。表からは塀に見えるように精巧に造られ、庭の方からは生い茂った草の中に綺麗に隠されている。
凜花がこの扉の存在を知ったのは、火焔が現れた翌日だった。
聖の命令で、桜火が教えてくれたのだ。
いざというとき、凜花が蘭丸たちと逃げられるように。


幸か不幸か、この扉から丘までは、凜花の部屋からなら門を通るよりも近い。
走ればきっと五分もかからない。
着物と草履が全力疾走の邪魔をしたが、凜花は美しい着物が乱れるのも厭わずに走り続けた。
途中、じれったくなって草履を脱げば、冷たい地面が足の裏を刺すようだった。