「龍は爪の数により、その強さが現れます。私や桜火、火焔は四本、聖様は五本。龍の中で五本爪を持つのは聖様だけですが、四本爪の龍は少なくはありません。その中でも火焔の強さは別格です。聖様であっても油断はできません」
彼の口から語られるのは、凜花が知らなかった天界の過去。
「凜様を殺した火焔は、我々にもその爪を向けました。あのとき、聖様は我々を庇って戦ったことによって深手を負い、火焔を取り逃がしてしまいました」
それは、想像よりもずっと痛ましい事件だったに違いない。
「今の聖様はあの頃よりもずっとお強いですが、火焔だって当時のままとは限りません。いや、きっともっと力をつけているでしょう。そうでなければ、わざわざ屋敷にまで現れるはずがないのです」
緊張感で喉が渇いていく。
「被害があの程度で済んだのは、ここが聖様の結界によって守られているからです。火焔が片手しか龍の姿になっていなかったのも、結界のおかげです。しかし、それでも屋敷に攻撃できたということは、火焔もそれだけ強くなったということです」
凜花の中には、今朝の恐怖心がまた蘇ってきた。
「ですから、どうか今一度ご理解ください」
玄信は荘厳な口調で告げたあと、紅蘭と同じようなことを語った。
龍の伴侶になるということは、その龍にとって大きな弱みになること。
聖は龍神であり、その座を狙う不貞な輩がいること。
凜花はそういった者たちから狙われる対象であり、必然的に聖の弱点になってしまうこと。
そんな話をした玄信が、凜花を見据える。
「我々龍には、聖様が必要です。聖様になにかあれば、天界には今のような平穏がなくなってしまうかもしれません。そのためにも姫様には覚悟を決めていただきたい」
「覚悟……?」
ようやく言葉を発した凜花に、彼が大きく頷く。
「龍の伴侶になる覚悟、そして龍神のつがいになる自覚をお持ちください。それができないのであれば、ここを……天界を去ることも視野に入れていただきたい」
普段から厳しい彼の表情が、いっそう厳しさを纏う。
「出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございません。私がこんな風に申し上げたことを聖様にお伝えいただいても構いません。覚悟の上で申し上げましたので」
頭を下げた玄信の厳しさは、聖への尊敬や深い思いがあるからこそ。
それをわかっている凜花は、聖に言いつけようなんて考えなかった。
浅はかな今朝の自身の行動を、いっそう深く悔やむ。
凜花の脳裏には紅蘭と玄信の言葉がこびりつき、こうなってようやく事の重さを自覚したのだった。
その夜、凜花の部屋に訪れた聖は、いつにも増して優しかった。
ふたりは縁側に腰を下ろし、言葉少なに庭を見ていた。
凜花に寄り添う彼と見上げる夜空は美しく、月も星も幾重にも輝きを放っている。
「今夜はあまり食欲がなかったな」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていい。今朝、あんなことがあったんだ。無理もない」
凜花は申し訳なさでいっぱいだが、聖の声音はどこまでも優しかった。
「火焔のこと、誰かから聞いたか? 紅蘭が来たようだし、耳に入っただろう?」
彼は、数時間前の出来事を見透かすように苦笑している。
凜花は、玄信から『天界を去ることも視野に入れていただきたい』と言われたことは伏せつつも、彼や紅蘭から火焔の話を聞いたことは正直に答えた。
「そうか……」
「火焔さんはまた来るのかな……」
「恐らくそうだろうな」
聖が頷き、凜花の不安が大きくなる。
「あいつは今日、わざわざ屋敷を襲撃しに来た。あの時間なら俺が屋敷にいることも想定していたはずだし、結界が張ってあることもわかっていたはずだ。それでも、ここに来たのはあいつなりの宣戦布告だと受け取っている」
「聖さんと戦うつもりってこと……?」
不安に揺れる凜花の瞳に、彼の苦々しげな顔が映る。
「あいつはそうだろうな。俺は無益な争いは避けたいが、恐らく火焔は凜花だけでなく、龍神の座を狙っている」
「それは……あのときに言ってた……」
「やはりそうか。これで今まであいつが姿をくらましていた理由がわかった」
小首を傾げる凜花に、聖が深いため息をつく。
「火焔は、俺が再びつがいと巡り会う機会を待っていたんだ。凜のときと同じように凜花を傷つけ、俺からすべてを奪うつもりで……」
「あの……あの人はどうしてそんなことをするの? 龍神になりたいから?」
凜花には、火焔の目的がわからなかった。
龍神になりたいから聖を傷つけるのなら、聖がいない時間を狙って屋敷を襲撃すればよかったし、今朝も凜花を攻撃する機会があったように思う。
しかし、火焔は凜花を狙いつつも、どこか余裕そうだった。
それでも充分怖かったが、朝よりも幾分か冷静になった今は、彼の行動の意図がよくわからなくなっていた。
「それは大前提だが、火焔が欲していたのは龍神の座よりも凜だ」
「えっ?」
「火焔は凜を愛していた。でも、凜が俺と番うことを決した日、愛情が憎しみに代わったんだろう……。火焔は自らの手で凜を……」
「そんなっ……!」
「俺と凜がつがいになる運命だったとはいえ、親友に愛する者を奪われるのは我慢なかったんだろうな」
凜花の目が大きく見開く。
「親友……?」
「ああ……。俺と火焔は、幼なじみで親友だった」
聖の瞳が翳る。
いつだって力強い双眸が、今は深い悲しみで満ちていた。
言葉が過去形なのも、その事実も、凜花の胸を深く突き刺す。
「だが、今はもう、親友でもなんでもない。火焔は凜の命を奪い、凜花まで狙っている。俺はあいつと戦う覚悟を決めている」
「聖さん……」
体を傷つけ合うような争い事なんて、現代の日本で生きていたときには無関係なことだった。
けれど、今は違う。
凜花も渦中にいるのだ。
彼のつがい候補である限り、これは逃れられない現実なのだ。
「凜花のことは俺が守る。なにに代えても、火焔には奪わせない」
聖の真っ直ぐな想いと言葉が、凜花の心を捕らえて離さない。
同時に、凜花に決断のときが迫っていることに気づいた。
火焔の冷たい目が、紅蘭の表情が、玄信の言葉が消えない。
もし、凜花が本当に聖と番うのならば、凜花は三人のことや聖の過去、凜のことまで受け止めた上で、覚悟を決めなくてはいけないのだ。
(そんなこと、私にできる? でも……)
知ったばかりの恋心は、たった一日でさらに大きく育った。
まるで、聖と一緒にいたいと訴えるように。
この想いを、彼を、決して失いたくない。
そう強く感じた凜花の胸には、大きな決意が芽生えようとしていた。
火焔が姿を現してから、一か月以上が経った。
あの日以降、彼は一度も姿を見せていない。
玄信たちが行方を捜しているが、また姿をくらましたようだ。
火焔本人どころか手掛かりすら見つからず、屋敷内には彼のことは箝口令が敷かれたとはいえ、事情を知っている臣下たちは動揺しているようだった。
それには火焔が現れたこともだが、聖が城から戻らない日が増えたことが大きく関係しているだろう。
凜花が天界に来てから火焔が屋敷にやってくるまでは、聖がここに戻ってこないことなど一度もなかった。
凜花に対する気遣いと、聖自身の想いでそうしていたのだと思う。
ところが、この一か月の間に彼が屋敷に戻ってこない日が増え始め、この三日間においては一度も帰ってきていない。
本来なら、聖は城に住む身。
つがいの契りを交わしていない凜花が城に入れないから屋敷に戻ってきているだけで、凜花が来るまでは彼は屋敷に帰ってくる方が稀だったと聞いている。
けれど、凜花にとっては聖に会えない方が珍しいことだった。
屋敷にいる臣下たちは、凜花と違って今の状況に慣れているはず。
それなのに、どことなく不安そうな雰囲気が漂っているのは、凜花と同様に彼が屋敷にいることに慣れ始めていたせいかもしれない。
さらには、火焔がいつ姿を現すかわからないことが、みんなの不安をより大きくさせているようだった。
「姫様、お夕食の支度が始まるまでまだ時間がありますし、少しお庭へ出ませんか? ずっと屋敷の中にいるのは息が詰まるでしょうから」
そんな中でも、桜火や風子はいつも通りに接してくれた。
蘭丸と菊丸は聖がいないと寂しそうにすることもあるが、いつだって凜花を元気づけようとしてくれる。
明るいふたりの笑顔は、常に凜花の心を癒してくれた。
「そうですね。今日はいい天気ですし」
冬が深まった天界は、下界同様に寒い日が続いていた。
しかし、今日は朝から暖かく、昼前の今はぽかぽかとした陽気が降り注いでいる。
凜花は桜火の気遣いに感謝しつつ、彼女とともに庭に出た。
「あれ? そういえば、蘭ちゃんと菊ちゃんは?」
少し前から姿が見えないふたりのことが気になった凜花に、桜火が柔らかい笑みを浮かべる。
「ふたりなら屋敷の近くの丘へ行っています。もうすぐ戻ってくると思いますが」
「丘って街に行くときに通るところですか? そんなところにどうして?」
「姫様にお花を贈りたいようですよ」
「え?」
「聖様がお帰りにならない日が増えて姫様の笑顔が減っているので、ふたりなりに姫様を元気づけたいようです」
彼女から聞かされた蘭丸と菊丸の優しさに、凜花の胸の奥がじんと熱くなる。
「嬉しい……」
凜花は、聖のことを大切に思っている。
そして彼と同様に、桜火も玄信も風子も、蘭丸と菊丸も、凜花にとっては大切な人たちだった。
聖以外の者は、彼のつがいである凜花を義務感で大切にしてくれているだけかもしれない。
そんな風に思うこともあったが、今は違うと感じる。
桜火は、監視こそ厳しいものの、心遣いが行き届いている。凜花の些細な変化にも気づき、いつだって凜花が過ごしやすいように配慮してくれる。
玄信は、厳格で言葉のひとつひとつが重いが、それは天界を思ってのこと。それに、厳しさのせいでわかりにくくとも、心根の優しい人だと気づいている。
風子は、凜花に居場所をくれるとともに、料理係たちとのコミュニケーションの場を設けてくれ、そこから少しずつ他の臣下たちとも話せるようになった。
蘭丸と菊丸は、まだ龍としては幼いながらも優しく、いつも凜花を元気づけようとしてくれている。聖が帰ってこない日は、特に明るく振る舞ってくれる。
そういった思いやりが、ただ主人のつがいだから……という理由で与えられているとは思えない。
上っ面ではない優しさが伝わってくるからである。
たとえ自惚れであっても、周囲の人間関係に恵まれなかった凜花にとっては本当に嬉しいことだった。
だからこそ、凜花も、聖を、そしてみんなを大切にしたいと思う。
「私……幼い頃に両親を亡くして、身寄りも兄弟もいないんです。だから、もし弟がいたら蘭ちゃんや菊ちゃんみたいだったのかなって思うことがあるんです」
赤い着物を纏う凜花の肩に、龍のたてがみであつらえたという羽織がかけられる。
「あの子たちが戻ったら、そう伝えてあげてくださいませ。きっと喜びます」
「はい」
もっと、大切にしたい。
みんなのことも、こうして過ごす時間も、なによりも聖を……。
(次に聖さんが帰ってきたら、自分の気持ちを言おう。きっと、私じゃ釣り合わないだろうけど、私は聖さんと一緒にいたい。だから、あなたと――)
「どうした!」
凜花が思いを馳せるように空を見上げたとき、玄関の方から声が上がった。
「なにがあったんだ!?」
なにやら騒がしくなり始め、凜花は桜火を見た。
「凜花様はお部屋へ」
「え? でも……」
「どうか言う通りに」
彼女の真っ直ぐな目に、凜花は頷くことしかできない。
桜火に部屋まで送り届けられると、「ここにいてください」と言い置かれて彼女が廊下に出ていった。
なにがあったのか。
もしかして、また火焔が来たのではないだろうか。
不吉な予感ばかりが頭の中を駆け巡り、凜花の中に不安が芽生える。
「しっかりしろ!」
そのさなか、廊下がバタバタと慌ただしくなった。
「今、医者を呼んだ! すぐに手当てしてやるからな!」
「うぅ……菊が……」
「心配するな! すぐに助けに行く!」
「でも、ぅ……火焔……が……」
臣下の声に混じって、蘭丸の声がする。
凜花は咄嗟にふすまを開け、廊下に飛び出した。
「っ……蘭ちゃん!」
視界に入ってきたのは、傷だらけの蘭丸の姿。
一見しただけで転んだような怪我ではないのがわかり、まるで火で焼かれたように肌が真っ赤だった。
「ひめ、さま……?」
「蘭ちゃん、どうしてこんな……!」
凜花の声が震え、瞳には涙が浮かぶ。
ひどい怪我をしている蘭丸の姿が、あっという間に滲んでいった。
「だいじょうぶ、です……。ちょっと、稽古、がんばり、すぎたです……」
それが嘘だと気づけないわけがない。
それでも、蘭丸はなんでもないようにヘへっと笑う。
息をするのも苦しそうなのに、凜花に心配かけまいとする様子にますます視界が歪んでいった。
「菊ちゃんは……?」
「姫様はお部屋に。菊丸もすぐに戻りますから」
臣下のひとりが、凜花を部屋に促す。
しかし、さきほどふすま越しに聞こえてきた会話から、火焔が関係していることは安易に想像できた。
「蘭ちゃん……火焔にやられたのね? 菊ちゃんも……? 菊ちゃんはどこ?」
「あとで、かえってくる、です……」
「嘘!」
凜花の目から涙がボロボロと零れていく。
「菊ちゃんは火焔のところね? どこなの!?」
懸命に平静を装うとする蘭丸の痛々しい姿が、なにもかもを物語っている。
火焔がふたりの前に現れ、攻撃したに違いない。
けれど、本当に狙われているのは蘭丸たちではなく自分自身だと、凜花は知っている。
「ごめんね、蘭ちゃん……」
その言葉を残し、凜花が踵を返して一目散に庭へと飛び出した。
「姫様!」
背後から聞こえてくる声を振り切るように、持てる限りの力で走る。
玄関の方には行かずに大きな木々が並ぶ道を抜け、塀に造られた一メートルほどの扉から外に出た。
この扉は隠し扉である。表からは塀に見えるように精巧に造られ、庭の方からは生い茂った草の中に綺麗に隠されている。
凜花がこの扉の存在を知ったのは、火焔が現れた翌日だった。
聖の命令で、桜火が教えてくれたのだ。
いざというとき、凜花が蘭丸たちと逃げられるように。
幸か不幸か、この扉から丘までは、凜花の部屋からなら門を通るよりも近い。
走ればきっと五分もかからない。
着物と草履が全力疾走の邪魔をしたが、凜花は美しい着物が乱れるのも厭わずに走り続けた。
途中、じれったくなって草履を脱げば、冷たい地面が足の裏を刺すようだった。
丘に近づくと、空に煙が舞い上がっていることに気づいた。
火焔がいるのだ、と直感で悟る。
緩やかな坂を駆け上がると、臣下とともに玄信がいた。
「火焔!」
凜花の声に、振り返った玄信が瞠目する。彼は傷だらけで、左手と左脚の一部が焼けただれていた。
「……クッ、姫様! なぜここに……!?」
「あのガキ、ちゃんと伝言したみたいだな」
火焔が不敵に笑う。彼の足元には、菊丸が倒れていた。
「……伝言?」
「こいつを返してほしければお前を呼んでこいと言ったんだ。弟とお前たちの姫を交換してやる、ってな」
下卑た笑いが丘に響き渡る。
「あのガキ、『姫様は我々がお守りします』なんて言っておいて、結局は我が身が可愛いんじゃねぇか」
「違うっ……!」
「あ?」
「蘭ちゃんは『大丈夫』って……『稽古』だって……なんでもないって笑ってた……。あんなに傷だらけで、菊ちゃんが捕まってるのに……私をここに寄越そうなんてしなかった!」
「なら、どうして来た?」
凜花の瞳から、涙がボロボロと零れ落ちる。
「大事だから……」
「ハッ……! こんなクソガキがか?」
「そうだよっ! 蘭ちゃんも菊ちゃんも……聖さんも、聖さんが大事にしてる人たちも、私にとってはみんな大切なの……ッ!」
「はははっ! 大切? 笑わせるな」
喉が痛いほどに叫べば、火焔が腹を抱えるようにして笑い出した。
「お前は凜の魂の生まれ変わりで聖のつがい候補だから、凜の代わりに大事にされているだけだ。誰もお前自身なんて必要としていないのに、お前はそれでもこいつらが大切だと言うのか?」
冷たい視線が、凜花を射抜く。
「大切よ」
けれど、凜花はそこから目を逸らすことなく、彼を真っ直ぐ見据えた。
「身寄りのない私に、この人たちは家族のように接してくれた。たとえそれが凜さんの代わりでも、聖さんのつがい候補だからでも、私はすごく嬉しかった」
「へぇ。それで?」
「だから、この人たちを傷つけるなら許さない」
「ならどうする? ただの人間のお前になにができる? こいつの身代わりに俺の手に捕まるか?」
「ゥッ……ッ」
火焔が菊丸を踏みつけ、菊丸が力なくうめく。
「やめてっ! 私が菊ちゃんの代わりにそっちに行くから、菊ちゃんを放して!」
「なりません、姫様!」
玄信が止めるが、凜花は足を踏み出す。
彼も臣下たちも深手を負っているようで、伸ばした手は凜花に届かない。
「ほう。お前がその気なら、こいつは返してやるよ」
片手で摘まむように菊丸を持った火焔が、うっすらと笑う。
「だが、今すぐに来なければこいつを投げ捨てる」
「っ……」
凜花は恐怖心を抱えながらも、さらに歩を進める。
足が震えて走ることはできなかったが、できる限り早く歩いて彼に近づいた。
「物わかりのいい女は嫌いじゃない。……約束だ」
言うが早く、火焔が菊丸を振り上げる。
「菊ちゃんっ……!」
凜花が咄嗟に手を伸ばしたが、菊丸の体は勢いよく宙を走った。
「クッ!」
跪いていた玄信が、体で菊丸を受け止める。
菊丸は意識を失っていたのか、声ひとつ上げなかった。
「菊ちゃん!」
思わず菊丸のもとに駆けだそうとすると、火焔が龍の右手で凜花の身の回りに火を放つ。
「おっと、お前は返さない」
「姫様! 火焔、姫様には手を出すな!」
「黙れ、役立たずの老いぼれが! お前が聖の右腕だと? どいつもこいつも笑わせる。聖はどれだけ腑抜けになったんだ」
「貴様……!」
立ち上がるとする玄信に、火焔は左手も龍に変化させ、火矢を飛ばした。
「ぐぅっ……!」
「あまり俺を怒らせると、せっかくこの女が命に代えて守ろうとしたそのガキに当たるぞ? この女はここで俺に焼かれてもらう。凜と同じように、な?」
たちまち火の手が上がり、すぐに凜花の背丈ほどになった。
「皮肉だな。ここはあいつが……凜が一番好きだった場所だ」
ハッと吐き捨てるように笑った火焔は、火の中にいる凜花を見つめながら丘一帯へと視線を遣る。
冬にもかかわらず、この丘には一帯に白い花が咲いている。
蘭丸たちは、凜花のためにこの花を摘んできてくれるつもりだったのだろう。
「千年前に凜もろともこの地を焼いたというのに、いつからか草木が生えて再び花も咲いたなんて……どこまでも忌々しい女だ」
独り言なのか、凜花に話しかけているのか。
大きくなっていく炎の中では呼吸もままならず、凜花は火焔の言葉を聞く余裕もなくなっていく。
「さあ、再びここを火の舞台にしてやろう。聖のつがいを燃やすための炎が舞うぞ」
彼が手を軽く振れば、火はさらに燃え上がる。
「姫様―!」
そこへ桜火の声が響いた。
凜花がいないことに気づいた彼女は、きっと助けに来てくれたに違いない。
しかし、火はより高く上がり、凜花の目では桜火の姿を確認できなかった。
「桜火さん! みんなを早く……!」
「なりません! 我々の命よりも姫様の方が大事なのです!」
彼女の声とともに、地響きのような音が鳴った。
直後、ボンッ!と爆発音が響く。
「あぁっ……!」
「桜火さん!?」
「姫より先に死にたいなら望み通りにしてやろう。お前程度の火なら片手で充分だ」
桜火の悲鳴のような声とともに、反対側からバチバチと音が聞こえてくる。
「やめて! ……ッ、ごほっ……ッ! 約束が違うでしょう!」
「きゃああぁぁっ!」
凜花は咳き込みながらも訴えた瞬間、桜火の悲鳴が上がった。
「やめて! やめてよっ!」
火に囲まれている凜花には、状況が音でしかわからない。
揺らめく炎の隙間から見える彼女たちは、地面に伏すように倒れていた。
「お願いだから……!」
自身も呼吸ができなくなっていく苦しみの中、大切な人たちが傷つけられていくことがもっと苦しい。
ずっと友人が欲しかった。
家族が、愛してくれる人が、欲しかった。
けれど、大切な人たちが自分のせいで傷ついていくことがつらい。
自分になんの力もないことが悔しい。
灼熱地獄のような火の中、凜花の瞳に映るのは怒りに似たような赤色。
華奢な体は、この間よりもずっと大きな炎に包まれていく。
「聖さっ……!」
意識を失いそうだったとき、無意識に口にしていたのは大好きな人の名前だった。