凜花が両親を亡くしたのは、五歳のときだった。


ある日曜日、親子三人で動物園へと出かけ、楽しい一日を過ごした帰り道のこと。
対向車線を走っていたワゴン車が、急に凜花たちが乗っていた車に突っ込んできた。
凜花とともに後部座席に乗っていた母親は、咄嗟に身を挺して凜花を庇った。
父親も大怪我を負って病院に運ばれたが、両親は程なくして息を引き取った。


ただ、凜花はこの頃の記憶が曖昧で、事故のこともよく覚えていない。
恐らく、精神的なショックも大きかったのだろう。
交通事故で両親を亡くしたということ以外、ずっとなにも知らなかった。
のちに、高校を卒業するまでお世話になっていた児童養護施設の職員から、施設を出る直前に詳細を聞いたのだ。


児童養護施設は、凜花にとっては息苦しい場所だった。
生きる場所があったのはありがたいことだったのかもしれないが、施設の職員に疎ましがられていた凜花にとって居心地が好いとは言えなかったからである。
これからひとりで生きていくのは不安だった反面、それでもようやく施設を出られることに当時は心のどこかで安堵感もあった。


そして、就職先のハヤブサ便で出会ったのが凜花よりも四歳年上の茗子だった。
美人で勝気な性格の彼女は、気が強そうな見た目とは裏腹に優しく接してくれた。


なにもわからない凜花に、業務を一から教えてくれたのは茗子である。
わからないことがあれば丁寧に説明して、ミスをしたときにはなにがいけなかったのかを教えてくれ、理解できないでいると根気よく伝え直してくれた。
凜花にとって、茗子は両親以外で初めて頼れる存在となり、彼女も凜花をとても可愛がっていた。


茗子の態度ががらりと変わったのは、凜花が仕事を辞める半年ほど前のこと。
最初は無視をされ、その理由がまったくわからなかったが、半月ほど経った頃に彼女に『なにか気に障ることをしたのなら謝りたい』と言うと怒鳴りつけられたのだ。
『この泥棒猫!』と……。


ドラマでしか聞いたことのないセリフを、まさか自分が浴びせられる日が来るとは思ってもみなかった。
しかも、心当たりがまったくなく、凜花の戸惑いは相当のものだった。
そんな凜花に、茗子は付き合っていた恋人から『凜花ちゃんを好きになったから別れたい』と切り出されて振られたことを、心底悔しげに口にした。


彼女の恋人は一流企業に勤めており、それをよく自慢されていた。
凜花は、幸せそうな茗子を羨ましく思ったことはあったが、彼女の恋人には数回しか会ったことがなく、連絡先も知らない。
茗子に紹介されて何度かふたりと食事を共にしたことはあったが、それだって毎回彼女に誘われて同行していたようなものである。