龍神のつがい〜京都嵐山 現世の恋奇譚〜

「え?」


恐る恐る布団から顔を出してみるが、室内には誰もいない。
蘭丸と菊丸は起床の時間にならないと起こしに来ないし、桜火は凜花の部屋とふすまで繋がっている隣室にいるはずだ。


――凜花。


凜花が半身を起こすと、また同じ声に呼ばれた。
聞き覚えがないと思ったが、聞いたことがある……と感じる。
なぜかはわからないのに、どうしても行かなければいけない気がした。


しかし、凜花は勝手に動き回ることを許されていない。
それが凜花のためであることは重々わかっていたし、最近は聖が定期的に連れ出してくれていたため、特に不満もなかった。


(桜火さんを起こすべきだよね……? でも、気のせいかもしれないし……)


隣の部屋には彼女がいて、廊下には見張りがふたりいる。
仮に声をかけても桜火は怒らないとわかっているが、勘違いだった場合は申し訳ないし、なによりもこんなことで大ごとになっても困る。


(屋敷の外に出なければいいよね?)


凜花は静かに布団から抜け出すと、できるだけ音を立てないように庭へと続く引き戸を開け、そっと足を下ろした。


――行ってはダメ……!


頭の奥で微かに誰かの叫びが聞こえた気がするのに……。

――凜花。

愛おしそうに切なそうに呼ぶ声に、どうしてか引き寄せられてしまう。


凜花は息を潜めるようにして足を踏み出し、声がする方へと歩いていく。
門の傍に着くと、臣下がふたり立っていた。


「姫様、こんな時間にどうなさったのですか!?」


屋敷の門には、外側と内側に見張りがふたりずついる。
声に夢中になるあまり失念していた凜花は、ふたりのギョッとしたような顔を見ながら咄嗟に言い訳を探した。


「えっと……眠れなくて……」

「早急にお戻りくださいませ」

「風に当たりたいのでしたら、桜火様とご一緒に」

「すみません……」


申し訳なさそうにしつつも苦言を呈したふたりは、困り顔をしている。


「ひとまずお部屋にお戻りくださいませ。私が付き添います」


見張りのひとりに促されて小さく頷いた直後。

――凜花。

「ぐあっ……!」

ひと際はっきりとした声が耳に届き、それとともにうめくような声が聞こえた。

「何事だ!?」


凜花を見ていた臣下たちが門の方へ向く。
その瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
門が火に包まれたことを理解したのは、一拍遅れてからのこと。


「何奴!?」

「ここが聖様の屋敷と知っての狼藉か!」


燃える門が崩れ落ちるさなか、炎の中からひとりの男性が現れた。


まるで炎に燃えるような真っ赤な長い髪、鋭い目、そして四本爪の龍の右手。
男性が凜花の前に立つ臣下たちを火で薙ぎ払い、ふたりのうめき声が上がる。
それを気にも留めない様子の彼は、凜花の前まで歩いてきた。


「っ……!」


両脚が強張り、後ずさることもできない。
頭の中で鳴り始めた警鐘とともに、心音が大きくなっていく。


「はじめまして、凜の生まれ変わりのお嬢さん。お会いできて光栄だ」


向けられた声音はどこか優しくもあるのに、凜花は本能的に恐怖心を抱いた。


「俺は火焔(かえん)


冷酷な瞳が微かに弧を描いたが、凜花の体は震えていた。


「聖から凜を奪った龍だ」


そんな凜花に追い打ちをかけるように、火焔がうっすらと笑みを浮かべる。
刹那、凜花はさきほど自分を引き止めた声は凜だったのだ……と悟った。


「……ッ」


呼吸も上手くできないままに、なんとか足を半歩下げたけれど。

「おっと」

彼が龍の手を凜花に向けると、一瞬にして凜花の周囲が炎に囲まれた。


逃げ場を失くした凜花は、恐怖心に襲われながらも火焔と対峙するしかない。
傍にいる臣下たちは、ピクリとも動かなかった。


「お嬢さん、俺は聖の座が欲しいんだ」


不敵な笑顔が、凜花を追い詰めていく。


「お前を凜と同じようにしてやれば、今度こそあいつを殺せる」


その言葉の意味を噛み砕くよりも早く、凜花を目がけて大きな炎が飛んできた。
反射的に目を閉じそうになった凜花だが、その瞬間に激しい光に全身が包まれ、凜花の身を守るように炎を弾いた。


「……これは凜の魂の光か」


彼が苦々しそうに顔を歪め、嘲笑を零す。

「千年経ってもなお、あいつを愛しているのか。……哀れな女だ」


蔑むようでいて、その声色はどこか悲しそうでもあった。
しかし、思考が追いつかない凜花の視界には、再び炎を生み出す火焔の姿が映る。
炎はさきほどの比ではないほどに大きく、恐らく今度こそ逃げられない。


大きな恐怖と絶望に包まれたとき。

「凜花!」

聖の声が聞こえ、空から下りてきた彼によって舞い上がる炎の中にいる凜花の体が抱きとめられた。


「久しぶりだな、聖」

「火焔……! 貴様……!」


聖の右手が龍の皮を纏った五本爪になり、火焔に向けて火を放つ。


「また会おう」


それは火焔が生んだものよりもずっと大きかったが、炎は火焔に当たる前に彼が姿を消した。


「あのとき、俺にとどめを刺せなかったことを後悔するがいい」


どこからか響いた声が、霧に紛れるように消えていく。
凜花の目には、倒れた四人の臣下と燃え残った門が入ってきた。
駆け付けた玄信と桜火の表情は厳しく、玄信は悔しげに顔を歪めた。


「凜花」


頭上から降ってきた声に、凜花の体が強張る。


「ぁ……ッ、っ……ごめん、なさっ……」


恐怖心でいっぱいの凜花は、声を震わせながら滲む視界に聖を映す。


「無事でよかった……」


彼は凜花を責めもせず、ガタガタと震える凜花をそっと抱きしめた。


「ごめんなさい……。私……呼ばれて、っ……勝手に……」

「いいんだ。怖い思いをさせてすまなかった。もっと早く駆けつけてやれなくてすまなかった」


悪いのは、聖の言いつけを守れなかった凜花の方なのに、彼は凜花を責めるどころか自責の念に駆られているようだった。


「だが、二度とひとりで行動しないでくれ……」


泣きそうな聖の声が、凜花の胸の奥を締めつける。
彼はきっと、凜を失ったときの恐怖心と絶望感を思い出したに違いない。
そう感じた凜花は、涙を零しながら何度も頷き、謝罪の言葉を繰り返した。

聖に連れられて部屋に戻った凜花は、彼に眠るように告げられた。


「凜花が眠れるまでずっと傍にいる。だから、心配しなくていい」


平常心だったのなら、羞恥が先走ったかもしれない。
けれど、恐怖心がまだ消えない凜花にとって、聖が傍にいてくれることがなによりも心強かった。


「本当にごめんなさい……。聖さんが来てくれなかったら、私……」

「もういい。俺は怒ってなどいないから謝らなくていいんだ」


布団に入った凜花の右手を、彼が優しく握りしめてくれる。
凜花は安堵感が広がっていくのを感じ、再び口を開いた。


「聖さんが来てくれる前にね、光に包まれたの」


これはどうしても伝えておかなくてはいけない気がした。


「その光が炎から守ってくれた。あの人は……凜さんの魂がそうしたんだって」

「……ああ」


聖が静かに頷き、凜花の手をギュッと握り直すようにする。


「凜花のもとにたどりつく直前、凜の魂を強く感じた。きっと、凜花を守ろうとしたんだろう」

「……凜さんはどうして私を守ってくれたのかな」


凜花の唇から零れたのは、素朴な疑問だった。
火焔の言葉をそのまま受け止めるのなら、まだ聖のことを愛しているから……ということなのかもしれない。
しかし、凜花からすれば、凜が凜花を守る理由が腑に落ちなかった。


もし自分なら、聖に新たな恋人ができたとしてその女性を守ろうとするだろうか。
きっと、できない。
まだ嫉妬がどういうものかはよくわからないが、少なくとも彼の恋人を守るような振る舞いはできない気がする。


「凜にとって、凜花は自分自身なのかもしれない。だから、凜花を守ったというよりも、自分自身を守るためでもあったのかもしれないな。なにより……」


聖の眉が下げられ、瞳に悲しみと怒りが滲む。


「二度もあいつに殺されるなど、凜だって受け入れられるはずがない」


凜がどんな風に亡くなったのかは、夢で見たときに聞いた話でしか知らなかった。
聖や火焔の話ぶりから、火焔が凜を炎で焼き尽くした張本人であることは間違いないのだろう。
凜にとっては、大きな未練が残る最期だったに違いない。
そう考えれば、聖の話にも納得できた。


「もう眠るといい。話は休んだあとにしよう」

「うん……」


凜花は、おずおずと繋いでいる手に力を込めてみる。
すると、彼が優しい笑みを浮かべた。


「大丈夫だ。ゆっくり休め」


小さく頷いた凜花の瞼が、少しずつ重くなっていく。
一睡もしていなかったせいか、そのまま程なくして意識が途切れた。

凜花が目を覚ましたのは、外が夕焼けに染まり始めた頃だった。


傍には聖の姿はなく、握られていた手は冷たい。
代わりに、蘭丸と菊丸が凜花の両側ですやすやと眠っていた。
ふたりは上半身だけ凜花の布団に乗せ、下半身は畳に投げ出している。


「目を覚まされましたか?」


凜花がゆっくりと体を起こすと、桜火の声が聞こえてきた。


「桜火さん……」

「なにか食べられるのでしたら軽食をお持ちします。それとも、湯の用意ができておりますが、体を温められますか?」


優しい声音に胸の奥が痛む。


「あの……勝手なことをしてごめんなさい……」


凜花が頭を下げると、彼女が困り顔でため息を零した。


「まったくです。姫様になにかあったらと寿命が縮む思いでした」

「ごめんなさい……」

「ですが、まずはご無事でなによりです。お説教は聖様にしていただきますが、今後はひとりで行動なさらないでくださいね」

「はい」


たしなめるように言いつつも微笑んだ桜火に、凜花が反省の色を浮かべて頷く。
彼女は「お腹は空いていませんか?」といつものように訊いてくれた。


「平気です」

「では、少し体を温めましょう」


桜火に促されると、蘭丸と菊丸が目を覚ました。


「姫様!」

「もう大丈夫ですか?」

「うん。心配かけてごめんね。ありがとう」

「蘭丸、菊丸、姫様は湯浴みに行かれますから、お前たちは別の仕事に――」

「蘭もお供するです」

「浴室の前で待つです」


彼女の言葉を遮ったふたりは、先陣を切って廊下に出る。


「紅蘭様!」


直後、桜火が声を上げ、廊下の向こうから歩いてくる紅蘭の姿が目に入った。


「っ!」


紅蘭は凜花を見るなり右手を振り上げたが、怒りに震えながらもその手を止めた。


「……本当は今すぐに殴ってやりたいわ」


恐らく、彼女は今朝のことを耳にしたのだろう。


「あんたひとりの身勝手さでこんなことになったのよ!」


怒りの目を向けられる中、玄信が慌てたように走ってきたが、それよりも早く紅蘭の声が響き渡った。


「いい? 龍にとってつがいは唯一無二の存在で、どんなことがあっても何物にも代えがたいものなの。それは裏を返せば弱点にもなりうるということ。下手をすれば、龍にとって致命傷にもなることなのよ!」


普段なら、きっと玄信や桜火が紅蘭を止めただろう。
しかし、ふたりは眉を寄せて黙り込み、紅蘭を止めようとはしなかった。

「聖も同じよ。たとえ龍神であっても、つがいの大切さは他の龍と変わらない。ましてや、聖は過去に凜を失っているのよ! なにかあったときには、聖は自分の命に代えてでもあんたを守ろうとするわ!」

「紅蘭様、姫様をいじめちゃダメです!」

「聖様は、姫様は悪くないって言ってたです!」


玄信と桜火に代わり、蘭丸と菊丸が必死に凜花を守ろうとしている。
ただ、蘭丸たちの言葉が紅蘭に効果がないのは、誰が見ても明白だった。


「それがどういうことだかわかる?」

「紅蘭様、やめるです!」

「姫様だって、つらいです!」

「聖がいなくなれば、間違いなく天界の均衡は崩れる。あんたの浅はかな行動ひとつで、聖だけじゃなく天界そのものを大きく揺るがすことだってあるの!」


必死に止める蘭丸と菊丸を余所に、彼女は叫ぶように言い放った。
怒りをあらわにする紅蘭の気は、まだ済んでいないのだろう。


「玄信も桜火も、この子を甘やかしすぎよ。この子が人間だからって、聖と同じようにどうせなにも教えてこなかったんでしょう? あんたたちにも責任はあるわ」


それでも、彼女は吐き捨てるように言い置き、踵を返した。
一言も言い返せなかった凜花を、蘭丸と菊丸が悲しそうな瞳で見上げている。
無言のままの玄信と桜火の態度が、凜花をより追い詰めた。


「……紅蘭様のおっしゃる通り、我々にも非があります」


静まり返った廊下に響いたのは、玄信の悔しげな声だった。


「聖様のご命令に背いてでも、もっと早くに色々とお話して姫様につがいとしての自覚をお持ちいただくべきでした」


彼の表情に厳しさが覗き、張りつめていた空気がさらに強張る。


「聖様は姫様が人間であることを踏まえ、『天界や龍のことは必要以上に耳に入れるな』とおっしゃられておりました。しかし、やはりそれには反対するべきでした」


玄信の言葉からは、聖の優しさが感じられる。
けれど、今の凜花にはそれが痛かった。


「私の顔の傷は、あの男……火焔につけられたものです。凜様の亡きあと、天界では大きな争いが起こり、私は致命傷とも言える大怪我を負いました」


玄信は息を吐くと、おもむろに続けた。

「龍は爪の数により、その強さが現れます。私や桜火、火焔は四本、聖様は五本。龍の中で五本爪を持つのは聖様だけですが、四本爪の龍は少なくはありません。その中でも火焔の強さは別格です。聖様であっても油断はできません」


彼の口から語られるのは、凜花が知らなかった天界の過去。


「凜様を殺した火焔は、我々にもその爪を向けました。あのとき、聖様は我々を庇って戦ったことによって深手を負い、火焔を取り逃がしてしまいました」


それは、想像よりもずっと痛ましい事件だったに違いない。


「今の聖様はあの頃よりもずっとお強いですが、火焔だって当時のままとは限りません。いや、きっともっと力をつけているでしょう。そうでなければ、わざわざ屋敷にまで現れるはずがないのです」


緊張感で喉が渇いていく。


「被害があの程度で済んだのは、ここが聖様の結界によって守られているからです。火焔が片手しか龍の姿になっていなかったのも、結界のおかげです。しかし、それでも屋敷に攻撃できたということは、火焔もそれだけ強くなったということです」


凜花の中には、今朝の恐怖心がまた蘇ってきた。


「ですから、どうか今一度ご理解ください」


玄信は荘厳な口調で告げたあと、紅蘭と同じようなことを語った。


龍の伴侶になるということは、その龍にとって大きな弱みになること。
聖は龍神であり、その座を狙う不貞な輩がいること。
凜花はそういった者たちから狙われる対象であり、必然的に聖の弱点になってしまうこと。


そんな話をした玄信が、凜花を見据える。


「我々龍には、聖様が必要です。聖様になにかあれば、天界には今のような平穏がなくなってしまうかもしれません。そのためにも姫様には覚悟を決めていただきたい」

「覚悟……?」


ようやく言葉を発した凜花に、彼が大きく頷く。


「龍の伴侶になる覚悟、そして龍神のつがいになる自覚をお持ちください。それができないのであれば、ここを……天界を去ることも視野に入れていただきたい」


普段から厳しい彼の表情が、いっそう厳しさを纏う。


「出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございません。私がこんな風に申し上げたことを聖様にお伝えいただいても構いません。覚悟の上で申し上げましたので」


頭を下げた玄信の厳しさは、聖への尊敬や深い思いがあるからこそ。
それをわかっている凜花は、聖に言いつけようなんて考えなかった。


浅はかな今朝の自身の行動を、いっそう深く悔やむ。
凜花の脳裏には紅蘭と玄信の言葉がこびりつき、こうなってようやく事の重さを自覚したのだった。

その夜、凜花の部屋に訪れた聖は、いつにも増して優しかった。


ふたりは縁側に腰を下ろし、言葉少なに庭を見ていた。
凜花に寄り添う彼と見上げる夜空は美しく、月も星も幾重にも輝きを放っている。


「今夜はあまり食欲がなかったな」

「ごめんなさい……」

「謝らなくていい。今朝、あんなことがあったんだ。無理もない」


凜花は申し訳なさでいっぱいだが、聖の声音はどこまでも優しかった。


「火焔のこと、誰かから聞いたか? 紅蘭が来たようだし、耳に入っただろう?」


彼は、数時間前の出来事を見透かすように苦笑している。
凜花は、玄信から『天界を去ることも視野に入れていただきたい』と言われたことは伏せつつも、彼や紅蘭から火焔の話を聞いたことは正直に答えた。


「そうか……」

「火焔さんはまた来るのかな……」

「恐らくそうだろうな」


聖が頷き、凜花の不安が大きくなる。


「あいつは今日、わざわざ屋敷を襲撃しに来た。あの時間なら俺が屋敷にいることも想定していたはずだし、結界が張ってあることもわかっていたはずだ。それでも、ここに来たのはあいつなりの宣戦布告だと受け取っている」

「聖さんと戦うつもりってこと……?」


不安に揺れる凜花の瞳に、彼の苦々しげな顔が映る。


「あいつはそうだろうな。俺は無益な争いは避けたいが、恐らく火焔は凜花だけでなく、龍神の座を狙っている」

「それは……あのときに言ってた……」

「やはりそうか。これで今まであいつが姿をくらましていた理由がわかった」


小首を傾げる凜花に、聖が深いため息をつく。


「火焔は、俺が再びつがいと巡り会う機会を待っていたんだ。凜のときと同じように凜花を傷つけ、俺からすべてを奪うつもりで……」

「あの……あの人はどうしてそんなことをするの? 龍神になりたいから?」


凜花には、火焔の目的がわからなかった。
龍神になりたいから聖を傷つけるのなら、聖がいない時間を狙って屋敷を襲撃すればよかったし、今朝も凜花を攻撃する機会があったように思う。


しかし、火焔は凜花を狙いつつも、どこか余裕そうだった。
それでも充分怖かったが、朝よりも幾分か冷静になった今は、彼の行動の意図がよくわからなくなっていた。

「それは大前提だが、火焔が欲していたのは龍神の座よりも凜だ」

「えっ?」

「火焔は凜を愛していた。でも、凜が俺と番うことを決した日、愛情が憎しみに代わったんだろう……。火焔は自らの手で凜を……」

「そんなっ……!」

「俺と凜がつがいになる運命だったとはいえ、親友に愛する者を奪われるのは我慢なかったんだろうな」


凜花の目が大きく見開く。


「親友……?」

「ああ……。俺と火焔は、幼なじみで親友だった」


聖の瞳が翳る。
いつだって力強い双眸が、今は深い悲しみで満ちていた。
言葉が過去形なのも、その事実も、凜花の胸を深く突き刺す。


「だが、今はもう、親友でもなんでもない。火焔は凜の命を奪い、凜花まで狙っている。俺はあいつと戦う覚悟を決めている」

「聖さん……」


体を傷つけ合うような争い事なんて、現代の日本で生きていたときには無関係なことだった。
けれど、今は違う。
凜花も渦中にいるのだ。
彼のつがい候補である限り、これは逃れられない現実なのだ。


「凜花のことは俺が守る。なにに代えても、火焔には奪わせない」


聖の真っ直ぐな想いと言葉が、凜花の心を捕らえて離さない。
同時に、凜花に決断のときが迫っていることに気づいた。


火焔の冷たい目が、紅蘭の表情が、玄信の言葉が消えない。
もし、凜花が本当に聖と番うのならば、凜花は三人のことや聖の過去、凜のことまで受け止めた上で、覚悟を決めなくてはいけないのだ。


(そんなこと、私にできる? でも……)


知ったばかりの恋心は、たった一日でさらに大きく育った。
まるで、聖と一緒にいたいと訴えるように。
この想いを、彼を、決して失いたくない。
そう強く感じた凜花の胸には、大きな決意が芽生えようとしていた。